今日から、新たな装いでのブログの発信を始めたいと思います。

 

昨年(2017年)の年初より、19か月にわたって、初めてのブログを手さぐり状態で発信してきましたが、なかなか意図した通りには行かず、大望を抱いたものの、まだそれに及ぶ見通しがまるで持たないままでいます。

 

そこで、これまでの経験を活かして、読者により分かりやす形で、そして優しい声で、私の思うところを伝える工夫をしてみたいと思います。

 

 

で、私の伝えたいことはないか?

 

 

それは、日本を若者が将来にわたって長く、努力すればそのことが報われて個人が、家族が、そして国全体が発展し続けられるような仕組みを仕込みたいということです。

 

 

なぜ、そんなことを思うのか?

 

それは、私の歴史観にその起源をもっています。

 

 

では、その歴史観とは何か?

 

それは、日本は決して世界でただ一つの特別の国ではない、ということです。日本は、世界中に同じように考え、ふるまってきた多くの他の民族や人々とそんなには違いがないホモ・サピエンスという同類の一部だということです。

 

私は、日本はヨーロッパの、中でも特にイングランドと似た歴史を歩んできたと思っています。少なくとも、16世紀、つまり戦国時代、まではです。しかし、そこから日本とイングランドは違う歴史の道を選ぶことになりました。

 

イングランドが、人民主権の近代資本主義国家に向けて発展をしたのに、日本はそれとは真逆の官僚主導の国会社会主義体制へ猛進した、私はそう理解しています。

 

 

その結果、それら2国はどうなったのか?

 

イングランドは、18世紀に近代資本主義の観念を最も忠実にもったアメリカという国を産みました(1776年)。そして日本は、それとほぼ同時期に官僚主導で有力な商業家とが連携した国家社会主義体制を確立し(老中田沼意次のつくった体制であることは何れ説明します)、そして3四半世紀毎、つまりおよそ75年毎、に大経済破綻するという悲劇的なサイクルをもった国になってしまいました。

 

以上が、私の基本的な歴史観です。

 

 

そこから、私の未来の日本に向けての構想が生れます。

 

 

それは、日本が世界に1つだけの特別の国ではないという科学的な歴史認識をもち、より望ましい発展形態を見つけ、獲得した人々に学んで、それをまねつつ、永続的に発展し続けられる国に社会の構造を変えればいいというものです。

 

社会のうち特に主要な構成要素とは、第1に生産組織である企業であり、第2にそれが必要とする人材を育てる大学であり、そして第3にそれらの改革を可能とする政府、特に中央政府です。そしてそれが働く共通の基盤、市場です。

 

 

と言って、そんなことは一体可能なのか?

 

チャンスは、2020年代初頭に訪れると考えています。

 

 

では、2020年代初頭に何が起こるのか?

 

日本は、18世紀後半以来3度目の大経済破綻を迎えます。その時に、日本の社会構造の基本形がいかに間違ったものであったのか、というのを多くの日本人が認識できることとなります。それが、チャンスです。

 

しかし、それをチャンスにするために、破綻した日本を永続的な発展の道に導く指針が予め用意されていなければなりません。そしてその指針を体現して、それを起動力として活動しようと思う若者がいなくてはなりません。

 

 

2度目の大経済破綻を迎えた時に(1945年)、その備えができていなかったので、国としての反省のないまま3度目の大経済破綻に向かうサイクルを始動してしまいました。こんどは、そのようなことは避けられなければなりません。

 

 

このブログの目的は、そのような若者を産みだすことにあります。

 

 

途方もない目的ではありますが、それができなければ、3度目の大経済破綻した日本は、4度目の経済大破綻に向けて再び歩き出すことになります。そしてその道は、かつての3度の道よりさらに険しくなると見込んでいます。

 

以上の私の考えと夢を著すのが、このブログの目的です。

 

来週より、その活動を新たな装いで始めたいと思います。読者の理解と協力を心よりお願いします。

 

 

以上の思いを順々に説明するとともに、日常に起こる様々な出来事に、その都度できるだけ簡潔で優しい文章で反応もしていきたいとも考えています。

 

どうか、よろしくお付き合いください。