子供の頃から心に母はいない。
寂しくて悲しくて怒りの感情だらけの私。
そんな人生のメリットは、人の苦しさが分かること。
平気そうに見えてても、静かにされてても、実はとんでもなくツライ経験をされてる方も周りにいる。
苦しすぎた時は自分だけが不幸なんだっていう思考から抜け出すことができなかった。
でも、私にも仲間がいて、支え合いながら生き、心に少し余裕ができた時に、周りの方の苦労にも気がついてきた。
みんな幸せになりたくても、どうしてこんな事が起きるのかっていう不幸に遭遇したりしている。
かつての私の母親も宗教に依存しないといけないくらい、心細い思いをしたのだろう。
いっぱい涙を流して、いっぱい苦しんだ私はひとに攻撃的な発言は二度とできない。
悪口も二度と言えない。
その一言でどれだけ絶望的になるか。
それを知ってしまったから。
元気な時はいいけれど、つらい事が重なったタイミングで、正論で攻撃された時のパンチ力は半端ない。
それが年下からの発言だったりすると、なおダメージが強い。
私も若い頃バカだったので、仕事の事では言いたいこと言ってた。
でも今はあの時の先輩方が、どれだけ家事や育児をこなし、体調と向き合いながら、出勤されていたのか、わかる。
たくさんの荷物を背負って、つらい時に、軽はずみで言われる一言には、ズドンと谷底に落とされる。
私はそんな事、たくさん言った。
馬鹿だったから。
もう二度と人に正論を振りかざすことはできない。
苦労からも学ぶこともメリットとあったと認識できた。
宗教のせいで、色んなものを失ったと怒りしかなかった。
でも、宗教に苦しめられたから、家族を大切にしようと思ってるし、他人に厳しい事を言ってはいけないということも学んだ。
ものすごくつらい思いをして、家族と仲間という温かい人たちに巡り会えて、穏やかにやれている。
お陰様で、自分のやりたいこと何一つ出来ずに大人になった。
でも人生長いから子育て終わってからたくさんやれるさとも思えた。
家族を、人を大切に。
自分ももちろん大切に、丁寧に扱ってあげたい。
私には痛い勉強だったが、2世故に友達ができるのも楽しい。
きっとこれからは、過去の私が想像しなかった楽しい事もあるはずさ。
ぼちぼち、やれる事を1個ずつやっていきたい。
大きな成功や財産ではなく、小さな温かい家族と仲間。
もし苦労知らずで育ったら、成功や財産を追い求めたかもしれない。
それもやってみたかったけど、そういう人生ではなかったので、今の自分を丁寧に生きたい。