気持ちに余裕が持てるようになってきたこと。

事実をそのまま評価しないで受け入れられるようになってきたこと。

不安や心配が少なくなり、あっても「なんとかなる」と思えるようになってきたこと。

どれも途中ではありますが。

 

自分のことしか考えられなくて、

思い通りにならないと切れ気味で、

うまくいったら自分スゴイ、

失敗したら誰かのせい、

自分が動かないくせに、

動いてる人が妬ましくて。

マイナス思考のかたまりみたいな。

プラス思考の空回り。

 

そんなわたしが覚悟を決めて若年性アルツハイマーの母に付き合ってきた日々。

結婚前から。

就職で実家からようやく離れられたと思ったのもつかの間。

結局、母のもとへ自分の原点へ戻るんだなと。

結婚するとき、パートナーに母のことを、もどることを話した。

怖がり過ぎていたと思う。

それでも。

背景には、両親それぞれの母親(わたしからみたら祖母)からのプレッシャーというトラウマに負けたくないという強い気持ち。

ただ流されるだけで何もしないで何もできないと言い張る父への反抗心。

苦労が多く家族に翻弄されたように見えた母の人生の最後を少しでも満たしてあげたい気持ち。

どれも意地っ張りな自分の思い込みだっただけで。

悩んでる自分に酔っていた、逃げていただけで。

実際過ごしてきた時間は長くて、取り戻せないけれど。

パートナーの支えで、案外やりたいことを実現してたことに気づけた。

 

いま感じることは。

人生で流れる時間は、世代や環境で全く違ってる。

自分に流れる時間を意識してみると、生きてることが不思議。

生きることは、自分で選べるようでいて、多くの人の手にゆだねられてもいる。

自分にできることは自分ですればいいし、

自分にきないことは誰かの手をかりればいいし、

そういう自分の状況に敏感でいることが大切で、

とりつくろったりせずに、「素」の自分であることが生きやすいのかな。

そんなことを、母の病とともに20年以上かけてじっくり経験してきたってこと。

ゆっくりだけど、わたしはこれでよかったな。

これからも自分のその時々の心地いいペースで生きていきたい。