ジェイソン・I・ブラウンというカナダの数学者によると、「ひとつのグラフは千の言葉に匹敵する」のだそうだ。
 たしかに新聞記事における調査報告やデータなどの記載は、活字による説明を読むよりも、数字や記号によって表示されたグラフのほうがひと目で内容を把握しやすいし、むしろ記事としては視覚化されたグラフのほうが主眼で、活字のほうがおまけのような気もしてくる。単に情報を理解したつもりになるならば、手早く済ませられるに越したことはない。文書の簡略化と短縮化がモノをいい、また幅を利かせているメガ情報時代なら尚更だ。
 
 しかし、数学者が述べるにしてはあまりにもシンプルかつ凡庸とも思える上述の言葉は裏を返せば、「ひとつのグラフに匹敵するには千の言葉が必要」だという理屈も立ち上がる。ひとつのグラフが示す事実や実態を千の言葉で説明せねばならない──ということにも。
 
 百聞は一見に敵わないが、〈一見を凌駕する百聞〉には単なる〈一見〉などではもはや歯が立たない。

 現代の問題は、そのような千の言葉がほんとうに必要なのか? ということだ。

 フィクションに溢れかえっている、あり余りすぎる言葉。ひとつのグラフの内容をわざわざ千の言葉に置き換えるほどの価値や意味や必要性が、そのグラフのなかには存在しているのか。
 
 人がなにかを話す(書く)ということは行為である。話すことは、その人に場所を与えるのだ。その人の語る言葉そのものが、その人をその場所に実在させるのだ。だから聞き手(読み手)は、その話者がなにを話しているのかを確かめるのではなく、その話者がどこから話しているのかを確かめるべきである。必要なのは、話者が話しているところから見ること。誰かが言っていることを理解することは、この後にやってこなければならないのだ。



 
 
 
 お母さんもう我慢できないからお父さんに死んでもらおうと思ってるの。手伝ってくれる? 

 

 ちょうど学校から家へ帰ってきたぼくに、母がそう告げたのは、ぼくがあと2ヶ月足らずで小学校を卒業しようという冬のこと。 
 
 2番目くらいに好きじゃなかった科目である社会の教科書はいよいよ現代史の㌻へとあしを踏み入れ、自由の国の水爆実験によって不運にもぼくの国の漁船が死の灰を浴びたことがあったという歴史的惨事について、3時限目の授業で習った日だ。

 ぼくはBirthdayケーキケーキを12本吹き消してまもない思春期へさしかかった厄介者の男で、12年前にぼくを産み出した彼女のほうは一見年齢不詳だが、この世に現れてからまもなく40年を迎えようという女だった。

 母親なんて生き物になるのはごめんだったのだろう彼女だが、20代後半でぼくを身ごもってしまったため、しかたなく今は亡き義父母の家だったこの嫁ぎ先へと移り住む羽目になった過去をもつ。……責任を感じるべきなのは果たして誰なのだろうか。

 けれども見た目だけに関して云えば、彼女がぼくの実母であるということを、ぼくは全く誇らしく思わないわけでもなかった。

 およそ12年以上前、胎児時代のぼくが浮遊しながら棲息していた彼女のカラダを、最後に浴室でまじまじと眺めたのはもう何年も前のことだが、その頃よりも今のほうがおそらく彼女の理想のプロポーションに近いはずだ。

 その浴室とドア一枚隔てた洗面所の鏡の前で、母はもうひとりの自分の顔にじっと見入ることだけに、朝晩の時間の大部分を使っていた。備え付けの薬棚には、わけのわからない錠剤の壜がいくつも並んでいたが、ぼくの直感ではそれらの品々は、鏡の彼方にいる自分を一生好きになれそうにない母のどうにもならないイラ立ちと無関係のモノとは決して思えないのだが──。
 
 授業参観に姿を現した日には、クラスメートの女子のほとんどが羨望のまなざしで見つめ、一部の男子らが欲情を覚えかねないような身体つきだったかもしれないが、実際には彼女がぼくのために教室にやってきたことなんて一度たりともない。それでいいのだ。

 その母に、美容外科への通院歴があるのかどうかは判然としないし、そもそも関心もないが、あからさまな加齢現象が彼女の身からぼくの肌へ伝わったきた経験はほとんどない。

 だが、顔の表情というものだけは、そうはいかないのだろう。ひとり息子に投げかけた言葉のなかに含まれていたその思いは、彼女の美学的な苦悩よりもさらに強いものだった。

 何軒か隣の家の庭先で、こぎたない鋼鉄色のウィンドブレーカー姿のじいさんがたき火に両手をかざしながら、その消え入りそうな小さな炎を静かに見つめていた1月の午後遅く、下校から生家へと無事にたどり着いたランドセルを背負ったままのぼくに──


