認知症両親とのコミュニケーションをどうやってきたかを書いておきます。
あくまで私の場合です。
わたし自身にイライラや絶望がありながらも、
分かり合えてるなと幸福感を感じることができるようになっていった過程がヒントになれば幸いです。
コミュニケーションが少しでもスムーズになると、
お互いのストレスは減り、喜びが増えます。
認知症介護中のストレスの大半は、
お互いが分かり合えないこと。
正常な人に「異常行動」に思える行動も、
認知症両親にとってはそこに至るまでのストーリーがあってのこと。
正常な人には当たり前にできる動作の一部始終を、認知症両親は理解できなくて混乱していることを念頭に置くことが大切。
私自身はこのことを母との日々で積み重ね、
根気よく母に付き合い
試行錯誤の連続で体得してきました。
「相手の気持ちになって考える」
ことを掘り下げれば、
誰にでもできることです。
ちょっと話がそれるのですが、
書いておきたいことがあります。
介護職、医療関係者で、
このことを理解できていない人に多く出会いました。
母と一緒に行動するとき
わたしは細心の注意を払っているのに、
その介護職医療関係者の何気ない一言で
穏やかだった母が興奮してしまうことが多々あり、
苦労がたくさんありました。
介護職医療関係者自身に原因があるのに、
母に問題があるとみなされました。
そして母の問題を薬で抑えようとする人を見てきました。
物事を多角的に見ることなく
一方的に自分の利益のために決めつけ、
母の利益であるかのごとく装って
自分のために薬を使う介護職医療関係者がいる恐ろしさを知りました。
薬自体が悪いとは思っていません。
きちんとした理論や検証、
認知症当事者へのあらゆる影響を考えての投薬は必要です。
その人にあった処方にたどり着くまで
試行錯誤が必要不可欠だと思います。
しかし認知症当事者の生活状況、体調の変化などを
家族に詳細を聞かず
また認知症当事者の希望や家族の希望を聞かずに、
「この場合はコレ」
と一瞬の診察で決める、
またその方向に医師を誘導する施設看護師など、
怖ろしい場面を経験してきました。
そんなこんな想いがあり、
状況の対処で対応できる方法を試行錯誤し、
たどり着いたのがコミュニケーションを
細かくとりながらベターな方法を
検証していくことでした。
認知症状の程度や、
脳内のどこに異常があるかによって、
認知能力は異なります。
その程度は、
日々の体調や天候(気圧、気温差)などによって
刻々と変化しているようです。
自分に体調の変化があるように、
認知症両親の体調と認知能力には波があります。
昨日できていたことができないこともあれば、
今日はなんでもできて気分も爽快表情も穏やかで
普通に戻ったような時もあります。
まずは、その変化を読み取る目を養うことが必要です。
小さな表情の変化、
からだの一部の動き、
姿勢、
行動など。
まずは集中して認知症両親を
観察することが基本です。
毎日観察していると、
パターンがあることがわかってきます。
そのパターンも変化の幅があるので、
そういうことを記録したり、
他の家族や関わる人たちと共有します。
観察してわかったことは
自分だけの情報にせず周囲に伝えること。
より多くの人に伝えると、
思わぬ良き情報を得られることが多いのです。
観察するときは、
相手の行動を制限しない場合と、
自分がつい言ってしまう(行ってしまう)制限の場合とを比較すること。
その反応の違いから
相手を読み取る手掛かりが得られます。
その積み重ねで、
お互いの折り合いを見つける。
自分の相手に対する限界点を探したり、
相手の自分に対する限界点を見極める
という視点からでもいいと思うし、
そこの幅を広げるためには何が必要かを
考える手掛かりにしていくのが観察という作業。
相手だけでなく、
自分も同じように観察する。
観察するのは、
外見的なことはもちろん
感情や気持ちの動きもです。
相手と自分を心地よいコミュニケーションで穏やかにするためです。
介護するという場面では、
強弱の立場になってしまいがちですが、
対等の立場だということを
いつも心にとめる自制心を持つことが必要です。
それは、
相手のためもありますが、
自分のためでもあります。
