自身の結婚前から母の異常に気づいてはいた。
結局母はアルツハイマー型認知症だった。
病院を受診し、診断を受けるまでの道のりの長かったこと!
もう二度とあのような経験はしたくありません!
で、その後、頑なにに自分の病と向き合うのを拒んだ母に寄り添ってきたのですが。
母本人は地獄の苦しみだろうと実感しましたが、本人が地獄と思えば思うほど、家族はさらに地獄だと知りました。
で、母が自分の現実を受け入れられなくて、そのままに症状が進行してしまったので、
母がどう生きたかったのか?
母は何が好きでやってみたかったのか?
どういうものに囲まれて心穏やかな時間を過ごせるのか?
などということがわからないわけです。
そういうことを子供に話す人でもなかったし。
自分のことには無口な母。
ただ、ひたすら家族の幸せを願い、自分の幸せをいう人ではありませんでした、と想像しております。
だから、困る!
というのが本音。
なんで、自分の気持ちをどこかに書き残してくれなかったの?
そんな経験から、もしも自分が認知症になったらこうしてほしいとか思うことは書き残しておきたいと思うようになりました。
いつ死ぬのかなんてわかりませんが、
ぽっくりいけたら本望ですが。
どうなるかはわからないので。
ありがたいことに、家族はわたしの希望をできる範囲でかなえてくれるというので。
エンディングノートを書きたい!
と思った次第。
それとは別に。
父の父、祖父が、自分の死後、自分の妻=祖母や家族に指示書のようなものを書き残していたと叔父(父の弟=次男)に聞いたことがありました。
我が父は長男ですが、長男の風格も威厳もなーんもない人で、自分の本心に忠実ですが家族の気持ちなんかを理解し汲み取ろうということは思いもしない人なのです。
それがわかってるから祖父は書き残したんだろうなーって。
それに従って、祖父の死後の処理は行われたらしいのです。
なるほど、だから父が喪主を務められたんだ、、、、納得したこしょ。
そういう記録があったことを父は、自分だけの秘密にしていたらしいのですが。
意図があったのかなかったのかは不明。
祖母の介護問題が起こったとき、すでに母がアルツハイマー型認知症だったので、祖母のことは知らん顔した父。
自分には祖母の面倒は見れない。とだけ宣言!
えーーーーーっ?????
ですけど。
それで済ませてしまえる父。
すごいなーーー。
ある意味うらやましい。
えー、ですので、それじゃふつう兄弟でもめますよね?
そこに首を突っ込んだこしょです。
揉め事は作る前に解決したい。
状況がわかっていて、どうしたらいいかわかっているのは自分しかいないと思ったので。
そんなこんなで、父の兄弟と連絡を取り、また兄弟が結束力あったので、助けられ、現在に至る。
祖父のエンディングノートとはいえるかは微妙だけれども、書き残したノートがあったことで、家族が救われ、祖母のことも、みんなで助け合うことができた。
このことは、私にとって、書き残すことで伝わる愛情もあるということを知る機会となったのでございました。
この終活というものが、リアルに実感する世代の父にわたくし、
自分(父)死について考えるなんてなんて酷いんだ!
と言われました。
人としてどうか?的非難を受けた次第。
それは、お墓とか、父の実家の家とか、お仏壇とか、現実的な問題を『知らん』といえる父にはそういえるかもしれないけど、後に残った私たちは大問題です。
無責任に生きていいんですか?
何にも持ってなくて、お金もないのも困るし。
なんか知らないけど、いろいろあるってのも困る。
で、あとでお役所とかから、いろんな書類とかきて、あーだこーだって言われたときの恐ろしさ。
わけわからんものは恐怖でしかない。
父のことは、まぁ根気よく付き合うしかないけど。
自分のことは、クリアにしておきたい。
いやいやほんまに、いや、ほんまに!
こんな両親で育ったので、自分の人生の棚卸はしんどくて仕方ない。
いい思い出を書きたいけど、嫌な思い出ばかりがよみがえる。
ふつうは逆らしいけど。
嫌な思い出が多すぎて、つらい。
感謝できる人が思い浮かばない。
えーーーっそんなーーーーー!
驚きが沸き上がる。。。。
いや、この向こうに、きっといい思い出が出てくるはず。
パワーショベルで深堀ぃ~~~~!
まさかねー、ほんとにねー、自分には驚いてばかり!
秋の夜長、闇も深いのか?
お月さま~~~~明かりを~~~~~~