認知症介護、それも長年、しかも二人。

つねに前向きに介護に取り組んで、

ケアマネに相談して、

親族に話を聞いたり聞いてもらったり、

介護サービスをフルに活用して、

3姉妹で協力して、

それぞれのパートナーや子どもにも協力してもらって。

周囲から見れば、なんの問題もない家族のような介護生活を送っていても。

 

それでも親に殺意が生まれる時がある。

体力も気力も何もかもの限界を超えたとき、爆発するネガティブな感情。

これまでしてきた自分の我慢の我慢の我慢の限界を超えたとき、

冷たい感情とともに、

「死ねばいいのに」

「なんで生きてるの?」

激情とは裏腹の冷たい言葉が生まれた。

 

わたしの場合は父限定。

どうして父に殺意が生まれたのか?

それは、幼少期からの父の躾や体罰が原因。

わたしの受け取り方にも問題はあったけど、いかんせん子ども。

その子どものころの父に対する憎しみの感情が押し殺されるようにしまわれており。

それは深い傷になって。

 

玄関を開ける前から漂う悪臭。

実家の居間、

おしっこの池に紙おむつがもうこれ以上水分を含めないほどに膨張し広げられて、

紙パッドはテーブルのわきにびしょびしょで丸められており、

下半身を露出して池の中心に横たわる父。

隣の寝室で布団のわきに正座する母。

母もまた背中までぐっしょり濡れて震えている。

もちろん布団類はすべて水分を含み異臭を放つ。

ふすまや柱や壁やテーブル、大便がいたるところに付着。

なぜか台所にまでずぶ濡れのズボンが放置され。

別居の介護とはいえ、1日のほとんどを実家の両親の身の回りのお世話に費やし全力で突っ走って数か月たったこの日。

心の底から父に死ねと思った。

「死ねばいいのに!」父に向って腹の底から叫んだ。

 

まだ母だけなら我慢できた。

それなのに、母にも何も満足にしてやれず、いつも言い訳三昧でやってもいないのにできないを連発し、私に依存する父。

パートナーや妹たちに支えられて我慢できない状況を我慢。

親に対する愛情より、自分に負けたくない気持ちだけだった。

 

心の底から死ねと思ったのに。

殺意が消えたのは、父の言葉。

「(自分も)死にたいよ、死んだほうがましだ!死にたいから死ぬ準備をしてくれ!天井に縄をかけて首を入れて椅子を引いてくれ!」

 

死ぬ面倒までも私に言うんか~~~~!

脱力。

なんて根性の父親なんだ。

こんな親が自分の親なのか。

殺したって殺し損だ。

 

私のこころの限界を超えた日から。

私は自分の心の内を、隠し続けた本音を、父にぶちまけ続けた。

父の大小にまみれた体をタオルで拭きながら。

おむつを投げられたときに。

ウンチをキャッチしながら。

こんなこと絶対言ってはいけないと思ってたこと全部。

父だって言いたい放題。

 

初めての親子喧嘩らしい喧嘩だったな。

殺意はあっても、介護の手抜きは一切なし。

それがわたしのプライド。

 

言いたいことをいって、やるべきことをしっかりやったら。

たくさんの涙とともに。

心が晴れた。

嘘みたいに。

 

父と私は正反対の部分が多いこと。

父は私の思いや考えに理解できないことがあること。

お互い、違う人間だという認識。

 

この殺意を抱いた一連の時期の感情の変化は、おぞましくもあり、おめでたくもある。

お互いの現在の穏やかな暮らしぶりからは想像もできない非日常があったこと。

忘れない。

今は父に愛情を感じる。

生きててくれてありがとう、父さん。

不思議だね。