同じように大切な命だから。
あくまで私の場合です。
わたし自身にイライラや絶望がありながらも、
分かり合えてるなと幸福感を感じることができるようになっていった過程がヒントになれば幸いです。
コミュニケーションが少しでもスムーズになると、
お互いのストレスは減り、喜びが増えます。
認知症介護中のストレスの大半は、
お互いが分かり合えないこと。
正常な人に「異常行動」に思える行動も、
認知症両親にとってはそこに至るまでのストーリーがあってのこと。
正常な人には当たり前にできる動作の一部始終を、認知症両親は理解できなくて混乱していることを念頭に置くことが大切。
私自身はこのことを母との日々で積み重ね、
根気よく母に付き合い
試行錯誤の連続で体得してきました。
「相手の気持ちになって考える」
ことを掘り下げれば、
誰にでもできることです。
ちょっと話がそれるのですが、
書いておきたいことがあります。
介護職、医療関係者で、
このことを理解できていない人に多く出会いました。
母と一緒に行動するとき
わたしは細心の注意を払っているのに、
その介護職医療関係者の何気ない一言で
穏やかだった母が興奮してしまうことが多々あり、
苦労がたくさんありました。
介護職医療関係者自身に原因があるのに、
母に問題があるとみなされました。
そして母の問題を薬で抑えようとする人を見てきました。
物事を多角的に見ることなく
一方的に自分の利益のために決めつけ、
母の利益であるかのごとく装って
自分のために薬を使う介護職医療関係者がいる恐ろしさを知りました。
薬自体が悪いとは思っていません。
きちんとした理論や検証、
認知症当事者へのあらゆる影響を考えての投薬は必要です。
その人にあった処方にたどり着くまで
試行錯誤が必要不可欠だと思います。
しかし認知症当事者の生活状況、体調の変化などを
家族に詳細を聞かず
また認知症当事者の希望や家族の希望を聞かずに、
「この場合はコレ」
と一瞬の診察で決める、
またその方向に医師を誘導する施設看護師など、
怖ろしい場面を経験してきました。
そんなこんな想いがあり、
状況の対処で対応できる方法を試行錯誤し、
たどり着いたのがコミュニケーションを
細かくとりながらベターな方法を
検証していくことでした。
認知症状の程度や、
脳内のどこに異常があるかによって、
認知能力は異なります。
その程度は、
日々の体調や天候(気圧、気温差)などによって
刻々と変化しているようです。
自分に体調の変化があるように、
認知症両親の体調と認知能力には波があります。
昨日できていたことができないこともあれば、
今日はなんでもできて気分も爽快表情も穏やかで
普通に戻ったような時もあります。
まずは、その変化を読み取る目を養うことが必要です。
小さな表情の変化、
からだの一部の動き、
姿勢、
行動など。
まずは集中して認知症両親を
観察することが基本です。
毎日観察していると、
パターンがあることがわかってきます。
そのパターンも変化の幅があるので、
そういうことを記録したり、
他の家族や関わる人たちと共有します。
観察してわかったことは
自分だけの情報にせず周囲に伝えること。
より多くの人に伝えると、
思わぬ良き情報を得られることが多いのです。
観察するときは、
相手の行動を制限しない場合と、
自分がつい言ってしまう(行ってしまう)制限の場合とを比較すること。
その反応の違いから
相手を読み取る手掛かりが得られます。
その積み重ねで、
お互いの折り合いを見つける。
自分の相手に対する限界点を探したり、
相手の自分に対する限界点を見極める
という視点からでもいいと思うし、
そこの幅を広げるためには何が必要かを
考える手掛かりにしていくのが観察という作業。
相手だけでなく、
自分も同じように観察する。
観察するのは、
外見的なことはもちろん
感情や気持ちの動きもです。
相手と自分を心地よいコミュニケーションで穏やかにするためです。
介護するという場面では、
強弱の立場になってしまいがちですが、
対等の立場だということを
いつも心にとめる自制心を持つことが必要です。
それは、
相手のためもありますが、
自分のためでもあります。
同じように大切な命だから。