先ほど、お気に入りの方の文章を読んでいたら。


その一部に。


素敵なところがありまして。




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今に意識を向けると、いろんなことに気づきます。

自分は必要な出来事をちゃんと引き寄せていること。
自分の周りは豊かであること、愛があること。
いえ、自分が豊かさであり、愛であること。

しかしそれは、自分以外の何かになろうと頑張っていたりしていたら、
絶対に気づかないこと。

あなたは何にならなくてもいい。
あなたはあなたであればいいんです。


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特に、自分が豊かさであり愛であるというところ。



夕方、母をデイにお迎えに妹次女と行って、母の持病で病院と薬局に行って、夕飯のおかずを調達にいって、実家で母の食事介助をしてきたのだけど。



以前は、嫌々やってたことが多かったのだけど。


>上に書いたどれも。



特に食事などの生きることの最低限(生理的)に関わることは、どんなペースで、どのくらいの量を、どんだけ時間をかけて、どんな順番で、何をしゃべりかけながら、って、他にもいろんなことを考えてわからないことだらけだったから。



母のペースでしてもらおうと思いながら、自分の時間の都合や気持ちの都合をおしつけようとしていることに気づいていたけど、やめられなかった。



今は、100%母のために、しっかり向き合って介助できるようになった気がしてる。


わりと、待てるようになった。


その時の自分の状態を相手に伝えることが大事なんだって気づいた。


そうすると、母とわたしの間の壁がなくなって、穏やかでひとつの場所に存在してて、食べることなんかの生理的なことが生きてることで、それをすることができる自分はしあわせなんだって気づかされて、それは、母も同じ気持ちで、食べさせてくれるわたしに合わせてくれてるんだってわかったから。



無理に何かをしようとしなくても、考えなくても、そこに一緒にいることを感じることができれば、それでコミュニケーションは取れるんだってわかってきたんだ。



相手のことがわからないって思いだしたら、もう思考がつくづく先回りしたり、反省したり、今この場所から離脱しちゃってる。


>そう言う状況だと、心ここにあらずだ。


ここで、相手と呼吸を合わせて、時間を共有していることだけに集中することが大事なのに。


>だけど、これは、なかなか難しいよ。


誘惑が多過ぎる。


モノが多過ぎる。

目に入るモノが惑わせる。

>そんなことを、思って。


とにかく、一緒にいる人とは、自分が豊かさであり愛であるということを思えたなら、最高にリラックスできるだろうなー♪(*^^*)



母の介護に向き合わなかったら、知ることのなかったこと。


>母さん、ありがとう☆



これも愛だね♪