子どもの頃って、本やテレビや聞きかじって知ったこと、驚いたことで、自分でできるかも!って思ったこと、片っぱしからやってみたりしませんでしたか?
こしょはなんでも自分でやってみたい派。
え?そうなの?そんなことできるの?
って思ったらもうからだが動いちゃうようなヤツで。
まじめに練習したのがー。
右手と左手を同じように使うこと。
お箸、字、ボール、ラケットなんでもーーー。
右利きに矯正されたみたいで、左手を使うのはあまり難しいと思わなかったかも。
>小学2-3年のころチャレンジした記憶あり。
今できるか?
>使ってないからなー?どうなんだろ?
めっちゃへたくそやった…。
>ハイ!今書いてみました。
あとねー。その後、両手がない同世代の子どものドキュメンタリー番組をみてー。
よし!わたしも足で字を書いてみよう!
>その子の気持ちを追体験してみたいという好奇心だったと思う。
これは、かなり難しかったなー。
>必死で練習。
つくづくヘンな子どもだったな。
コレを見てこしょ親、無関心でした。
>信じられない!
声もかけられた記憶なし…。
>妹たちは覚えていて、お姉ちゃんって変わってたよねって。
それからお坊さんの修行をやってみたくなって調べたんだけど、よくわからなくて。
祖父に聞いたら、座禅を組むポーズを教えられたけど、足とか太くて出来なかったのであきらめた記憶あり。
あ。アレもやったな。
忍者の特訓。
コレは自分が思うより運動神経がないってことに気づいて挫折。
同世代の子がバレリーナになりたくてレッスンを受けてる映像をみて母にバレエ習いたいっていったら、「うちは貧乏だからできません」って。
フィギュアスケートを始めてみたときも、氷の上で滑ってみたいとおもったしー。
スキーって面白そう!っておもったしー。
>南国育ち、雪も珍しいので、あきらめてはいました。
大学生のころ、チャレンジしてむっちゃ面白かったですーーー♪
なんでも自分で経験したいと思って、なるべくやろうと思ったのは、たぶん本に書いてあったんだろうと思う。
若いうちは経験が足りないから、読書で教養をつけて経験を疑似体験しなければならない的な内容だったのを信じていたんだなー。
それが、だんだんやる気を失って、行動しなくなって、あきらめがちになったのが、高校1年の春。
担任のキビシイ締めつけでしたね。
>どうしてこうも定期的に締めつけにあうんだろう?なんて私は不幸なんだ!
とものすごいネガティブの海底に沈んで行った高校時代なのであった…。
進路選択間違っちゃったんだなー。
>それも自分の迷いが原因だ、今ならわかる。
それにしても、なんであの担任の先生は生徒に強制して縛りをたくさん与えてがんじがらめにしたのであろうか?
たとえば。
中学時代運動系の部活をしていなかったものは、運動系の部活動はダメ。
中学時代、部活動していなかったものは、文化系でも担任に相談なしに入部してはダメ。
ダメダメ星人だったなあの先生。
子どものころからの拒絶反応で、必死で抵抗したこしょ。
>大っきらいと激しく思うと、もうどうにもとまらないのはトラウマだったんだねー。
勉強までも嫌いになって成績急降下。
生きる気力まで失くしてた時期もあった。
それでも、部活するという目標で担任に強く反発し、強行突破入部、部活に逃げました。
>そのおかげで親友を得たんだなー。
親友を得たことは今でも喜び。
世の中、自分に起きること、それは表裏一体で。
判断するから感情がうまれ、振り回されるのでありましょう。
それが人らしい気もします。
で、そこから、自分というものが表現されてるということに気づくというかー。
>面白いね。どんな経験も。
で、どんどん、わたしって誰?とかーーー。
なんで生きなきゃいけないの?とかーーー。
自分を深堀して迷路っていう、自分探しの旅に憧れる大学生になったのであった…。