おとといのブログ、

認知症両親の介護 相手のできることを見つける習慣をもつ

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に具体例がなかったので、そのことについて。

 

母についてできないこと、わからないこととは?

介護経験者や関係者なら母が要介護5である、

というと想像がつくかと思います。

からだ=健康面については、特に問題ありません。

ほんとに脳の機能低下部分だけが大きい。

 

介護用語に不慣れな方のために書いてみると。

母は、言葉での指示がわかりません。

おしゃべりするし、一生懸命理解しようとしますが、

それはハートでわかることであって、

言葉として理解しているわけではない。

そういう感じです。

 

ご飯を食べるという行動ができません。

自分でお箸をもって口に運ぶことができない。

ごはんが食べ物であるという認識がない。

つまり、食事は食べさせてもらわなければ食べない。

水分補給についても同じ。

飲ませてもらわなければ、飲めない。

ご飯が食べ物だという認識がないので、

口に運んでも、ポカンとすることもあります。

飲み物と食べ物の区別がつかないので、

その違いを伝える必要があります。

 

トイレ。

大小便の感覚はあるけれども。

それは違和感がある、ということであって、

トイレでする、おむつにする、という違いはわかりません。

けれども、

トイレのタイミングを見逃さず、

トイレに誘導すれば、トイレですることはできます。

 

このわたしのブログを見てくださる方は、

母の写真をみたことがあると思いますが、

このようなことが想像できるでしょうか?

 

母はできないことだらけです。

生きていくために必要なことが自分でかなえられない。

そういう人がおとなしくしていられると思いますか?

きっと本能的な生命の危機を感じて、

恐怖でしかないのではないか?

と私は想像してみました。

それなら、急な暴言暴力もあるんじゃないか?

と思えます。

どうしたらその恐怖を取り除いてあげられるのか?

 

本能で生きてる母に安心してもらいたい。

その方法を、自分らしく相手らしくアレンジして

お互い心地よいと感じるようにしていく。

この考えは、実験の繰り返し。

苦労なくしてたどり着けるものではないのでした。

 

じゃ、どうやって、

あれもこれもできないと不安な相手の

できること、いいところをたくさん見つけて、

「大丈夫、あれもこれもできるじゃない!」

と自信をもってもらえるように話す。のか?は、

明日に続く。

(一気に書けなくて申し訳ない!)

 

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