昨年から終活ワークショップに参加しているこしょです。
終活ワークショップはこちら https://www.facebook.com/events/1545168065798410/
そもそも認知症になってしまった両親の生活のお手伝いをするようになって、それが介護へと移行していったのですが、両親に付き添って病院に行くにしても、介護保険の申請手続きをするにしても、病気で入院するとき、介護サービスを受けるとき、施設に入所するとき、つまり人生の節目になるようなことすべてに、その人自身の生活歴が必要になるんです。
身近なとこだと、入院。子供のころからの病歴を聞かれ、持病があるならお薬手帳の提出または服用しているお薬のリストが必要です。
病気によっては、家族や親族の持病病歴を聞かれることもありますよね。
そんなとき、たとえ自分のことであっても、いつどんな病気をしてどんな治療を受けてとあなたは即座にこたえられるでしょうか?
答えられるあなたは素晴らしいです!
ご自分にしっかり向き合われてそのときが来ることを知って準備されてきたのですね!
ありがとうございます!と他人ごとながら嬉しくなります。
とかなんとかいっときながら、自分は怪しい。つまり堪えられない人!
そこで、終活という言葉が気になり、そーだ!親がどーのつってる場合じゃないんだよ!
自分も準備しなくちゃ、生まれてだいぶたってるんだよ!(危機感)
これまでなんとか生きてきたのも奇跡!
そんなわけで終活ワークショップに参加し、エンディングノートを書きました。
これが、簡略な書式であるにもかかわらず、結構自分にはヘビー(藪蛇)
自分に向き合っちゃうわけですから。
友達いないしー。
親のことどころか、自分のことさえ、わかってないじゃんっ!
で、そのエンディングノートをベースに、自分の経歴書を現在作成中。(塾の宿題提出期限は過ぎている、チーン!)
それにしても。自分のもできてないのに、まず母のそれを作る羽目になったのがいまから20年くらい前です。
そのときは、生活歴そのものの重要性を知らなかったので、言われるがままにざっくりわかる範囲で(誕生、学歴、職歴、家族構成、趣味、など超基本情報のみで、書く価値があるのかも微妙なくらいの内容)行き当たりばったりで作って、コピーも取らず保存もせず、、、(あほ!)、そのようなことを数回繰り返してようやく、メモするようになりましたが保管場所を決めていなかった。
ここでお気づきかと思いますが、整理収納も大切です。(余談)
なので、生活歴を求めらる都度、「あれって面倒なんだよなー時間かかるし、やりたくないなー、やだなー、困っちゃうよなー」って先延ばしにして、期限直前ぎりぎりに形式上仕上げるという最悪パターンを繰り返しており。(いい加減気づきなよ!自分!)
そうして、そのときはやってきました。
自分の経歴書を作成するという宿題が。
覚悟を決めていたとはいえ、なかなかの逃げ腰な及び腰で。
その宿題と同時期に、父の生活史を書くという課題もやってきました(施設入所時の必要書類)。
が~~~~んっ!
覚悟を決めたとたんこの試練。。。(あとでご褒美になること確実)
父のは、こんどこそまじめに妹次女と二人で実家に集合しごみ屋敷を掘り繰り返してひとつひとつ拾ってみたものの。
えーーーー、こんなに時間かかるの~~~~~~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
この後、自分のが控えてるのに?!まじ?!
しかし、ここで発見がありました。
父のを探したら、母のも出てくるし、なんと私たち姉妹のだって出てくる。(参考資料:写真という名のアルバム記録、日記、成績表、手紙などなど)
ついでに、みんなの書いちゃえそうじゃん!
でも、時間が足りな過ぎて、ほどほどにスルー。
保管場所だけ確認。
結局父の生活歴A4用紙2枚程度でさえ、まともに書けない。母の場合とほぼほぼ変わらなかった。
がっくり。。。。
で、自分のやつを書いてるわけですが。
父の場合を踏まえて、ゴミに捨てようとしていたルーズリーフを歳の枚数だけピックアップし、書類を整理しながら、書いています。
あーどうしてあの時、このパンフレットに年月日書いていないんだろう!意外と月日はかいてるのにな!惜しい!使えないじゃないか!
そんなんではかどるはずがない!
ここでまた脱線。
実家で探しきれなかった、父の経歴のとある数年の資料、わたしが自宅で保存していました。
それは、母がアルツハイマーの診断をようやく受けたころからの数年にわたってのもの。
自分のスケジュール帳とは別に両親の実家での生活の記録をメモしたメモ帳やメモ紙ノートなどが何枚も何冊も発見されました。すっかりその存在を忘れていたもの。
それを父と母と自分用に拾いながら読んだのですが、涙が出始めて止まらないし、号泣しちゃうし、もう大変なことになっちゃって。
あの時期、つらくて、つらくて。
わからないことばかり、相談するところがわからなくて、散々探して相談にいっても全然相談に乗ってもらえなくて(知識がないから)、なのに親族からは責められて、孤独で、私と次女と二人で泣きながら踏ん張っていた時期。このころ妹三女は実家住まいながらノータッチといっても過言ではないほどだった。
とかなんとか、私にとって経歴書はずしーーーんっとする。
いや、経歴書に便乗して自分の生活歴を書いてるからそうなってるんだった。
いやいやいや、はやいとこやっちまおう!
自分に向き合いすぎて気持ち病とかシャレになんないじゃん!
みなさま、生活歴はこまめに更新することをお勧めします。
意外と日記書いてても書き逃してることは多い!
そうして、書いたものは、一か所にまとめるです!
see you!
