長年続けてきた認知症介護。

自分に向き合い成長するチャンスだったと今では思います。

 

母はどんどんいろんなことができなくなって。

コミュニケーションがとれなくなって。

何を望んでいるのかわからなくて。

 

父は自分では動かずにやりもせずに、

できない、無理、だからしょうがない、

といいわけばかり。

ほんとにしたいことはあるはずなのに、

わからんといって人にゆだねてばかり。

 

そんな親と過ごす時間は地獄だなーって気が重かった。

自分なりに一生懸命頑張って努力もしてるつもりだったけど、

なにをやっても自己満足でしかないのかーって感じで。

 

それは、自分のあり方が違ってたんだな。

相手(親)と自分を対等に見れてなかった。

言えない人、できない人を蔑む気持ちがあったんだ。

思いやりじゃなくて、押し付け。

それじゃ、伝わらない。

 

相手も自分と対等だとしたら。

その人の言動のタイミングを待てばいい。

待つというのは寄り添うということかな。

相手を自分にゆだねさせることじゃなく、

相手に自分をゆだねることかも。

 

自分をゆだねる?

相手を理解したい。

相手のできないことを助けたい。

相手への執着なのか愛情なのかはわからないけど。

自分が相手のそばにいることを義務感からだとしても、

自分で選んでいる。

相手との時間はわたしのものでもあるし、

その人自身のものでもある。

共有、共存してる時間に流れのままに身をゆだねる。

起こっていることに、逆らわない。

あるがままの現状をそのまま、良し悪しの判断をしない。

 

幼少からの親子関係が原因で、

あらゆる感情が怒涛のように押し寄せ、

とてつもなく絶望しても。

感情に善悪をつけない。

 

そんなようなことを体験し続けて。

かなり親の気持ちを行動を待てるようになった。

自分ていうのは先回りしたがるせっかちな生き物だな。

相手の自立を本当に支えているか?

相手は本当にこのことをやりたいと思っているのか?

それは今本当に必要なことか?

とか考えるようになった。

親に向き合ったつもりが自分ととことん向き合ってた。

これが自分の成長するチャンスだったってことなんだけど。

どうかな?