2025/10/13(月) ローテーション出勤
この日は全社定休日でしたが、ローテーション出勤で終日
対応をしていました。
ローテーション出勤は限られた人数で
対応しなければならないので、もしこの数日で亡くなると、周りに迷惑をかけてしまうとヒヤヒヤしていました。
何とかこの日はクリアしました。
2025/10/15(水) My Birthday
52回目の誕生日
ホールケーキで家族がお祝いしてくれました

この約2か月間、ずーっと動き回っていたので、心休まるひとときでした。
妻と子供に感謝、自分の親にも感謝です
日中お見舞いに行って、誕生日の報告しても、ベッドの上で無反応でした。一方的に話し続けましたが、耳に届いていればいいなぁと感じました。
2025/10/17(金) 振替休日
先日のローテーション出勤が休日出勤扱いだったので、この日に振替休日を取りました。休日の度に、実家の片付けとお見舞いで動き回っていたので、勇気をもって完全休養日にしました。自宅から一歩も外に出ず。終日ダラダラしました
2025/10/19(日) お別れの時
06:03 病状悪いと連絡有
看護師さんから、父が大分弱ってきていると連絡が入りました。病院に来れるか聞かれましたが、若干寝ぼけていたのと土日は仕事の代役がいないので、また、危篤の理解も少なく、一旦断りました。
07:04 上司に報告
上司には以前から父の容態を話していたのでLINEで報告しました。
朝一の業務を処理してから病院に行くと伝えたら、休日でしたが出勤すると、快く返事をいただきました。
08:10 出勤
部長に直接報告し、朝一の業務は9:30に終わる目途が付いていたので、それまでに退社して帰宅する予定でした。
08:16 病院に電話
10:30までに病院に行ける旨をお伝えしました。
がしかし・・・職場のメンバー1名が体調不良で10時頃出社の連絡が入りました。一分でも早く病院に行きたい状況で、よりによってこのタイミングかと、正直イラっとしました
残りのメンバーは帰宅を促してくれましたが、日曜日のAM中は特に電話対応が忙しいので、仕方なく10時まで職場に残らざるを得なくなりました。
09:30 妻と息子が職場付近で待機
職場から自宅に帰るまでの時間ロスを無くすため、家族が
で職場近くに来てくれました。結局上記の理由で約30分待ってもらいました。
10:30 病院到着
四日前に見た表情とは違い、酸素数値を上げた中でも苦しそうに懸命に呼吸し、瞬きを一切せずに両目は開いた状態でした。これで本当に最期だと実感しました。
緩和ケア病棟は、特に心臓マッサージなどの延命措置を行いません。自然に息絶えるのを待つのみです。
暫くしてから息子が、「おばあちゃんを病院に連れて行こう」と言いました。施設にいる母を連れていくため、妻と一緒に一旦病院を出ました。その間、約1時間ぐらい病室に私と父の二人きりです。最後の一方的な会話が始まりました。「今までありがとう」それに尽きます。幼少期の思い出よりも、この数年間、病院に連れて行った事、買い物に行った事の印象が強く、中でもこの二か月間携わってきた方々(家族、親戚、お医者さん、看護師さん、ソーシャルワーカーさん、ケアマネさん・・・)とのやり取りが、思い巡らされました。
母が病院に着いて、父の姿を見てもらいましたが、思いのほか悲しみの表情を浮かべていませんでした。私もそうでしたが、涙もろい母が凛としている姿に驚きました。
12:50~14:20 ランチタイム
父の状態に変化が無かったので、私と妻と息子と母の四人で、ファミレスで食事しました
食べ終わって妻が母を
に連れて行き、私が会計の札を手に取ったその瞬間(14:14)、病院から息を引き取ったから戻るように連絡がありました。
14:35 病院到着
病室に入ったら、数時間前まで懸命に生きようとした姿はなく、静かになっていました。酸素マスクは付けたままでした。数分後にお医者さんが来て聴診器を当てて、14:47死亡確認が取れました。実際いつ息を引き取ったかは分かりません。14:14に連絡をもらう前に息を引き取ったと思います。酸素マスクと点滴は外されました。
息子は泣いていましたが、私はこれからの事に目を向けていたので、おかげ様で涙は無かったです。逆に気を引き締めました。
未知の経験
◆死亡診断書
死因:上行結腸癌
◆葬儀屋に連絡
実家を掃除していた時に、某葬儀屋さんの会員だったことを知ったので、病院から連絡しました。亡くなってから1時間半後に迎えに来てくれました。遺体を自宅で安置すると思っていたので、最初自宅の和室に寝かせましたが、誰も面倒見れないと姉からの指摘で、安置所に送りました。この2か月間自宅に帰れなかった父にとっては、滞在時間10分でしたが、自宅に帰ることが出来ました。
2025/10/20(月)PM 葬儀打合せ
どのような葬儀にしたいか。葬儀当日の段取りはどうするか、限られた時間で決めなければなりません。亡くなった次の日でしたが、悲しんでいる暇はありません。
2025/10/25(月)PM 告別式・火葬
お通夜は行わないで、家族葬で告別式にしました。参列者約10人ほどの小さい式でした。親戚の殆どが長野県中心に県外だったので、無理に呼ばないようにしました。しかし私の従兄が長野県から、サプライズで参列に来ていただきました。
打合せの時に、父が鰻を食べたかったと息子が話していたことを覚えていただいて、式当日の画面に、鰻の画像が出ていました