終活ワークショップはこちら https://www.facebook.com/events/1545168065798410/
そもそも認知症になってしまった両親の生活のお手伝いをするようになって、それが介護へと移行していったのですが、両親に付き添って病院に行くにしても、介護保険の申請手続きをするにしても、病気で入院するとき、介護サービスを受けるとき、施設に入所するとき、つまり人生の節目になるようなことすべてに、その人自身の生活歴が必要になるんです。
身近なとこだと、入院。子供のころからの病歴を聞かれ、持病があるならお薬手帳の提出または服用しているお薬のリストが必要です。
病気によっては、家族や親族の持病病歴を聞かれることもありますよね。
そんなとき、たとえ自分のことであっても、いつどんな病気をしてどんな治療を受けてとあなたは即座にこたえられるでしょうか?
答えられるあなたは素晴らしいです!
ご自分にしっかり向き合われてそのときが来ることを知って準備されてきたのですね!
ありがとうございます!と他人ごとながら嬉しくなります。
とかなんとかいっときながら、自分は怪しい。つまり堪えられない人!
そこで、終活という言葉が気になり、そーだ!親がどーのつってる場合じゃないんだよ!
自分も準備しなくちゃ、生まれてだいぶたってるんだよ!(危機感)
これまでなんとか生きてきたのも奇跡!
そんなわけで終活ワークショップに参加し、エンディングノートを書きました。
これが、簡略な書式であるにもかかわらず、結構自分にはヘビー(藪蛇)
自分に向き合っちゃうわけですから。
友達いないしー。
親のことどころか、自分のことさえ、わかってないじゃんっ!
で、そのエンディングノートをベースに、自分の経歴書を現在作成中。(塾の宿題提出期限は過ぎている、チーン!)
それにしても。自分のもできてないのに、まず母のそれを作る羽目になったのがいまから20年くらい前です。
そのときは、生活歴そのものの重要性を知らなかったので、言われるがままにざっくりわかる範囲で(誕生、学歴、職歴、家族構成、趣味、など超基本情報のみで、書く価値があるのかも微妙なくらいの内容)行き当たりばったりで作って、コピーも取らず保存もせず、、、(あほ!)、そのようなことを数回繰り返してようやく、メモするようになりましたが保管場所を決めていなかった。
ここでお気づきかと思いますが、整理収納も大切です。(余談)
なので、生活歴を求めらる都度、「あれって面倒なんだよなー時間かかるし、やりたくないなー、やだなー、困っちゃうよなー」って先延ばしにして、期限直前ぎりぎりに形式上仕上げるという最悪パターンを繰り返しており。(いい加減気づきなよ!自分!)
そうして、そのときはやってきました。
自分の経歴書を作成するという宿題が。
覚悟を決めていたとはいえ、なかなかの逃げ腰な及び腰で。
その宿題と同時期に、父の生活史を書くという課題もやってきました(施設入所時の必要書類)。
が~~~~んっ!
覚悟を決めたとたんこの試練。。。(あとでご褒美になること確実)
父のは、こんどこそまじめに妹次女と二人で実家に集合しごみ屋敷を掘り繰り返してひとつひとつ拾ってみたものの。
えーーーー、こんなに時間かかるの~~~~~~。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
この後、自分のが控えてるのに?!まじ?!
しかし、ここで発見がありました。
父のを探したら、母のも出てくるし、なんと私たち姉妹のだって出てくる。(参考資料:写真という名のアルバム記録、日記、成績表、手紙などなど)
ついでに、みんなの書いちゃえそうじゃん!
でも、時間が足りな過ぎて、ほどほどにスルー。
保管場所だけ確認。
結局父の生活歴A4用紙2枚程度でさえ、まともに書けない。母の場合とほぼほぼ変わらなかった。
がっくり。。。。
で、自分のやつを書いてるわけですが。
父の場合を踏まえて、ゴミに捨てようとしていたルーズリーフを歳の枚数だけピックアップし、書類を整理しながら、書いています。
あーどうしてあの時、このパンフレットに年月日書いていないんだろう!意外と月日はかいてるのにな!惜しい!使えないじゃないか!
そんなんではかどるはずがない!
ここでまた脱線。
実家で探しきれなかった、父の経歴のとある数年の資料、わたしが自宅で保存していました。
それは、母がアルツハイマーの診断をようやく受けたころからの数年にわたってのもの。
自分のスケジュール帳とは別に両親の実家での生活の記録をメモしたメモ帳やメモ紙ノートなどが何枚も何冊も発見されました。すっかりその存在を忘れていたもの。
それを父と母と自分用に拾いながら読んだのですが、涙が出始めて止まらないし、号泣しちゃうし、もう大変なことになっちゃって。
あの時期、つらくて、つらくて。
わからないことばかり、相談するところがわからなくて、散々探して相談にいっても全然相談に乗ってもらえなくて(知識がないから)、なのに親族からは責められて、孤独で、私と次女と二人で泣きながら踏ん張っていた時期。このころ妹三女は実家住まいながらノータッチといっても過言ではないほどだった。
とかなんとか、私にとって経歴書はずしーーーんっとする。
いや、経歴書に便乗して自分の生活歴を書いてるからそうなってるんだった。
いやいやいや、はやいとこやっちまおう!
自分に向き合いすぎて気持ち病とかシャレになんないじゃん!
みなさま、生活歴はこまめに更新することをお勧めします。
意外と日記書いてても書き逃してることは多い!
そうして、書いたものは、一か所にまとめるです!
see you!