おとといのブログ、
認知症両親の介護 相手のできることを見つける習慣をもつ
http://ameblo.jp/kosyokosyokosyo/entry-12186563365.html
に具体例がなかったので、そのことについて。
母についてできないこと、わからないこととは?
介護経験者や関係者なら母が要介護5である、
というと想像がつくかと思います。
からだ=健康面については、特に問題ありません。
ほんとに脳の機能低下部分だけが大きい。
介護用語に不慣れな方のために書いてみると。
母は、言葉での指示がわかりません。
おしゃべりするし、一生懸命理解しようとしますが、
それはハートでわかることであって、
言葉として理解しているわけではない。
そういう感じです。
ご飯を食べるという行動ができません。
自分でお箸をもって口に運ぶことができない。
ごはんが食べ物であるという認識がない。
つまり、食事は食べさせてもらわなければ食べない。
水分補給についても同じ。
飲ませてもらわなければ、飲めない。
ご飯が食べ物だという認識がないので、
口に運んでも、ポカンとすることもあります。
飲み物と食べ物の区別がつかないので、
その違いを伝える必要があります。
トイレ。
大小便の感覚はあるけれども。
それは違和感がある、ということであって、
トイレでする、おむつにする、という違いはわかりません。
けれども、
トイレのタイミングを見逃さず、
トイレに誘導すれば、トイレですることはできます。
このわたしのブログを見てくださる方は、
母の写真をみたことがあると思いますが、
このようなことが想像できるでしょうか?
母はできないことだらけです。
生きていくために必要なことが自分でかなえられない。
そういう人がおとなしくしていられると思いますか?
きっと本能的な生命の危機を感じて、
恐怖でしかないのではないか?
と私は想像してみました。
それなら、急な暴言暴力もあるんじゃないか?
と思えます。
どうしたらその恐怖を取り除いてあげられるのか?
本能で生きてる母に安心してもらいたい。
その方法を、自分らしく相手らしくアレンジして
お互い心地よいと感じるようにしていく。
この考えは、実験の繰り返し。
苦労なくしてたどり着けるものではないのでした。
じゃ、どうやって、
あれもこれもできないと不安な相手の
できること、いいところをたくさん見つけて、
「大丈夫、あれもこれもできるじゃない!」
と自信をもってもらえるように話す。のか?は、
明日に続く。
(一気に書けなくて申し訳ない!)