次世代の想いをデザインするPeace Festaこしけんのブログ

次世代の想いをデザインするPeace Festaこしけんのブログ

Peace Festaのこしけんです。
オモイ*デザインコミュニティのこしけんです。
そのまんまを書きます^^
http://www.peacefesta.com/

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家オモデザハウス(シェアハウス)やってます♪家
「次世代が学び合うコミュニティハウス」をコンセプトに、
日々語り、悩み、応援し、学び合う、一緒に生活する場を創っています^^


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ご無沙汰しています、こしけんです^^
この度、相当放置してしまっていたブログですが、
新しく引っ越しをしました。


今年は2月5日に株式会社Peace Festaを設立しまして、
HPもリニューアルしました。
peacefesta.com

シェアハウスでは、雇用やキャリアアップ・収入アップを目指した
シングルマザーシェアハウスを大阪の平野区に、この秋に新しく作り、
「場」を通じて、社会問題の解決に楽しみながら邁進していこうと思います!

これからは、こちらに日々の出来事をつづっていこうと思います^^

http://peacefesta.com/topics/blog/

もっと個人的なことは、Facebookを中心に、
Twitterでも少しつぶやいていこうかなと思います。

https://www.facebook.com/koshinoken
https://twitter.com/koshinoken

このブログの読者の皆様は、
ぜひSNSでも繋がっていただければと思います^^

今後ともよろしくお願いいたします♪

仕事のことに関して、全然書いていなくて、

ほんとに久しぶりの更新です。
 

5年前、次世代の若者の想いを形にするサポートを、と

オモデザハウスを始め、

現在は、大阪市内に3軒シェアハウスがありますが、

今年は、LGBTの方のためのハウスを始め、

朝日新聞に掲載させてもらったり、反響をいただき、

 

来年からは、シングルマザーハウスを、と準備をしているところです。

 

個の実現化から、

社会の不へのアプローチへと舵を切り始め、

既存のハウスも、来年以降の集中のために、

ハウス自体を次世代に手渡し、僕自身の最適化を始めているところです。

 

http://peacefesta.com

 


一昨日は、毎日25億人が利用している世界企業でマーケティングを担当されていた方と意見交換させてもらいました。

 

その方は、お子さんとの出来事もあり、子ども食堂を一時期されていたらしいけど、
本来の在り方とのズレを感じたらしく、辞められたとのことでした。

 

「だって、野菜ばっかりの食事なんて食べたくないでしょ?〇〇ちゃん、今何食べたい?」

「いややー、マクド食べたい!!」

「ね、子どもに良い食をって言っても、
大人のエゴで、ほんとに子どもの声と寄り添おうとしてないんですよね。」

 

ほんとそうよね、マクド食べたいよね。笑
じゃあ、そのために大人はどんな工夫をすべきなんだろう?

 

やりたいこと、ワクワクすること、自分の声にばかり焦点を向けるなら、

同じだけか、それ以上、外、社会、相手の声に耳を傾けなくては、

 

それは、やりたいことではなく、

ただの外界と断絶した趣味、やエゴの押し付けになってしまう。

 

特に個人事業って、こういう傾向多い気がする。

 

届けたい人の声をほんとに聞けてるか、そのバランスってほんと大事。

 

そして、マーケティングをされてきたからこそ、
相手の声を謙虚に尊重して「混ぜる」姿勢に、
ただただ感服しながらお話させてもらいました。

 

僕も子ども食堂は懐疑派。

 

子どもの貧困のためには、
親の所得を上げる仕組みを作らなければならない。

 

他社のシングルマザーハウスが埋まらないのは、
お母さんが安心するために求めているのは、家賃や設備だけでは不十分だから。

 

ならば、まだ声になっていないママさんたちの声を自分は拾え切れているか。

 

そのための原因に、本当にアプローチできているか、
必要条件だけをするのではなく、
十分条件には、何がまだ足りないか。

 

となると、やるべきことは、シングルマザーハウスでは絶対足りなくて…。

 

僕らが提供するのは、シングルマザーハウス、ではない、ということが分かる。

もちろんハウスはするけれど、

「自分たちは〇〇を提供しています」という、

その奥に眠るコアメッセージ、コアの表現は全く違うものになる。

 

その文脈から見れば、競合だってもちろん変わってくる。

 

その全体性から見ると、
プロジェクトとして、自分が何をすべきかが見えてくる。

 

事業計画は、
ほんとに恋愛に似てる。と毎度思う。
相手を喜ばすには、これで十分だろうかって。

 

今、実際にシングルマザーの方と、このプロジェクトをしているのですが、

まだまだ拾いきれていない声、たくさんあると思います。

 

是非、この記事を見られた方は、お声を聞かせてくださいね^^

このコメントでも結構ですし、

Facebookでも結構です。

https://www.facebook.com/koshinoken

 

そして、10年前、20年前には本来繋がらなそうだったような方とも繋がれてしまう、
このソーシャル時代、
ソーシャルビジネスへの注目度が、やはり面白いなと感じた1日でした^^

 

