家の並びに薪小屋を置いた。
「おっ、あそこは薪を使ってんだな」という宣伝になり、「木を伐ったけどいらないから持っていっていいぞ」という声がよくかかるようになった。タダの燃料、ありがたくいただく。
薪小屋
伐採された木を薪用にきざんでお持ち帰り
田舎に住んでいるといろいろなものをご近所からいただく。
食べ物然り、木材や塩ビ菅などの資材、家畜の餌になる古米や残り物、畑の肥やしになる米ヌカ、農業用資材、衣服、電動工具、、挙げるときりがない。これが欲しいな〜という物をあちこちで吹聴しておくとどこからとなくやってくることがある。お返しは必ずというわけではないが、何かたくさん収穫したり余ったものがあれば持って行く。何か贈答品を買ってお返しするのは野暮だ。物々交換というわけではないが、余ったところから足りないところへお金を介さない物流がある。
長野県は広い県だが、南部は首都圏へのアクセスの良い東部と違っておしゃれな田舎のライフスタイルとは縁遠く、平野部の広い北部と違って高原野菜などの大規模農業とも無縁だ。南部の特徴は、自給自足志向の小規模農家が多いことだという話を聞いたことがある。僕の集落ではおおいに当てはまり、たいていのことは自分でやろうとするし、その解決をお金にたよることはあまり格好良くないと考える人が多い。例えば、畑のまわりに獣対策の柵を張るにしても、ホームセンターの電柵セットなどを買ってきてピカピカの柵を構えるのは格好悪くて、支柱はその辺の灌木を伐って杭にしたり、電柵のバッテリーは使わないトラクターのものを代用したり、柵のひもは耕作放棄地に隅に打ち捨てられたものをもらってくるといったことが「やるなああいつ」ということになるのだ。
田舎で自給自足を目指すとは、それはお金を稼ぐための時間とエネルギーを最小化して、自分の生活を中心とした豊かな時間に置き換えるということだ。自給というとなんでも自分で作るべし、やるべしというストイックさを感じさせるが、豊かな時間を手にいれるには世の中に余っているものをタダでもらってしまえばいいのだ。そして要らないものがあればタダであげたり、できることで助けてあげたりすればいいのだ。いかにタダの流れを掴んでいくか、いかに誰かをタダで助けられる力を身につけていくか、ダイナミックな関係性は田舎社会の醍醐味なのだ。

