両親とも認知症のこしょです。
今日はとても抽象的なことが書きたい気分です。
介護歴は、母の若年性アルツハイマーからですので、長い。
>人生の半分くらい
ちょっとだけ、言い過ぎました(* ̄Oノ ̄*)
昨今、認知症が取りざたされてますけど。
>怖いという感情をあおるような報道とか番組とか。
そりゃ、怖いのは怖いものです。
完治する薬がないとか。
研究は進んでるけど、とか。
まーねー。
そうなんですけどね。
怖がって何もしなければね、もっともっと怖くなって。
どうしていいかわからないっていう思考停止に陥って。
おしまいですよね。
じゃ、どうするんですか?
って、自分で向き合わないとーーー。
認知症っていっても、それぞれなんですよね。
病院の先生だって、詳しくわかってる先生なんて、そんなにいらっしゃらないんですよ。
認知症専門医とか看板や経歴に書いてらっしゃる先生方もいらっしゃるけど。
ほんとに頼りになる先生なんて、ごくごく少数だと思います。
>わたしは、まだ実際にお目にかかったことがありません。
だけど、わたくし両親それぞれの主治医を信頼しておりますし、尊敬しております。
>それとこれとは、別ってもんです。
どんな病気も病院に行けばよくなるなんていうのは、思いこみ。
実際そうだと思いませんか?
大事なことは、ちゃんと自分と向き合えるかどうかです。
>たぶん。
覚悟を決めるかどうか。
だってさー。
病気だって、健康だって、
どんな人でも、
死ぬまでは、生きてるんですよ。
毎日の生活を、自分の時間をどう生きたいのか?
大義のある人でもない人でも。
多くの人の生活を背負ってる人でも、自分だけのお気楽な人でも。
生きてることは平等だと思うなー。
自分軸がない人が、怖がったり、怖がらせたり、面白がってたり、踊らされてたり。
わたし、個人的には、ですけど。
認知症になるかならないかは、生き方なのではないかとこの頃思うようになりました。
感情や思考といった人間らしい部分?特徴の部分の扱い次第ではないのかと。
いろんなことをないことにしたりー。
感じない、感じてないふりをしたりー。
こういうのって、自分を殺してる部分です。
その部分があまりにも増殖し過ぎた時、人は壊れるんじゃないでしょうかね?
善悪、陰陽、男女というようなものは、対比であって、どれも同じに存在してる。
そして、その間のグレーゾーンも同じにある。
その中で、どちらかの部分だけをなかったことにしたら、バランスが崩れる。
バランスが崩れたら…ってこどですよね、たぶん。
認知症がいいとか悪いとか、判断するのをやめて。
そのままを受容できるように、そのプロセスを歩むことも、人生の大切な時間。
そういうので、いいじゃん☆
と、わたしは思います。
今までだって、あったのに、さも最近の病気みたいに。
そうして、認知症の人が悪いみたいに。
かわいそうみたいに。
関係者を憐れむみたいに。
迷惑してるみたいに。
奢ってるんじゃないよーーーー!
って思っちゃったりすることもあります。
心穏やかに過ごせるように。
自分と向き合って。
家族と向き合って。
知ること。
それぞれを尊重できるよう歩み寄ること。
どんなことも、自分が当事者にならなければ、わからんもの。
そこから、学べることを学んで実行して。
人生が豊かなアトラクションとなるんじゃないでしょうかねー。
なーんて。