武蔵国の川越平方村(現在の埼玉県上尾市平方)のある男が散財してお金に困り分家筋の甥を頼って16両のお金を借りたのですが、彼はそれを返すことなくこの世を去りました。分家のほうの甥っ子は本家の伯父に貸したお金なので、目上である伯父を責めることも出来ず敢えて本家に借金の催促をしないままにしていました。

 

 

その甥っ子はしばらくは特に何事もなく暮らし、ある時彼は時荷運びの仕事のために一頭の馬を買いました。この馬は不思議なことにとても力強く従順で他の馬の何倍も優れて良い働きをするので甥っ子は大変喜んでいました。

 

 

ある日のこと、旅の一人の修行者がその甥っ子の家を訪れ一夜の宿を乞い、甥っ子も快くそれを受け入れました。

その修行者は心根の悪い男で家の主人(甥っ子)が綺麗な家に住み、また良い衣服を着ていることを羨んで夜になるとその家の主人の服を盗み出してやろうと言う心がむくむくと起こりました。

 

自分が貧しい修行者であるのにこの家の主人は贅沢な暮らしをしている。こんな不公平なことがあって良いのであろうかと考え出すとたまらず、真夜中になって家の者が寝静まった頃に家の主人の部屋に忍び込み、目的の服を盗んで逃げ出そうとしたところ真っ暗な馬小屋の方から「修行者待て」と呼び止められ修行者は泥棒がバレたと大変驚きました。

 

 

見つかってしまった以上は逃げられないと思った修行者ですが、再び馬小屋の方から「修行者こっち来い。逃げようとしても逃さないぞ。」と言われたので、観念して馬小屋のほうに行くとなんと声をかけてきたのは人間ではなく馬でした。

 

 

その馬は次のように言いました。今お前を呼んだのは自分だ。言って聞かすことがあるからよく聞きなさい。お前はこの家の主人の裕福な暮らしを羨んで彼の服を盗み出そうとしたがそれは大変悪いことだ。そんな悪い考えは改めて早く元の場所に盗んだものを返してきなさい。そうすればお前の罪は消えるだろう。そして夜が明けたら家の主人にそのことを正直に話して謝罪し、今から自分が言うことを伝えてくれ。

 

 

実は自分は今は馬の姿になっているが、生前はこの家の主人の伯父であり、人間であったときに散財して分家のこの家の甥である主人から16両のお金を借りたことがあった。しかしその借金を返すことなく死んでしまったのだ。甥に借りた金とはいえあの世に行ってから借金を返さずに死んだことが心に引っかかって、今はその借金分の働きをするためにこうして馬に生まれ変わってこの家に飼われて働いている。

 

 

馬として重荷を背負って働くことは苦しかったが、生前借りた16両の借金分の働きは既に済ましているから自分にはもう借金はなくなった。

そして明日はこの家の主人が自分に荷物を背負わせて川越の町まで行く用事があるが、言った通り自分は既に借金分の働きはしているのでもうこの家に戻ってくる必要はなく川越からの帰り道で自分は死ぬ予定であるから明日の朝になったらこのことを家の主人に伝えてくれと言いました。

 

 

修行者は話の内容に大変驚きましたが、ともあれ盗んだ衣服を元の場所に返し、その晩は床につきました。

 

 

翌朝、馬に言われたように自分が服を一度は盗み出したことをその家の主人に正直に告白して謝罪し、また馬からの伝言も伝えました。

 

主人は大変驚き「確かに本家の伯父は私から16両のお金を借りたまま返さずに死にました。縁もゆかりもないあなたがそんなことを知っているはずもないので、あなたが言っている事は本当なんでしょう。ということはこの馬は伯父の生まれ変わりということでしょうか。この馬は常に重荷を背負って他の馬の何倍も一生懸命働くとても良い馬でした。伯父と知ったからには重荷を負わせて働かせるのは心苦しいが、今日は川越にどうしても荷物を運ばなければいけない仕事があるので申し訳ないけれども行かねばなりません。修行者殿も同行してもらえますか?」と言いました。

 

 

言われた通り修行者は川越まで同行し、昨夜の言葉通りその馬は荷物を運んだ帰り道に倒れて死んでしまいました。馬はその場所に埋められ、その甥である主人は傍に庵を立てて「私はこの庵の主人になって伯父の供養をするようにしよう。修行者殿も縁あってこのようなことになったのですから、伯父が再び人間に生まれることができるように祈ってくれますか?」と修行者に言いました。修行者はその後、念仏修行を積んで伯父を弔うようになりました。

 

 

