いろんな方々のブログを読むのですが。


自分もこうありたいと思うようなお手本を示してくださっていらっしゃる方々に多く出会えるのは、ネットの素晴らしい部分だと感謝しています。

ブログを発信してくださる方々、ありがとうございます!


今朝は、こちらのブログ を読んで、自分の思う思いやりはこれだなーって思ったっていう話です。


思いやりのある人とない人の違いについて言及されています。

両親の介護をはじめるにあたって、わたしが家族に対して抱いている思いやりは、まさにこれです。

自分よかれだけではない。






『思いやりとは、相手のことを考え行動し成果を出せるかどうか』


「成果を出す」とは、相手の現実を作る。


現実を動かさないで、思うだけ、考えるだけはないのと同じ。

行動しても成果が出なかったら、やらなかった、やらないほうがよかったと同じ。






大切な自分の生きてる時間を家族の命のために注ぐと決断したのも、この思いやりによるものだったと思います。


決断はしたけど、それが自分の動機が曖昧でしたが、わたしのは思いやりだったなと。

自分に対しても、相手に対しても、常に行動するとしたら思いやりをもっていたいと思います。

いい意味での自分と相手の境界線を引かない感じでしょうか。

中途半端になりがちなわたしなので、そこをとことん追求して今後は生きていたいと思っています。



ですが。

この思いやり、自己満足になりがちです。

ほぼ自己満足なんじゃないか?っていうときに自分に葛藤が起きてネガティブに傾くんですな、わたし。

行動しても成果が出なかったらやらなかったと同じ。

相手が不満だったら、迷惑ってことだから。


親のことなんて、知らないことだらけです。

知ってるつもりだっただけで。

相手を知ることからはじめようという謙虚な姿勢なしに、私自身も相手も満足する介護なんてできやしない。


この相手を知るという努力は、自分というものを知るという努力にもなります。

現実にあることを、自分がいいように解釈しがちなので。

そこに違った視点を取り入れるようなことを試してみる。

一つの物事、事実には、いろんなとらえ方ができるし、そのポジティブな点をとらえるのか、ネガティブな点をとらえるか、すべてを俯瞰してから自分はこの視点、相手はこの視点と理解して、相手のニーズを定めていって妥協点で介護するってことを自分は試行錯誤してきたなと今ようやく気づきました。


今は、両親それぞれが、病院と施設にいるので。

両親だけの視点、両親を介護する家族それぞれの視点から、そこで両親をお世話してくださるそれぞれの職種の方々の視点もあるのだと学び中。

より複雑になってきました。

徐々に慣れて、自分のためにも相手のためにも気持ちよくいることができるように。

だけど、なかなか自分も変わりません。

いやー、つらいことのほうが多い。

行動するってどうも苦手。

面倒でしょ。

動くから、躓くし、コケるし、ぶち当たるし、けがもすれば、血も流れる。

だけど、それが人としての成長。

がっつり体験しとかないとな。

思いやりを持ち追求するということが私の根底みたいだから。


楽しい視点でもって、ゴリゴリ思いやり活動できたらさいわい。