「お父さんは今日も帰ってこないから、準備するなら今だと思うの。お母さん本気だから。わかるでしょ?」


 もちろん。
 何年も前から、ぼくにはわかっていた。この目の前にいる女は、ぼくの生物学上の父親である男のことをずっと無根拠に恐れ、生理的に嫌悪していたことを。相手の男のほうもどうしようもない、自分の面倒も自分でみれないくせに、やりたいことだけはやりたいようにやり尽くし、ただそれだけで40年以上を奇跡的に生き延びてきたような、ろくでもない単なるオスであったのだから。
 
 
 な ん で あ ん た ら は 人 生 を う ま く 生 き る こ と が で き な い 人 な ん だ ろ う ?

 
 7歳ぐらいからそう思っていたぼくは、12年間いちおう世間的には養育者として振る舞っているように映ったであろうその男女に向かって、そうキスマークにすることも簡単にできた。でも実際に、その思いを発声して言い放つことなんて、やっぱりできやしない──今このときだって、24.5㌢のadidasを脱ぐことさえできず、その女の前でただ黙ったまま突っ立っていることしかできやしないんだから。

 キスマークにすることができない言葉──そう、秘密は他にもいくつか抱えていた。なんたって、もう12年も生きてきたんだから。それだけの時間があれば、起こってはならない出来事がたくさん起こるものだし、小学生の身分であるぼくの人生にも、肉親以外のさまざまな人間が入ってきたり出ていったりするのは当然。小6のおとこの子を無垢なガキだなんて甘くみてたら痛い目をみるのは相手のほうだ。聡明なオトナなら少しは警戒してかかるもの。

 自分へ向けて無断でカメラのシャッターを浴びせた相手をその場で容赦なく打ちのめすような男である父は、外出時や人前に出る際には決まってサングラス姿だった。ぼくは1年ほど前から、たまに家へ帰ってきた世慣れない中年男の彼が、はずしたメガネBrioniとともに居間のテーブルの上に置いといたタバコMarlboroを1本抜いてはキスマークに挟んでライターで火をつけたり、洋酒が並んだリカーキャビネットの奥から赤ワインのハーフボトルのコルクを抜いてはラッパ飲みで胃のなかを熱くしたりしていた。(どっちともバレないように注意深くやっている──誰もがそうするように。背もぐんぐん伸びてるから、身体への悪影響も一切ない──ちなみに現在147㌢チョキ)。 
 
 この程度なら、やられてる側の父自身だって通過儀礼としておそらく経験してきただろうし、ぼく自身すでに何回も試みていた万引き行為の手柄話のように、友だちと笑いながら話し合える次元の、まあ軽度の第二次性徴的悪癖の類だ──父も黙認していたのかもしれないし。

 両親は、ぼくに与えていた小遣いが何によって消費されていったのかさえも把握できちゃいなかっただろう。

 打ち明けてはならない秘密かどうかを判断する力は、ふつうの幼稚園児にだってすでに備わっている、いわば本能的なものだ。話し手よりも聞き手にとって、より恐ろしいものである事実の告白──。

 つまり、ぼくが彼らに隠しているいくつかの秘密のうち、最大のもののひとつは、1歳年下の女の子とのこと。
 
 ぼくらは同窓生だったが、学校内や通学路上では決して顔を合わせることはしなかった。2人でいるところを誰かに目撃されることを、できるかぎり避けるようにしていた。 

 なぜか?
 理由は、社会通念上、小学校高学年の男女が2人きりでやってはいけない行為に及んでいたからだ──という以外に理由などあるだろうか。
 
 ぼくらが2人だけで会う場所は決まっていた。ぼくはいつも待つほうだった。相手であるその11歳の女児は、すっぴんでやってくることなんてまずなかったから。
 会う時間も決まって日中だったが、そこはカーテンを引かずとも常に薄暗く、天井の隅には中身だけをきれいに貪り喰われた小さな虫の死骸が何体か絡まった蜘蛛の巣が張り、乾いた埃臭さのなかで、互いの生温かい吐息を吸い合わざるを得なかった。薄目を閉じ合っている間も、彼女は髪の毛のもつれをひどく気にすることが少なくなかった。そして、床に脱ぎ捨てた服をまた着るとき、埃や塵(チリ)や毛を払い落とすために、無言で服を叩いてから袖を通すことも少なくはなかった──でっぷりと肥えた蜘蛛が網の間から凝らす、覗くようなにらみの視線が、ぼく的にはもっと気に障ったものだが。
 
