なんでいつも家族の厄介ごとの面倒はわたしがみなきゃならないんだろう?
いや、実際はやると決めたのはわたしだし、文句いいながらもしっかり向き合ってきた。
自分が死ぬとき、死んだとき、後悔しない「わたしは生きててよかった!」な毎日の過ごしかたを考え続けてきた。
どうやったら、毎日幸せで、毎日楽しくて、親が大好きで、祖父母が大好きで、妹たちは可愛くて、ちょっとはいやなこともあるけど、生きてるっていいよね~なんて思えるんだろう?
いまでも時々、「なんであたしばっかり!」って家族内では思うから。
被害妄想ひどすぎなんだ。
昨年妹三女の離島への転勤と父の水頭症発症で、このままゆるゆると続くと思われた両親との介護生活が一変。
それまで妹三女が実家に両親と同居。
わたしは実家近くで介護サービスをフル活用し、両親それぞれの通院付き添いや家事をサポート。
母のアルツハイマーも、父の血管性認知症もゆるゆると下降線といった感じで、二人での自宅暮らしをまだまだ支えていけると信じられるようになったころ。
そのために、自宅で両親の看取りにむけて勉強しようと思い始めたころ。
父の脳に髄膜腫が発見され、その後妹三女の転勤など一度に急激な変化。
父の変化は想像を絶した。
なかなか症状の原因が特定されなかったから、どんどん身体状況が悪くなるのに、わけもわかず対処し続けるしかないというのがつらかった。
父自身も自分の変化に混乱し、人格変わったみたいだった。
しかしそこで唯一いいほうに変化した人がひとり。
母だ!
父があまりにもひどい状況になって、我に返ったみたいにしっかりする瞬間が増えた。
できなかったことができたり。
優しいことばをかけていたわってくれたり。
どうしたら私を困らせないのか?って考えてじっとしてることだな!ってわかった人みたいになった。
びっくり!もびっくり!
書いてて切なくなって涙だーだー出ちゃうな。
で、いまや両親は施設で穏やかな日々。
わたしも、自分の時間がまとまっていただけるようになった。
なんていい気分♪
自分の生きてる時間を自分だけのために使えるなんてすごい!
それがいまなんだ。
だから、わたしが失ってしまった時間にしたかったかもしれないことや、これからしてみたいことをできるんだ!と思うと、ドキドキする。
だけどあまりに長い時間を両親や家族のために使いすぎて悩みすぎて、まずは自分の棚卸中。
生まれたときから今までを振り返ること3回目。
ようやくがんじがらめの自分から解放されてきた気がする。
自分の人生ダダ滑りしてたなー。
これから死ぬ日まで、何を大切にして日々過ごそうか?
あれこれやりたいことをやりちらかしてやる!
で、あきない何かを見つけたいな。
もうすでに、ひとつ見つかってる。
そのときひきつけられたものを写真撮るのは飽きない。
まだ、中途半端にあきらめちゃうことがあるけど、だいぶマシになった。
ぐふふ。
親や家族の気持ちばかり観察して理解しようとか、実は苦手なことばかりを努力して辛抱してたから、ふにゃふにゃしちゃうけど。
そんな地に足つくのが苦手な自分はなかなか面白いと思う。
「しっかりもの」を強制されて演じてたけど。
もうボロボロだからね。
ふわふわ生きるよ、これからは。
自分にうそをつかない生き方だってできるんだ!
なにもあきらめなくていい!