エホバって女性のスラックスOKになったんだ。


なんか、変わったな。


統治体を映像で見れたり、奉仕報告なくなったり、奉仕時間も大きく減ってるし、、、


わたしが知ってるあの宗教は、永遠の命をもらうために、現生での生き方を本気で犠牲にして、厳格にやってた。だから、高校生でも開拓者いたし、、、。


忌避も挨拶程度なら話してよいとか。





宗教と子どもという本で、忌避された人の話を読んだけど、子供を抱っこして実家に帰ったら、無視され、家の洗濯物をたたもうとしたら、それはやらなくていいからと言われ、家の中にまるで居場所がなかった。


家族全員でエホバやってて、弟にも妹にも無視されたって。



宗教育ちで傷ついて、さらに忌避により傷ついて、、、、。



本には輸血のこともたくさん書かれてた。


中学生の子が輸血をしないでくださいって言ってきた。

無輸血で手術に成功した。


でも、当時は母親に喜んでもらいたい一心でそうやってたけど、、、今となってはものすごく怖いことを言わされていたなと感じるって。手術痕を見ると思うそうです。


子供って親に愛されたい一心ですし、知識も経験もない。親が全てですから。

私も同じく病気を経験していたら、同様になってたと思いました。






さらに宗教二世は、宗教による偏見にも苦しむと書いてあった。



統一教会二世の方は、あの事件の事もものすごく苦しく思うとか。






私には私の苦しみがあるし、私の人生しか生きれてないので、苦労しているし、ものすごく生きづらく、理解されないと不満もたくさん。



でも、もっともっと傷ついてる人たくさんいるのだなと改めて思いました。





ネット上では二世問題は宗教の問題というより、そもそも親子の問題という意見もあり、



確かにうちのマイコン母親。

宗教やってなければ、別のおかしなことやってそうだし、あの人はあの宗教に救われているとは思う。


だから、宗教なくても別の意味の親子問題で苦しんだんだろうと想像できた。




さらに親子問題について、検索したら、


昔は子育ては母親の責任という考えも強く、4大卒の女性でも働き口はあまりなく、給料も男女差が大きく、家で子育てを1人でするのが当たり前、子供が泣けば夫に責められ、母を支えるのは娘の仕事。


母は愚痴を娘に聞かせて、娘に支えてもらって生きていくしかなかった。


ここで、毒親問題が発生している。

娘しか親をケアする存在がいなかったそうです。


社会に出て活躍することも叶わず、孤独に子育てをして、子供が泣けば母親の責任にされ、、、。


今より子育てが大変そうな時代。



心の支えを無くした母親がいても仕方なかったかもしれない。



今と昔では世の中が違い、同じ子育てでも大変さが違うと思いました。




毒親育ちの私にできることは、不幸の連鎖を断ち切ること。


宗教は絶対にやりませんが、子供たちを幸せにするために、自分が幸せにならないといけないと思いました。






苦しい人生でしたが、二世の仲間の存在により、荒れ狂う心が落ち着いたという貴重な経験をしました。




あの苦しい冒険のような人生の副産物は、実はたくさん仲間がいたということ。



あの頃は気づけなかった。


でも、たくさん仲間がいました。






過去は変えられないけど、過去があっていまがある。

あのころ友達になることができなかった仲間と、今繋がれた時、、、昔から友達だったかのような安心感が得られる。



人生のベースを共有してるってすごい。


親戚みたいな感じに思う。




二世の強みは、これなんだと思いました。


奪われて失っていたこともたくさんあったけれど、、、仲間とも出会うことができる。






宗教と子どもという本に、二世は自分の可能性を知らずに大人になっているとも書いてありました。


これは大きいですね。


それぞれ自分のために生きれていないので、何ができるか何が好きかさえ知らず大人になって、社会の責任を背負って生きる。


冷たい風から守るものを持っていない。


突風が来た時、隠れる場所も持っていない。



そんな状態で大人になったんですから、傷ついた身がさらにえぐれて生々しい傷がいえる時間もなく、年齢を重ねていく。




でも、可能性を知らないだけで、ないわけではない。

可能性は持っている。



傷だらけの身を隠す場所を二世仲間との気持ちの共有により、造りだし、可能性を信じて引き出すこともできるのかなぁと思いました。





育ち方が変わってる、、、心と体が一緒に成長するのが普通なら、私たちは体だけ大きくなって、心がまだついてきていない。


でも、育ってきてます。

少しづつ。



可能性もあります。




自分の成長を自分で見つめ直すと、よくここまで生きたなって思うし、他の二世さんも並々ならぬ人生を生き抜いてこられたと思います。



今の自分を抱きしめてあげたいです。

そして仲間にもたくさんの労いの言葉をかけたい。






戦ってきて傷ついた仲間からの言葉は、ココロに染みる。

生きてみようという勇気に変わる。



言葉により勇気をもらえる。


傷ついたものにしか、この強さは分からない。





涙を流した分だけ、喜びも多いのかもしれない。




よく生きた。

よくやった。



そうやって、自分にも周りの二世さんにも声掛けたい。


皆さんの存在に、今日も感謝。

ほんとうに心づよい。

仲間の存在を、傷ついたココロに知らせて、ココロの燃料にさせてもらっています。




今まで孤独だった。

真っ暗だった。

さみしくて震えていた。

つらかった。

悲しかった。

弱くて泣き虫だった。

震えていた。



でも、いまはすこしの光に温められ、癒され、前を向いた自分に気づき、成長を喜べている私。



二世の皆さん、ありがとう。

これから、やっと、世の中の子供たちのように、自分の可能性を引き出す努力ができそうです。


やっと今に時間を費やせそう。


遅いけど、遅くない。

とても嬉しい気持ちになった春でした。




またきっとどん底に感じる日が来るでしょう。


1ヶ月後にはまたどん底になってるかもしれない。



でも、1度でも立ち直った経験は、人生の引き出しを作ってくれた。



立ち直りかたを知ることができた。


どん底がきても、まぁいいや。





流れるように生きてみようと思えた今日でした。