母は、いろんな理解が難しくなっております。
「手」とか、「食べる」とか。
「おしっこ」するとか、「うんちする」とか。
でも、一生懸命わたしや、他の人たちのいうことを、理解しようとしています。
一生懸命すぎて、とんちんかんなことをしちゃいます。
これが、とってもかわいい☆
わたしのいうことをわかってくれようとして、「ありがとう☆」って思います。
書いていると、泣きそうです。。。
母のトイレのサインは、言葉がぶっきらぼうになることです。
でも、本人は無意識な感じ=身体が出すサインを口にしている感じがします。
だから、トイレに誘導するのが難しいこともあるし(トイレに行くのがなんだか不安=父にトイレでよく怒られる)、漏れそうなくらい我慢してるときは、さっとトイレに行って、座ってくれる時もあります。
トイレに誘導しても、ふつうにしてもらうのは、とっても大変です。(わたし)
トイレに入って方向転換して便座に座る。←この動作だけでも、大苦戦!説明難し過ぎ!
ズボンを下げる。←よくお風呂と勘違いして靴下まで脱いじゃったり…。
御用のあとに、トイレットペーパーで拭く。←これまた難関!
母にしてみれば、きっと不安(ここはどこ?何するの?)だから、どうしていいかわからなくなって、パニックなんだと思います。
わたしが、落ち着いて、ここはどこなのか、どうしようとしているのか、言葉とジェスチャーと笑顔で、根気よく何度も何度も話しかけます。
母が、安心して、落ち着いたら、御用をたしてくれるときもあるし。そうじゃないこともあります。
食事にしても、そう。
母がわからないことを、わたしが理解する努力をする。
母が安心して過ごせる時間を増やしてあげられたら、嬉しいな♪
わからないことをわかろうとするのは、とても抵抗があることのように思います。
家族、親、パートナー。
日常生活で、身内な人のこと。
どれほど、理解して、お互いを支え合っているかしら?
わからないことだらけの母ですが、わたしは今でも十分に母に支えてもらっていて幸せだな~って思います。書いてて涙を流すくらいに。鼻水も流しちゃうくらいに。ずるずる。。。
いっしょにいるとき、とても安心。
母の手を握って座っていると、まるで、瞑想してるみたいな、「空」の時がやってきます。
母と過ごすこの時間があとどれくらいあるんだろう?
どんな反応もあるだけ、とてもしあわせなことです。
この気持ち、忘れないように☆
母とわたしの時間☆