どうしても家族のことから考え始め、行動してしまう。




それも母が認知症になった期間は私が就職したころからなんで、母だったらあんなことやそんなことするかなー?とか父も一般的に言われるような親の役割なんて放棄してたというか母にやらせてたから、わたしときたら妹たちに対して親の役割まで気遣ってしまうっていうアホさ加減。




明日は、旦那どのがお休みだから○○して△△しようかなー。


今日は、妹三女が実家に帰省中だから、◇◇して□□して・・・母だったら▲▲してあげっちゃったりするかなー?!





自分は?


はて?




どうにも親に刷り込まれた、長女という役割のみを求められた自分と。


祖母たちに刷り込まれた、役割で生きる生き方。





ほんとしみついちゃってるんだよな。


自分がいなくなっちゃうんじゃないかってくらいに。



窮屈すぎる。



でも、気づくと、その窮屈に長く住み込んでたから、心地よさも感じてるんだな。


家族に何かしてあげられる自分の思いやりや能力に酔っぱらってるんだろうな。


そういう狭いとこでしか自分の価値を見出せない無価値観に浸ってるのかな。




いいわけなのか何なのか?


仕事の旦那どのに朝食も弁当も作らず、布団でぬくぬくまたは、両親介護のために自分の準備だけするようになったのは、今年になってから。


自分のことだけするというミッションに頑張って耐えて耐え抜いたら、旦那どのに感じていた罪悪感からほぼ解放されました。


やっぱり、行動したら慣れるのか?



こんなわたしを見守ってくれる、自分のことは自分でできるという旦那どの。


旦那どのというパートナーがいてくれて、しあわせだなー自分。



でも、それでいいのか?疑問もある。



そういう自分のなかのせめぎあいが、ひとつひとつにあって、ディープに見てしまって、考え込む。


考えるな!考えろ!


を行ったり来たり。


こうやって日々が流れてる。




いやー、行動するってことがやけにハードル高くてしんどいです。


こんなこと書くなんて、冬が近づいてるなぁ。


冬は冬眠したいんだよ、ほんとは。


今はたくさんたべて脂肪をため込んでぐっすり眠りたいねー。



ってグダグダすぎて笑える。



今、恐ろしく両親の書類をため込んでいて(9か月分)現実逃避してるんですよ。


順番も分類もなんもかんもぜーんぶごっちゃんごっちゃんにした山があっちこちに点在してて、整理整頓が苦手なんで、そのままゴミ袋に放り込んで捨てたい衝動を抑えるのに必死。


これをクリアしないと来年の父の確定申告ひいては生計が立ち行かなくなるのはわかってる。


でもしたくない。


ジレンマ。


や、やればいいだけなんだけど、そこにモチベーションを持っていけないくらいグダグダ。




というわけで。


どこまで続くか現実逃避思考の旅。