ブログ発信とWeb周りも整理していかなければなぁ。

イタリアから来たゲイのゲストが、

大阪にLGBTのためのハウスがあるのかって

驚き、フェスに参加したり、

ゲイバーお勧めないかって聞かれて、

分からんから人に聞いたらすぐ紹介出来るような、


1万キロの距離が一瞬で埋まるような、

そんな事実が目の前で当たり前に起こる時代なんだなーって


改めて今、民泊やらせてもらいながら

距離の近さがどんどん近く、薄くなっている事実に震えてる。


ビジネスでやってた数年前だったら、気付かなかったことだろうなぁ。


手法じゃなくて、

地球が事実、そうなんだってことに


インターネットに初めて触ったおじいちゃんのような感想だけど笑、


意外と改めて


なんか震えた。

あぁ、こんな1万キロ離れた彼も、

喜怒哀楽めっちゃ出しながら

性の権利を出しながらも働きもしてるんだな、と。


それがイタリアでの性を超えた結婚が当然になることに繋がってもいつつ、

そんな仕組みを学びつつ、


彼が仕事でしている建築物を、

僕らはイタリアに行った時に感動するのだな、と。


空間を超えて、みんなで「何か」に向かって

おびただしい数を分担して、やってるんだね。


何か、は何なのか。

次の一手を、「何のために」着手するかで、

大きく変わるような。


自分らしく、でも他と分離するし、

全て上手くいっている、というような感じでも傍観者になるし、

僕らは、今地球なんだっていう感覚。

地球リズム。


自分がやってるのは、場所貸しではなくて、

空間を超えた繋がり直す感覚をもらってるんだなぁ。


破壊も創造も刹那にする時もありつつ、

長く長く進んでいて、

僕らは僕らで、瞬間の生存のために、

その一瞬一瞬に意味付けしたがるんだけど、

ツンデレのような地球と

ツンデレのような自分らとともに。


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すげー時代にいるなー。

シンママMTGだん。AIの後の雇用の話してた。
雇用「問題」は「問題」ですらなくなっていくかもしれない。
無人店舗、無人インフラ、仮装通貨…できた後って、雇用減って収支も減ったらどうなるんだろ。
遊びは仕事になるのか?
物やサービスではなく、エネルギーの交換になっていくのかな。
ヒトが地球とどう共存していくか、何のために生きるのか、の再定義が問われてる気がする。
AIは地球を管理する側になるんだろうか。
地球にとっての最適化って何だろう。

最近、最も印象に残っている問いは、この画像。
宇宙とかスピとか、ビジネスとか進化論とか、ヒトとしての在り方とか。
そこらへんの中庸に着地したい。

お互いに死んだ後の話をしたい。と時々思う。

 

人は、自分を主人公としたがり、
ともすれば、自分を悲劇の主人公にしたがる。

起こる現象、出会う人、
色んなことを言い訳に、自分にとって都合の良いシナリオを創るためにコントロールをしたがる。
楽だからだ。

 

でも、
恋愛、結婚、仕事、職場、学業、生き方、時代、時世…
「自分作」のドラマから抜けた時、
一回、猛烈に孤独になる。
ドラマから抜けるわけだから。
自分が周りをコントロールしていた世界から抜けるから。

 

それこそが、新たな出会いの始まりだ。

 

その大海原に出た時に
初めて、であり、改めて、であり
人と世界を信じられるようになるんだろうな。と。

 

ゴッホ、ピカソ、カーネル、岡本太郎…
僕の頭ではたくさんは出てこないけれど、

死後に評価されることもあるけれど、
海原に出ると決めないと、生まれなかったことばかり。

 

「そういったポイント(ドラマ)から出た時、本当の意味で」、
見えない世界の話が価値を帯び始める

一回、死ぬ孤独を抜けた時、
ほんとの後世に残る自分が残る。
自分たちが残る。

肉体が死んでも。

 

死ぬときは一人
でも、残るものは文化として残る。

海原で、もう一度、出会い直す。

 

そんなことを、この歌詞から考えさせられた今日。
桜井さんも、色んな苦悩をしてきたんだろうな。

 

himawariは、
死との別れ、他者との別れから、
大海原に旅立つ、究極の孤独と、その先の再会に立ち向かおうとする、
その過渡期を描いているような、
そんな感じを受けました。

 

死んでも、生きる大海原に。

自分は歌詞かけないけど、
別の表現方法で今、夢がある。
それが叶って残るなら、今世死んでも良いなと思うものがある。

 

なれ合いや利害関係だけの付き合いは、
死ぬときにほんとに後悔すると思うんよな。

 

一回死んで、一回、ほんとの孤独って
必要な時って、早い方が良い気がするんだ。

 

夏の時期は、自ら命を絶った仲間が、
何人かいて、
彼らは、こんな言葉よりも、もっと深い想いを持ってたような
そんな気がするんだな。

 

そんなことを感じたhimawariでした。

そんな歌詞考察の投稿でした。笑

◆◆

想い出の角砂糖を
涙が溶かしちゃわぬように
僕の命と共に尽きるように
ちょっとずつ舐めて生きるから

 

だけど
何故だろう 怖いもの見たさで
愛に彷徨う僕もいる
君のいない世界って
どんな色をしてたろう?
違う誰かの肌触り
格好つけたり はにかんだり
そんな僕が果たしているんだろうか?

 

諦めること
妥協すること
誰かにあわせて生きること
考えてる風でいて
実はそんなに深く考えていやしないこと
思いを飲み込む美学と
自分を言いくるめて
実際は面倒臭いことから逃げるようにして
邪(よこしま)にただ生きている

◆◆