後になってこの事が川越の領主の耳に入り、馬啼寺と寺号を下し賜って禅宗の寺として寺領十五石を得ました。武州平方村の馬蹄寺というのはこの寺のことです。

(現代文に直しています。)

 

 

奇談雑史

 

 

馬啼寺という寺は今でも同地にあり、wikiによれば鎌倉時代の吾妻左衛門という男が伯父である三輪庄司の菩提を弔うべく寺を創建したとあります。当初は「馬蹄庵」と呼ばれ、馬頭観音を安置していたため、馬を飼う人々の崇敬を集めるようになったとのことです。

 

 

 

普通は人間のように進歩した存在になったら進化の後戻りとして動物のような下級の存在には生まれ変わらないとよく聞きます。

 

 

この伯父も話を聞く限りは悪人とは思えず、仮パクして死んでしまったお金を気に病んで馬となって地上に戻り借金分の仕事をするわけですから人としての筋を通そうとした善性を持っています。

 

 

これは多分、馬の肉体に人間の霊が懸かって仕事をしたということなのだと思います。事実借金分の仕事をした後はすぐに解放されているので進化の階段を後戻りして動物霊に成り下がったというよりは馬の肉体を使って人間霊が一時的に地上での因縁を断ち切ろうとしたということでしょう。

 

 

地上時代の後悔や因縁を切る一番手っ取り早い方法は地上においてそれを行うことです。ああしておけば良かった、これを成し遂げずに死んでしまって悔しい、という後悔や恨みなどの念を振り払うには大変な修行が必要で、小桜姫物語の小桜姫も死後すぐの頃は生前の恨みを晴らすために怨霊となろうとするのを世話役の指導霊に窘められ、長い修行の末にそういった負の感情を振り払っています。

 

有名な菅原道真の祟りも同じで、地上時代の因縁は地上にて断ち切るのがもっとも手っ取り早いです。

 

 

もちろん必ずしも生前のやり残しが悪いものばかりとは限らなず世のための益になることもありますが、幾ばくかの借金程度のことであれば該当する人はたくさんいそうです。

 

 

16両という金額が現代の価値換算でどれだけの金額なのかはわかりませんが(おそらく300~400万円くらい)、たったこれだけの借金で進化の後戻りを必要とするのでしたら、これよりもっと酷い悪行を積んだ人間は山ほどいるわけですから、彼らが全員動物霊になっていることになります。

 

 

しかしそんな話は聞きませんし、それどころか逆に再び人間生まれて生前の償いや自己改善の試練を受けているというケースがおそらくほとんど全部なのではないかと思われます。

 

 

大切なのはできうる限りそういった後悔を残さずに生きることです。この馬おじは既に死んでしまっていますが、私たちはまだ生きています。もし今日に死ぬとしたらあなたは何をしますか?というのはよく聞く有名な話ですが、参考になりそうなサイトを挙げておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご老人などに人生で後悔していることは何ですか?と聞くと一番多いのは「チャレンジしなかったこと」だそうです。もちろんプライベートにおいてこの馬おじのように借りた金を返したいというのもあるでしょうが、もしあなたが今日が人生最後の日なら何をしますか?

 

 

大抵の人は普段と違う行動を取るでしょう。もしそれをすることが出来たら死後の世界での後悔を一つ減らすことが出来ます。この馬おじも生前この質問をされていたらきっと甥っ子にお金を返したいと言ったはずです。

 

一旦死んでしまうと肉体があれば簡単に出来たことすら出来なくなってしまうので、それを成し遂げるのは大変な苦労が必要ですし、さもなくば諦めるしかありません。諦めきれない後悔を持ったまま死ぬ人間はそれこそ山のようにいます。

 

 

上のリンクのジョブスのように毎日をそういう心で生きれば死んだ後に少なくともこんな生き方をしなければよかったとか、自分の意思で取り返しのつかないことをしてしまったということはかなり避けられるはずです。

 

 

今の自分の人生で死後後悔しないか?今日死ぬとして何かやり残していることはないか?と心に問えばきっと怠惰に生きている人は考えを改めるのではないかと思います。

 

 

もちろんすべてのことが一日で成し遂げられるとは限りません。年単位でなければ出来ないこともあるでしょうが、人生は無限ではないし、ある時突然ぽっくり行ってしまう可能性は誰にでもあります。

 

 

私にも経験がありますが、まずは本当に今日が人生最後の日だったとしたら何をするのか?ということを考えてみると良いと思います。

 

 

そして明日無事に目覚めることが出来たらそれ以降もずっと同じ気持ちで生きていくことです。