●2017/8/18(金)13:00

電車に乗って92歳の伯母に会いに行った。
2年半で急激に体力が無くなってしまい入退院を繰り返している。
2年半前。  こるるは卵巣がん(今では乳がん転移)治療後半年の頃、
実家に自力で会いに来てくれた伯母は、もう、起き上がるのもしんどそう。


「おばちゃん、こるるだよ、会いに来たよぉ~」

「こるるがぁ~体は大丈夫がぁ~ ( ニコッとして)めんこくなったごどぉ~」

と前回会った時も2年前に会った時も毎回同じことをいう。
1週間前に母と姉2がお見舞いに来たことを聞くと「?」という顔。
残念。こるるのことも後で確かめてみよう。


もう、老衰というか、肺に菌が入って痰が絡むけど積極的治療はしないんだとか。
家に帰りたいらしいが、在宅準備は出来ているものの難しいって、従姉はいう。
朝晩の抗生物質の点滴とリハビリ(起きて補助で立つ)が始まったとか。
自分で食事は出来ているそうだから食べれることは生きることに直結している。


三女のこるるはお祝いとか忘れられがちで、この伯母だけは覚えてくれていて
とても嬉しかった。20歳で椎間板ヘルニアになったときから心配掛けてきた。
だから出来るだけ会いたいんだ。

こるる家族と温泉旅行したこともある。「おばちゃん大丈夫?」ってエスコート受ける旅は
実娘達とは出来なかった。親子だと難しいこともあるけど、こるると姉2には簡単なことだった。


おばちゃん大好き。母の姉。大切。今回は笑ってさよなら出来て良かった。



●2017/8/19(土)15:33Uターン。

今回も姉2達が前泊して仙台まで送ってくれた。

今回は帰省が遅れてしまったので3日間泊まって待ってくれて
迎えに来た日の夕方帰ってしまった。でも何度も来てくれてホント嬉しい。
1週間冷凍甘酒を食べてないことも気にかけてた姉2。優しい。

帰りは仙台発の新幹線だったので余裕を持って行動。
お土産買わなくちゃ!すみっこ暮らしも見なくちゃ!お腹も空く。
15時牛タンカレーを食べて満足。すみっこのガチャガチャもしちゃった。
光るトカゲです。ウィッグの位置ズレでオンザ眉毛のこるる。
こるるは泣かないで座席に着いてずっと手を振っていたのに
発車のベルが鳴ったら姉2が泣き出しちゃってつられて姪小5も泣く。
もう!こるるは涙をこぼさないように笑ってさよならしたよ。
その後、泣くんだけれども。
自分で出来るところまで生きるしかないんだ。
今後は東京のお友達にいっぱい甘えよう!



●父と母には今後について話さなかった。
目眩で救急車で運ばれるまでの事は詳しく話した。
でも病院に泊まれなかった事実はこの時話した。
もう元気だから笑いながら話すしかない。

母は帰省出来ないなら自分が行きたいと考えたらしいが・・・
膝が物凄く悪化してしまい、杖をついても長く歩けない状態。
最寄り駅までタクシー。お墓参りもタクシー。
痩せたくても食べちゃう、運動したくても膝が痛くて出来ない。
74歳なのに酷い状況。もうこるるの所には来れないと目の当たりにした。

実家に戻るときはこるるの意思で「お願いします」ときちんと言わないとだめだ。
戻るのが当たり前なのではなく、年金暮らしの父と母にお世話になるのだから
「お願いします」だ。ご飯の用意・洗濯してくれるだけでありがたい(母)
お風呂洗い・食料買い出ししてくれるだけでありがたい(父)
帰省の1週間、完全上げ膳据え膳だった。

治療の事は今後も自分で考える。
ハラヴェンの次はゼローダ。ゼローダの効き目が無くなったら
遺伝子レベルで合う抗がん剤を探す・・・これは治験に入るそうだ。
テレビで見付かった人は腫瘍が小さくなって画期的な治療法という印象だったけど
主治医に聞いたら世界的には全く上手くいってないんだとか・・・

そして悪性腫瘍の遺伝子変異を見付けるには
卵巣腫瘍をがんセンターに移管して調べるそうな・・・
採血だけじゃ分からないんだ。
でもがんセンターにいるから出来ることをして、その後地方病院に転院したいな。
この話7月下旬に主治医と話した内容。


お盆休みは明日まで。
20日はイオンで食料買い出しかな。
料理はしないけどね♪

元気に出社出来そう。
ってかぁ~
月曜日午後から9クールの始まり!