認知症の両親が実家で生活していたころのことを思い返すと。
というかですね、まず、どういう生活だったかってことなんですよね。
昨年までの2年間、特に両親とも症状がそれぞれ進行し細かく介護保険サービスを変化させていたころのことを書いてみます。


<家族構成>

父:血管性認知症
母:アルツハイマー型認知症
長女:わたくし、既婚、夫婦二人暮らし(別居、実家より徒歩2分)
次女:ブログ名=妹次女、既婚、夫婦と子供1人(別居、実家より車で約60分)
三女:ブログ名=妹三女、独身、両親と実家暮らし(同居から昨年3月転勤のため別居)

介護保険サービスを受けるにあたって、「主たる介護者」という設定があります。
それは、介護サービスを円滑に受けるために必要です。
なにかと契約書を書かされますが、その際保証人の立場の人のことです。
一般的には、同居家族。
が、我が家の場合同居家族の妹三女は両親の認知症を受け入れがたく「自分は両親の介護をしたくない!」という主張が初期にあったため、わたし長女が別居ではあるものの(当時は、公共交通機関バス-フェリー-バスの乗り換えで片道3時間!)両親の円滑な日常生活を支えるべく主たる介護者になりました。

ここ(同居家族がありながらなんで別居長女が?妹次女はマイカーで1時間なのになんで長女が?)への突っ込みある方、後日ブログで書くと思いますのでSee you soon!

認知症といっても、それ単独の病気の方はまれでたいていの方は持病を持っており、その持病との兼ね合いが難しいというジレンマをお持ちかと思います。

まぁ、そんなこんなで、主たる介護者をやり、両親の生活の安定を支えているとなりますと、愚痴も多いし経済的肉体的精神的負担も大きいわけで。
だけども不満は多々ありながらも親孝行できるならやるし!長女として育てられた責任全うします!的な前向きな介護をやってまいりました。家族に迷惑かけまくりながらもです。
なので、そういう気持ちのご家族のあなた!主たる介護者なりゆきでやってますなあなた!とおしゃべりしてみたい!なにかお役に立てればうれしい!と思うこしょこしょこしょでございます。

じゃ、どうしたらそういう人と出会えるんだろう?
共感できる人と話したい!
ならば。
認知症介護話、聞きます!


☆こしょこしょこしょのお茶会

5月9日(月)14:00~16:00 鹿児島市内カフェにて(詳細は、申し込みされた方に連絡)
代金:ご自身のお茶代+1,000円
申し込みはアメブロメッセージかフェイスブックメッセージ(facebook https://www.facebook.com/yoshiko.matumoto.129)
でお待ちしております。
内容は、<お茶会希望>と明記のうえ、お名前、メールアドレス、メッセージでお願いします。


こしょこしょこしょこと松元佳子(まつもとよしこ)プロフィール

1968年鹿児島生まれ、鹿児島育ち。愛知大阪をへて鹿児島県鹿屋市から現在鹿児島市在住。
母の若年性アルツハイマー発症から20年、脳卒中を患った父の血管性認知症発症から8年、両親と家族に寄り添う介護に専念。現在両親は紆余曲折を経て施設入所に至る。