日記を振り返ってみるシリーズ、父編です。

この頃の父は、母の介護に疲れ果ててストレスが極限を超えはじめていたんだろうなと思います。父の認知の症状が急激に進行しはじめたのです。
そうはいっても、アルツハイマーの母を支えるので精一杯の日々でした。
父が元気でいてくれなくては両親の今後も自分たちのこれからも真っ暗闇のような気がし始めていました。いくら前向きに思っても、やはり心配不安怖れは前向きな感情を超えるくらい襲ってくるもの。
襲われてもなんとかかわさなくては!ということで。
この日の日記は前向き。(いつもは後ろ向き)
頑張ってたな~自分!です。

当時、両親は妹三女と同居しておりましたが、妹三女は実家に間借り状態、というのは両親の病気を精神的に受け入れられていない状況だったので両親の生活は父の頑張りとわたしと妹次女の週に1~3回のフォローで成り立っていました。なので、実家パトロールと称し私は公共交通機関(バス-フェリー-バス)で片道3時間ほどかけて通っておりました。
片道3時間!
フェリーなんぞに乗ると(約40分)、物憂げにもなるし、気分転換にもなるし、気持ちを切り替えられればプチトリップだったり、悲しいとき寒いときに頂くフェリーのうどんはあったかかったな、思い出には事欠かかないんですよね。
とかなんとか書くとあれですけど、たいてい爆睡!
話がそれました。


2008年5月29日の日記より

父の介護認定が要支援2となり1週間。
昨日包括支援センターのケアマネージャーさんから電話があった、と父。
今日は実家パトロール日で私も実家に在宅、さっそくケアマネージャーさんに電話したら訪問してくれるというので、お願いしたところ、すぐに来てくださって、こちらの相談内容に即したケア施設のパンフレットなどで簡単な説明をいただき、見学や体験は申し込みしたらできますのでぜひしてください、といわれる。
父も乗り気でパワーリハビリテーション*1の体験をしてみる!というのでさっそく申し込み。
来週には体験出来そう。
母のデイサービスとの調整も施設に電話相談したら「大丈夫ですよ!」と返事を頂き。
あっという間に段取りがついてビックリ。ぐずぐず悩んでできない言い訳探してうやむやっていうパターンが多い父には珍しい。ざっと二時間弱の間にあれよあれよ。これまでこんなにスムーズに事が進んだ経験なかったから、棚ぼた?って感じ。


*1 パワーリハビリテーション
パワーリハビリテーション機器によるマシントレーニング。
使っていない筋肉を動かすことで活性化し、日常生活動作の改善をはかる。
使っていない筋肉を動かすので通常のマシントレーニングによる筋肉強化とは異なります。

詳しくは、こちらでどうぞ。
https://www.powerreha.jp/rehabilitation/


父自身は、認知能力の低下よりも、からだの動きが悪くなっていることのほうを気にしていました。
なので、母の場合と違って、からだを動かすことにフォーカスしたのはよかったなと思います。
からだが動かしやすくなれば、気持ちも上向きになります。
からだを動かすことは、メンタルと密接に関係してると実感しだしたころ。
母もデイサービスで散歩に連れ出してもらって、明るくなっていました。
日中母がデイサービスに行ってしまうと、まったく動かずゴロゴロしてる父。
体力も衰えて、認知能力も衰えて、と衰えを実感し始めて不安だった時期、すこしでも何かを改善できるなら何でもしてみたいと私も父も強く思っていたのでした。

この後、一日体験をし、すぐにパワーリハビリ型のデイサービスに通いはじめました。
家での様子とは一転、活動的で元気だと担当者から伺いました。
家での様子は、変わらないどころか外で気を張ってからだを動かして適度に疲れてしまい、返ってゴロゴロするようになって母のお世話も面倒になった部分もありました。
妹三女にとっては、嫌な感じだったみたいだけど、家でゴロゴロして母のお世話に明け暮れて疲労困憊の父が、外で刺激を受けてからだも動かせてよかったなと思いました。

家族それぞれに役割があって、その役割から離れられる時間もあって、バランスよく日々の生活を送れるようにすることは介護生活で重要なことだと思います。