この頃毎日のように実家に通い、

両親の生活がスムーズに進むよう

両親が出来ないところを

さりげなくフォロー。

 

実家では母がまるでかるがものあかちゃんのように、

わたしの後をついて歩くようになりました。

きっとわたしといると安心なんだと思います。

 

なぜならわたしは、

母が何をしても怒らない。

 

それは、

母が何かするということには、

理由があると知っているから。

 

母は自分がどうしたいのか?

言葉で自分を表現できない。

だから行動で伝えている。

とわたしは捉える。

 

常にわたしは

母が何を伝えたいのか?

考える。

 

母のその行動は、何なのか?

トイレに行きたい!

お腹がイタイ!

お腹がすいた!

つまんない!

一緒にいたい!

 

行動の要求や感情表現。

想像の大海原w

 

もどしてw

伝える母は必死なので、

その母の必死さが、

家族にとって耐えられないトラブルになることが日常茶飯事。

 

その母の必死ぶりは、

赤ちゃんのよう。

これがほんとに赤ちゃんだったら、

成長する分楽しみなんだけれど。

 

いかんせん過去しっかりものだった母。

良妻賢母だった母。

その激変ぶりに家族はなかなかついていけない。

感情はパニック。

アルツハイマーは脳の病気だ。

母は病気なのに、仕方ないのに、

わたしたち家族はいつまでも

「なんで、どうして?」が脳内嵐。

受け入れることは不可能。

この段階が長い。

これまで一緒に生きてきた年月だけパニックになる。

 

 

さて母。

食べようとしてこぼしたり、

自分でコップを持とうとしてぶちまけたり。

トイレを失敗したり、

上手に歯磨きできなかったり、

洋服をうまく着ることができなかったり。

子どもにもどったよう。

 

親が携帯ばかり見ていると、

携帯をいじりたがる、

ようなことばかり(笑)

 

というようなことから、

母が家族の大切なものを、

いじりはじめたら、

それは何かのサインということ。

 

「かまって!」なのか?

「トイレ!」なのか?

もっと他の何かなのか?

 

常にそのサインが何かわかるわけもなく、

かといって常に様子を見守り続ける余裕はない。

 

できるだけ何を訴えたいのか?

理解するよう努力はする。

 

何かひとつのサインだけでも

何がしたいということか理解することができたら、

母を助けることができる。

 

わたしはそう思って、

父や妹たちに伝えている。

 

がしかし!

父!

父だ!!!(激怒w)

 

※わたしが激怒するわけ

彼は自分の思考と感情に素直過ぎる。

つまりブレーキがきかない。

それは脳卒中の後遺症な部分と素と両方。

なのだが、母よりずいぶんまともなので

そこにわたしがイラッとする!

「これくらいわかってよ!(激怒)」

とプンプンしながら

モノにあたらないよう気をつける

我慢強いわたし(部分的自画自賛、笑笑笑)

 

 

だいたい父は、

母と一緒の時間をうっとおしく思っている。

家族以外の人の目があれば、

母に優しい父だけれど、

わたしたち姉妹がいると、

母を完全に無視している。

そこがわたしのイラッとするポイント(怒)

いったいいくつ目のイラッとポイントだ?!

 

この際だから父のこと書いちゃうぞ!w

父。

自分がゆっくりしたくなると。

 

わたしがご飯を必死で作っていようが、

洗濯物と格闘していようが、

トイレの粗相の始末に追われていようが、

父は母に

「よしこはあっちにいるから、あっちにいったら?」

とかいう。

 

よしこの内心は大荒れw

ムリ!なんでわたしに振るんだ!父のクソっ!

 

そうして母は、

自分の居場所を求めて、

台所や洗面所のわたしのいる場所に、

迷子になりながら

(豪邸じゃないですよw、

ちょっと扉をあけるっていうのも、

母にはどうしていいかわからず

迷子のようにうろうろ、

扉の前で…)

(おわかりですか?

母は扉の開け方がわからない。)

しかしなんとか必死に

わたしを探しています。

 

わたしを見つけると、

安堵の表情をうかべて、

ぶつぶついつものセリフを言い始めます。

 

よしこの内心

あ~母のそのぶつぶつセリフがイライラするのよ~。

わかってるけどイライラするのはツライのよ~。

それがストレスなのよ~。

早くこのストレスに慣れたいのぉ~!

 

さて内心は内心のまま。

そのとき料理中のわたしは、

「お母さん、こっちにきて一緒に晩御飯作らない?」

と誘い、

その誘いに素敵な笑顔で頷く母。

(だよね~!

一緒に作りたいよね!

だってわたしのお母さんなんだもんね!)

「じゃ、一緒に作ろう!」

 

実際は作れないけど、

何を作っているのか、

おしゃべりしながら作業を続け、

ちょこちょこ味見をしてもらい、

彩りを話したり、見たり、触ったり、つまみ食いしながら、

お料理を一緒に楽しみます。←☆ポイント

 

☆ポイント

一緒に楽しむ、共有し共感する

 

洗濯物の下準備のときは大変だけど、

それだってなんとか話題につなげて、

「こんなところにシミがあるの。どうやったらとれるかな?」

とか

「臭くない?」

とか聞いたり、嗅いでもらったりして、

日常動作をいちいちしゃべりながら、

母があきるまでお相手する。

 

子どもといっしょで、

母はしばらくするとあきてしまって、

父のそばに行き、

おとなしくなります。

ぼんやり座って、うとうとするとか。。。

 

※考察

わたしが母の相手をすると

そのことで母は五感や残った思考を使いきり疲れる。

 

 

わたしと母

くっついたり、離れたり、危険を回避するよう見守ったり。

まるでかるがも親子。

 

毛づくろいの時間はまったりとする時間。

そのひとつ。

歯磨きや入れ歯のお手入れを丁寧にじっくり時間をかけて、お口周りのマッサージをしたり。

 

そのひとつ。

手足がすぐに冷たくなるので、母の好きな香りのクリームをたっぷりつけて、優しくマッサージするように塗ったり。

 

ひとつひとつが顔を近づけてのスキンシップ。

とても気持ちよさそうな母

笑顔で「ありがとう」とか「気持ちいいね」と言ってくれる母

その母の笑顔にわたしが癒される。

 

わたくし三姉妹の長女で

一人だけ厳しくしつけられて

家事の手伝いを仕込まれて、

妹たちとは違い殺伐と育ったので、

母を独り占めしている優越感と独占欲

を今頃味わっているのだな(笑)

おめでたいわたしwww

 

わたし。

どこか自分の具合が悪くても、母といる間は不調を感じないことが多い。

それが認知症になっても変わらぬ母の愛、母の本質なんだろう。

まだまだ自分も大丈夫なんだと思える安心感を母からもらっている。

与えるばかりでなく、ちゃ~んと頂いているんだな。

ありがとう、おかあさん。

 

安心感ほど、有り難いものはない。

だからわたしは頑張っている。

自分の居場所があるって素敵だな。

 

いくつになっても、

立場はかわっても、

かるがも親子のような時間。。。

それがしあわせなんだね。