転院する際に着ていたパジャマと、結局使うことが無かったお箸やスプーンのセットを棺桶に入れました。息子は父が身に着けていた腕時計をして参列していました。
告別式が終わり、火葬場に行きました。
霊柩車はベンツでした。生まれて初めてのベンツが、まさか霊柩車とは
棺桶が火葬されるとき、私は胸ポケットに入れていた、父が大切にしていたお爺さんとお婆さんの2ショット写真を出して、息子(父)が旅立つ瞬間を一緒に見届けてもらいました。
そして火葬している間にお食事です。

食事が喉を通らないぐらいショックではなく、残さず食べました
2025/11/25(火)~26(水) 親戚に報告
長野県の親戚に告別式が無事終えたことを報告しました。父の兄弟が多く、必然的にいとこも多いわけで、初めてお会いしたいとこもいました。途中で姉夫婦とも合流し、親戚交流が図れました。今回は日帰りではなく一泊しました。
母の親戚にも会えたので、中身の濃い二日間でした。
2025/12/06(土)PM 四十九日法要
法要を行いお墓に納骨しました。
当日は曇り空でしたが、お坊さんがお墓の前でお経を唱えた時、太陽の光が急に差し込んできました。それには神秘的で驚きました。
その後にお食事をしましたが、法事で鰻が提供できるお店を予約しました。
料亭ほてい家 埼玉県さいたま市岩槻区仲町1-6-3
ドリンクは別料金ですが、陰膳のサービスクーポンを利用しながら、料理も美味しく結構お徳でした。
最後に・・・
言いたいことが多くて困りますが、感謝の一言に尽きます。
自分一人ではなく、数多くの方々に助けてもらいました。
人が亡くなる時は、色々な偶然が重なりますが、それらを身をもって体現しました。言い方を変えると、都合の良い解釈かもしれませんが、その考えは人それぞれだと思います。
父が8/20(水)に自宅で倒れていたのが、たまたま私が定休日の時でした。
その数日前に、玄関のチェーンロックをしないように話していました。
長野県の本家にアポなしで行った時、偶然従姉が在宅していました。
望んでいた緩和ケア病棟に入れました。
父が息を引き取る瞬間に立ち会えませんでしたが、「折角家族で集まったんだから、昼飯でも食ってこい」と、我々は父から押し出されたかもしれません。
11月末に長野県の親戚へ報告に行きましたが、その翌週から雪景色だったようです。
それと今回息子の成長には驚きました。私が気付かない事を、自分の意見として助け船を出してくれたことに嬉しく思いました。
保険や年金や書類やその他の知り得なかったことを、謎解きのように解決する日々が続きました。
葬儀費や戒名など、諸々お金がかかります。
人はいつ亡くなるか分からないので、常日頃から身の回りの整理整頓から、残された方に迷惑が掛からないようにしなければなりませんね