 2人でいる時間は、それこそ通り雨が渡っていくようにあっという間に過ぎ去っていったが、その分、とても悦びに満ちたものだったことは、互いに耳にし合う鼓動が証明していた。
 時々、外から聞こえてくる人声やあし音によって、その鼓動が速まってしまうこともあった。誰かに見つかってしまう可能性もなくはないような場所だったわけだが、実際にそんな目に遭ったことは一度もない。それがいつまで続くことかはわからないが、ぼくは、神ってほんとうにいるのかもしれないと、その存在を信じたい気持ちに、生まれてはじめてなれたものだ。

 
 世界中に潜んでいるあらゆる秘密のなかでも、この秘密だけは、絶対に解き明かされてはならない。
 
 
 と、ぼくらは思いながら、急速な発育の兆しをみせはじめてきた、さまざまなカラダの変化を互いに確かめ合いつつ、もう会うことを永久にやめることができなさそうなところまできていた。
  
 でもこの日は、彼女のほうに習い事がふたつ重なっている多忙な曜日だったため、ぼくらが会う約束はない日だった。
 よかった。とてもいい兆候だ。


「お母さんの言うとおりにできる?」


 返事は決まっている。迷うまでもない。

 とりかえしのつかないことをしてしまったあとに襲ってくるあの感情なら、もっと幼い頃から幾度となく味わってきたから──イノセンスと引き換えに。

 
 ぼくの早熟な罪の意識なら、ごらんのとおり。
 
 
 
 


 年も明けましたので、当ブログ上において、私なりに語れることを、少し語らせていただきます。

 文学の力をどこまで信じているか? それは文学なり小説なり、まあ文芸全般、言語表現に携わる者たちには様々な考えなり思いなりがあるでしょうから、ここでは私の個人的な意見を簡単に述べるだけにさせてください。

 
 そう、今日はもうちょっと大事な話をさせていただきます。


 今この時を生きている多くの人が、たしかに抱いているであろう不満、または疑問というものがあります。それもきわめて現代的な。

 本来なら、つまり現代なら解決されていてもおかしくないはずなのに、一向に(少なくとも我々の目の黒いうちには)解決しそうにないこと。
 
 短期間で変容し続けるメディアや情報技術の力では、むしろ問題の数々を増大させていくだけで、解決につながっていきそうな予感はない。

 
 文学には、それを〈解決〉とまではいかなくとも、今よりはこの社会を、そしてそこで生きるしかない我々人間を0,01㌫でも解決に近い方向へと導いてゆくであろう力が、たしかにあると私は信じています。

 惑星無人探査機を打ち上げて帰還させる技術や、生命を人工で造り出す技術、このままいけば死者を蘇生させる技術もいずれ可能になるのでしょう。

 しかし、高度化していくいっぽうであるテクノロジーの力によって、宇宙へとロケットを飛ばせる距離はどんどん長くさせられても、私たちが自分の心のなかへと降りていける距離は、いつまで経っても深くなることはありません。

 
 それは不可能なのです。
 
 
 おそらく人間が人間である以上、それだけは不可能なのだと思います。

 ここに、解決することの困難な、現代人が抱える苦しみのほとんどがあるのです。

 
 宇宙の謎がしだいに解き明かされていくことはあっても、自分のこころ(終生尽きることのない、解消しがたい悩みの数々……。次々と襲いかかってくる、逃れようのない苦難との直面……)だけは自分自身の理性や意識でも、ましてや他人の手でも科学技術の力でもどうすることもできないのだ、というジレンマ。


 鏡に映る自分の顔や姿形をみつめ、それが現実のものであることを受け入れることができない、という理由だけで、自らの生命を自らの手で絶つことも、人間には可能なのです。


 しかし、21世紀の文学は──というより前世紀の文学がとりこぼしてきた課題を掬(すく)い上げ、または拾い上げ、永久に出口の見えることがなさそうな心理的迷宮のなかで、ただ必死に日々をさまよい続けるしかない現代人に、わずかなマップの切れ端なり、仄かなランプの灯りなりを、自らの力で探し出そうとさせる力が、今世紀の文学には確かにあるのだと、この時代をともに生きてゆく読者たちには信じてもらいたい。


 私は、そのような力を宿した作品を自ら求めて、その理想を現実のなかで形にすべく、自らの手で書いていきたいのです。