海洋葬のデモンストレーションに参加させていただくという幸運に恵まれました。
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写真のパンフレットの会社の方からのお誘いです。

縁(えん) http://en1150.co.jp/

小さな方は散骨ルールBOOK  http://kaiyousou.org/
日本海洋散骨協会

 


正直結婚式よりお葬式に圧倒的に多く出席。30代から親族を何人も見送ってきたので、人の死というのを身近というか自分事として感じています。
わたしは、いつかは死ぬ。今日かもしれないし、ずっとずっと年老いてからかもしれない。
楽かもしれないし、とんだ苦しみの果てかもしれない。
親族の遺体と向き合って夜通し寄り添って一連のセレモニーから法要と徐々に日常にという流れを経験し、親族と話す時間を何度も何度も過ごしてみて思うこと。
日常には認知症両親がいたりして、姉妹で助け合ったり喧嘩したりしてて思うこと。
自分にもいつかは訪れる『死』、そうしてそのあとのこと。
そんな日常や非日常の向こう側へ行く儀式。
自然葬という選択肢があるというのに興味あります。
海洋葬ってなんだか素敵な響きさえ感じたりして。
自然にかえる美しさとはかなさが哀しみを浄化する気がする、なんてのはイメージで言うと「陽」。
実際、クルーズ船で説明を受けて。
それは当人の勝手な思い込みで、そこが生活の場の人だっている。
人の感情ってのは複雑だったんだなと「陰」の部分というといい方悪いけど。
なんてことも知りつつ。(散骨可能海域)
今回はこちら鹿児島湾の桜島を前にした神瀬あたり。
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実際の海洋葬というので感じたのは。

<お花>
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<儀式一式>
粉砕されたお骨の入った白い袋、お酒、お水
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献花散骨し、お酒お水を海へ
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最後にお花や花びらを
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例えば、これが両親とのお別れだったら。
パートナーだったら。
自分だったら。
自分のこれまでの歩みからすれば、気持ちに寄り添っていていいな。
流れる涙も、失った哀しみも、船上で感じる波の揺れに海を渡る風に自然の一部なんだと思える気がする。
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