認知症両親介護の日々というタイトルで書いてるのですが。
昨年、今年と自分と両親の間に怒涛の変化があり、激流に流されっぱなしの日々で。
ようやくたおぶんおそらくわたしの生活に落ち着きがでてきたので、これまでを丁寧に振り返っています。
そうしたら、母が若年性アルツハイマーだろうなと気づいたのは20年も前だったとわかったんです。それまで、アバウト10-15年くらいだろうよと思って事実確認していませんでした。
いや~びっくりです。
これまでほんとテキトーにその場しのぎでやってきてたんだなと改めて気づいたのです。
さて本題。
母の様子がおかしいよっていってたころ、認知症なんて単語はなかった。
痴呆症かボケ。
今日改めて認知症について調べていていろんなことに気づいたので、そのことについて記録がてらざっくり書きます。
「認知症」という言葉は、「痴呆症」や「ボケ」という言葉がよろしくないということで、2004年にできました。そうして、「病名」として確定しました。
翌2005年から認知症を支えるサポーターを多数養成する10年間の大キャンペーン開始。
そうそう、そうだった。
だから母が病院受診を頑なに拒否し続けたのかもしれない。
痴呆症とかボケを診察する病院は、精神病院だったんだから。
そのころ、家族が精神病院にかかるなんて世間体が悪かった。
とくに地方の田舎では。
おそらくだけど、母の実母や義母にとってはもう最大に許せなくて都合が悪いことだったんだ。
母はそのことを気に病んでいたのかもしれない。
そうしてしっかり者の自分がまさかそんなって思うよ、ふつう。
まだ50代になったばかりだったんだし。
ようやく娘たちが社会人になろうという頃。
母の気持ちを思いやると想像を絶する。
わたしだって今やそのころの母の年齢を迎えようとしているのだから。
自分もそうなるかもしれないとしたらもう時間がないよとも思う。
さて、認知症。
昔は痴呆症とかボケといわれ、じゃ昔の人は一体どうやって対処してたんですか?ってことだけど。
ボケるまで長生きする人が少なかった。
脳卒中で倒れたらだいたい3か月の寝たきり状態をへて息を引き取った。
もしそういう人がいたら、座敷牢に閉じ込めた。
座敷牢のない生活の人々は、昔話にあるあの姥捨て山の伝説。
その後、自宅監禁にから精神病院、老人病院がその役割を果たす。
介護分野では1963年に制定された老人福祉法で特別養護老人ホームが開設された。
ここまで調べてみて。
あれ?
認知症って寿命が延びて増えたんだ?
それを病気と決めた。
認知症って病気?
ただの老化現象?
そういえば、いつだったか父か母の主治医が言ってた。
「徐々に脳の機能が低下して…」とか。
脳の画像(CTやMRI)をみて、「この程度の委縮は年相応です。」
それは年相応だとしたら機能低下は定められた脳細胞の老化?
単純に考えればそうだ。
病気じゃないよね?!
ふーーん。
人は老化を認めたがらないし、抗うものだ。
自分だってそう。
だとしたら、みんな心配しすぎ不安になりすぎ。
人と自分を比べすぎ。
何を根拠に似てるか似てないかもわからない理想の誰かと健康状態を比較して悲観しなくちゃなんないんだろ?
もっといろんなことを柔軟に受け入れていこうという姿勢が大事なんだよね、きっと。
生まれたときから死に向かってるんだし。
などと、とりとめもない思考に支配されたところで終了です。
昨年、今年と自分と両親の間に怒涛の変化があり、激流に流されっぱなしの日々で。
ようやくたおぶんおそらくわたしの生活に落ち着きがでてきたので、これまでを丁寧に振り返っています。
そうしたら、母が若年性アルツハイマーだろうなと気づいたのは20年も前だったとわかったんです。それまで、アバウト10-15年くらいだろうよと思って事実確認していませんでした。
いや~びっくりです。
これまでほんとテキトーにその場しのぎでやってきてたんだなと改めて気づいたのです。
さて本題。
母の様子がおかしいよっていってたころ、認知症なんて単語はなかった。
痴呆症かボケ。
今日改めて認知症について調べていていろんなことに気づいたので、そのことについて記録がてらざっくり書きます。
「認知症」という言葉は、「痴呆症」や「ボケ」という言葉がよろしくないということで、2004年にできました。そうして、「病名」として確定しました。
翌2005年から認知症を支えるサポーターを多数養成する10年間の大キャンペーン開始。
そうそう、そうだった。
だから母が病院受診を頑なに拒否し続けたのかもしれない。
痴呆症とかボケを診察する病院は、精神病院だったんだから。
そのころ、家族が精神病院にかかるなんて世間体が悪かった。
とくに地方の田舎では。
おそらくだけど、母の実母や義母にとってはもう最大に許せなくて都合が悪いことだったんだ。
母はそのことを気に病んでいたのかもしれない。
そうしてしっかり者の自分がまさかそんなって思うよ、ふつう。
まだ50代になったばかりだったんだし。
ようやく娘たちが社会人になろうという頃。
母の気持ちを思いやると想像を絶する。
わたしだって今やそのころの母の年齢を迎えようとしているのだから。
自分もそうなるかもしれないとしたらもう時間がないよとも思う。
さて、認知症。
昔は痴呆症とかボケといわれ、じゃ昔の人は一体どうやって対処してたんですか?ってことだけど。
ボケるまで長生きする人が少なかった。
脳卒中で倒れたらだいたい3か月の寝たきり状態をへて息を引き取った。
もしそういう人がいたら、座敷牢に閉じ込めた。
座敷牢のない生活の人々は、昔話にあるあの姥捨て山の伝説。
その後、自宅監禁にから精神病院、老人病院がその役割を果たす。
介護分野では1963年に制定された老人福祉法で特別養護老人ホームが開設された。
ここまで調べてみて。
あれ?
認知症って寿命が延びて増えたんだ?
それを病気と決めた。
認知症って病気?
ただの老化現象?
そういえば、いつだったか父か母の主治医が言ってた。
「徐々に脳の機能が低下して…」とか。
脳の画像(CTやMRI)をみて、「この程度の委縮は年相応です。」
それは年相応だとしたら機能低下は定められた脳細胞の老化?
単純に考えればそうだ。
病気じゃないよね?!
ふーーん。
人は老化を認めたがらないし、抗うものだ。
自分だってそう。
だとしたら、みんな心配しすぎ不安になりすぎ。
人と自分を比べすぎ。
何を根拠に似てるか似てないかもわからない理想の誰かと健康状態を比較して悲観しなくちゃなんないんだろ?
もっといろんなことを柔軟に受け入れていこうという姿勢が大事なんだよね、きっと。
生まれたときから死に向かってるんだし。
などと、とりとめもない思考に支配されたところで終了です。