Heartful

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こんばんは。

1年ぶり①に続いて…

今年の3月に、祖母が98歳で亡くなりました。

体調を崩してから、あっという間のことでした。

年始の家族の集まりでは、元気に過ごしてて、

その後も、何ら変わりなく過ごしてたのに、

風邪から、肺炎になりかけてるという診断を受けて、

何っていう治療を受けることなく、

ほんとあっという間に亡くなってしまいました。

祖母は、私が20歳の頃、

母の兄のお家から、引き取りました。

祖母は兄のお嫁さんと元々反りが合わないのに、

可愛い息子と、一緒に居たかったのか、

同居し始めました。

でも、お兄さんは単身赴任でほぼ家には居ず、

案の定、祖母と兄嫁さんも合う訳がなく、

父と母と私で迎えに行ったのを今でも鮮明におぼえています。

お兄さんのお家に居たのは、ほんとわずかな間でしたね。

私の家からは、電車でも車でも1時間ぐらいかかる位置にあるお家で、

祖母がお兄さんの家で暮らすようになってからも、母は毎週通ってました。

祖母は口癖のように『あんな家で暮らすぐらいなら、死にたい』って言ってて、

それを毎週聞いていた母は、相当しんどかったと思います。

母は、色々考えた結果、

急遽祖母をこっちに連れてくることにしたんです。

私の車でお迎えに行って、

お兄さんの家からこっちへ向かう中、『死にたかった』って、祖母は言ってました。

何度も何度も。

どんな思いであの家にいたんだろうって、

悲しい気持ちになりました。

急遽すぎて、まずその日は我が家は準備が出来てなくて、

とりあえず、そこから数週間姉の家で預かってもらってました。

その後、我が家に来て、

そこから、私は結婚するまで一緒に住んでました。

結婚してからも、祖母のひ孫にあたる心たちを連れて行くたびに、

祖母は、たくさん遊んでくれました。

特に結は、ひいおばあちゃんっ子で、

私や母でも、何って言ってるのか分からないことでも会話になってたり、

ずっとべったりで遊んでもらったりもしました。

今年の年始の集まりも、

いつものように集まって、いつもの祖母でした。

救急車を呼んで、病院へ行くってなった日も、

私は心配で、急いで実家に駆けつけました。

息をするのも大変な状況で、

ハアハア言いながら、体全部を使って一所懸命呼吸をしてました。

心配そうに見つめてる私を見つけて、

息をするのもやっとなのに、

『おねえちゃん.来てくれたんか』って…。

それが、祖母と話した最期になりました。

入院したのは1週間だけでしたが、

その後は、話せないことがほとんど。

話せても、何を言ってるのかはもう聞き取れない状況でした。

唯一、1日だけおしゃべりな日があって、

幸い、その日にお見舞いに行けたんです。

手を握ったら握り返してくれて、

きっと、『きてくれたんか』って、言ってくれてたのだと思います。

もう1日、それも唯一心たちがお見舞いに行ける日があって、

ダーも皆で行きました。

心たちが知っている祖母ではもうなくなってて、

寝たきりで、目も開かず、もうかなり遅くなってた呼吸の音だけが聞こえる祖母の姿を見て、

結は、ショックを受けてました。

ショックを受けるかもしれないって事は分かってましたが、

頑張って生きている祖母の姿を、ちゃんと見てほしかったんです。

心は、祖母の手を握ってたくさん呼びかけてくれて、

約6年過ごした祖母の事を想ってくれていました。

その後、私は1人残って、

母も皆、帰りました。

ダーも、子供達と一度帰って、

晩御飯作っとくから、気がすむまでそばにいてあげたらいいよって言ってくれました。

その日の次は、また1週間お見舞いに行けない予定だったので、

私も、できるだけ長く、そこに居たかったんです。

呼吸数が少ない事を知らせるアラームが常に鳴ってる中、

祖母に呼吸してねって話しかけながら、

持ち直してはまた鳴って。

最近では、アラームが鳴っても驚かない、そんな病状でした。

少し安定したところで、帰るねって一言かけて、

看護師さんに、お願いしますって声かけて、

迎えにきてくれた車に乗って帰りました。

家について、ダーが用意してくれてた晩御飯を温め直して、食べようかなってところで、

携帯が鳴りました。

母からでした。

危ないらしい、今すぐ来てくれって病院から連絡があったって。

すぐにダーの運転で父と母と私と子供達を乗せて病院へ向かいました。

ダーと子供達は車に残って、私と父と母は走りました。

病室まで走りました。

先に着いてた姉が、祖母の手を握ってて、

心拍の機械音で、だんだんと間隔が開いていくのが分かりました。

着いて、ほんの数分後、

呼吸数0を示すアラーム音が鳴り響きました。

あぁ、亡くなってしまったんだなって、

悲しみでいっぱいになりました。

そこからは、お葬式の準備やらで大忙し。

夜だったのにも関わらず、

こんなにとんとんとお葬式の話が進んでいくのかって不思議に思いつつ、

悲しくもなりました。 

子供達には、おばあちゃんはお空に行ったよって、

たくさんお話しました。

この先、覚えていてくれるかは分かりませんが、

少しの間でも、ひいおばあちゃんとひ孫が一緒に過ごせたことが、

とても嬉しく思います。

私だけじゃなく、私の子供達にまで、

たくさんの愛をありがとう。

お母さんは大変だったかもしれないけど、

私は、数年間一緒に同じ屋根の下で過ごせて嬉しかったよ。

もっともっと、一緒に過ごしたかったけど、

もっともっと、子供達と過ごして欲しかったけど、

最期まで、頑張る姿を見せてくれてありがとう。

いつまでも、見守っててください。
こんにちは。

ちょうど、1年ぶりの更新となりました。

毎日毎日、日記のように書くことを目標に、

頑張って書いてたブログでしたが、

2日書くのを忘れ、3日忘れ、

飽き性で面倒臭がりの私は、書くのをやめちゃいました。

でも、この1年何も無かったわけではありません。

ママ友関連では、色々ありました。

去年の秋、ちょこちょこ仲良くしてもらってたママ友グループが分裂。

元々属してた方たちの中に、私たち数名が入れてもらってた様な形だったんですけど、

その属してた方の中には、そこまで仲良くしたくないと思ってた人もいたり、

元々の仲には、割り込んでほしくないと思っていた人もいた様で、

それが仇となって、元々属してた方たちの間で温度差が生まれたり、問題が勃発。

問題と言っても、起こした方は未だに気付いていないようですが、

結局、分裂してしまいました。

相手側が女子女子してて、男っぽい私からしてみればもっとも苦手としてることでしたね。

そのあと、問題を起こされてしまった方の数名と、後からいれてもらっていた私たちと一緒に遊ぶ様になりました。

今となっては、なくてはならない唯一無二のママ友さんたちです。

毎日のように会っても飽きなくて、

言いたいことも言い合える、ママ友をも越えている大切なお友達です。

相手側に何も言うこともなく分裂してしまったのが、
未だに引っかかるところではあって、

私は、無視だったりはどうしても嫌なのでお話したりしますが、

された方からしてみれば、かなりのことをされてるのも事実ですから、

はっきり、間違ったことをしてるって伝えたい衝動にかられる毎日です💦

まだまだ、書きたいことがたくさんですが、

長々になっちゃうので、続きは②で。