開塾してから何人の子供たちと出逢ってきただろう。
卒塾生たちはいまだに私のことを“先生”と呼んでくれる。しかし、私にとって彼らは“師匠”である。一人一人と十人十色の学習課題と向き合う中で、多くの気づきと学びを経験させてもらい、今の“わたし”が存在する。だから、いまや私の周りは“師匠”だらけである(笑)(*^.^*)
1998年、2年間のアメリカ留学を終え小さな塾を立ち上げた。田畑に囲まれた三重県の片田舎で、自宅を兼ねた小さな学び舎。21世紀型の私塾“オープンスクール”と名付けた。
英語の教員を目指していた大学4年生のとき、読み書きに重きを置く日本の学校教育で、Dyslexia(読書困難)に苦しむLD(学習障がい)の子供たちがいることを知った。
そんな子供たちに中学校での新生活で英語を通してリベンジしてもらいたくて「学習の仕組み」を追究した。私自身、私立中学受験で合格できず、心が捻じ曲がりそうになったが、英語を糸口(キッカケ)に中学生活を再生できたという経験があったからだ。それは、小5の頃に家庭教師としてご縁を頂いて、大人になってもメンターとしてずっとお世話になった今は亡き恩師のおかげであった。
開塾後、幼児教育を探究した。更に根源的な「学習の仕組み」を子供たちの発達の過程で知ることが子供たちの苦しみや彼ら自身を理解する糸口(キッカケ)となると考えたからだ。“人類が二足歩行へと進化する過程で能力を獲得してきた同じ順番で子供たちの能力を育む”という理論に基づき、指先の運用(母指対向性)・眼と手の共応・視る力・数能力や五感で感じることを大切に子供たちの生きる力(能力)にアクセスすることで、彼らの自尊心や知的好奇心(やる気)とつながると実感した。しかし、そのやる気のスイッチをONにするには、Love(愛情)をエネルギー源(原動力)とした子供たちへの“本気のrespect(敬意)”が肝心であり、それは車のエンジンをかける時のカギのような役目を果たしていた。幼児に限らず、どの年齢の子供たちにも共通したカギが“本気のrespect(敬意)”であった。
今、私を突き動かしているのは、目の前にいる一人一人の子供たちの存在自体である。
それは少年の日の私。たとえば、9歳のわたし。深夜ラジオを聴きながら自分の感性と同じ波長の合うメンター(理解者)を求めて、ダイヤルを回してチューニングしていたあの日の“ぼく”。
それは青年の日の私。たとえば、15歳のわたし。言葉を武器に戦うことが生きる術(すべ)と言い聞かせたあの日の“僕”。
それは私の中のギフティッドかもしれない。
(小2K君の詩「もちつき」)
卒塾生たちはいまだに私のことを“先生”と呼んでくれる。しかし、私にとって彼らは“師匠”である。一人一人と十人十色の学習課題と向き合う中で、多くの気づきと学びを経験させてもらい、今の“わたし”が存在する。だから、いまや私の周りは“師匠”だらけである(笑)(*^.^*)
1998年、2年間のアメリカ留学を終え小さな塾を立ち上げた。田畑に囲まれた三重県の片田舎で、自宅を兼ねた小さな学び舎。21世紀型の私塾“オープンスクール”と名付けた。
英語の教員を目指していた大学4年生のとき、読み書きに重きを置く日本の学校教育で、Dyslexia(読書困難)に苦しむLD(学習障がい)の子供たちがいることを知った。
そんな子供たちに中学校での新生活で英語を通してリベンジしてもらいたくて「学習の仕組み」を追究した。私自身、私立中学受験で合格できず、心が捻じ曲がりそうになったが、英語を糸口(キッカケ)に中学生活を再生できたという経験があったからだ。それは、小5の頃に家庭教師としてご縁を頂いて、大人になってもメンターとしてずっとお世話になった今は亡き恩師のおかげであった。
開塾後、幼児教育を探究した。更に根源的な「学習の仕組み」を子供たちの発達の過程で知ることが子供たちの苦しみや彼ら自身を理解する糸口(キッカケ)となると考えたからだ。“人類が二足歩行へと進化する過程で能力を獲得してきた同じ順番で子供たちの能力を育む”という理論に基づき、指先の運用(母指対向性)・眼と手の共応・視る力・数能力や五感で感じることを大切に子供たちの生きる力(能力)にアクセスすることで、彼らの自尊心や知的好奇心(やる気)とつながると実感した。しかし、そのやる気のスイッチをONにするには、Love(愛情)をエネルギー源(原動力)とした子供たちへの“本気のrespect(敬意)”が肝心であり、それは車のエンジンをかける時のカギのような役目を果たしていた。幼児に限らず、どの年齢の子供たちにも共通したカギが“本気のrespect(敬意)”であった。
今、私を突き動かしているのは、目の前にいる一人一人の子供たちの存在自体である。
それは少年の日の私。たとえば、9歳のわたし。深夜ラジオを聴きながら自分の感性と同じ波長の合うメンター(理解者)を求めて、ダイヤルを回してチューニングしていたあの日の“ぼく”。
それは青年の日の私。たとえば、15歳のわたし。言葉を武器に戦うことが生きる術(すべ)と言い聞かせたあの日の“僕”。
それは私の中のギフティッドかもしれない。
(小2K君の詩「もちつき」)