明治十一年七月九日の夕、神界へ参る砌り大空より怪しきものの通行するを見たり。裸体にて仰面になりたる人の身長二十間もありしと思ふばかりの男を数百の鬼形なる者の担ぎて乾の方をさして勢ひこみて馳せ参りたり。

 

伴へる神に問ひきければ「こは魔神のなすわざにて大人と見ゆれども悪気を以て人形に結びたる物なれば、その気に触るる時は必ず流行病を受けて病死するなり。

 

虎列羅病などを流行せしむるもあの魔物の禍なり」と指し給へり。其見たる時は身の毛もよだちて恐ろしさいはんかた無かりき。

 

神仙に伴はればこそかかる魔物も肉眼にて見る事を得しなれ。

 

意訳

明治11年(1878年)7月9日の夕方に神界へ行く際に大空に怪しいものが通るのを見ました。裸で仰けになった身長36メートルくらいの大きな男を数百の鬼の姿をした者たちが担いで南東に向かって勢いよく進んでいきました。

 

一緒にいた神に質問すると「これは魔神の業で巨人に見えるけれど、本当は悪気を固めて人形した物であり、その気に触れれば必ず流行病になって病死する。コレラなどを流行させたのもあの魔物である」と教えてくれました。それを見たときの身の毛のよだつ恐ろしさは言いようがありません、神仙と一緒にいたからこそそのような魔物を肉眼で見ても事を得たのだと思います。

 

 

後に川丹先生に魔の住居を問ひけるに「右十二の魔神は各々所を異にして眷属を置きたり。中に三本と神野とは住所同じくして天下の人民に災害を与ふるなり。

然るに此魔界昔分列して二界となり、其界の主領は西端逆運魔王といふ流行病などは此界の仕業にして、明治十一年七月頃汝に教へたりし魔は此等の部内なり。此部内の魔の災をなすは日入頃に多くして日の出る前には立去り、又夜分を窺ひて来るなり。西端逆運魔王は地球中西方の極の積濁中の悪気に生じたる霊なり。

 

意訳

 

後で川丹先生に悪魔たちの住処について質問すると「12の魔神(異境備忘録に登場する12の魔王たち)は色々なところに住んでいて部下を伴っている。その中で三本(悪魔序列当時11位)と神野(悪魔序列当時4位)は同じ場所に住んでいて人間たちに災害を与える。しかし悪魔界は分裂して2つになり、そのうちの1つの界のトップは西端逆運魔王と言う。流行病などは此界の悪魔たちの仕業で明治11年7月頃に教えた悪魔はこいつらである。これらの悪魔が災をなすのは日没頃が多く日の出前には立去る。または夜中にも来る。西端逆運魔王は地球の西方の極の積濁中の悪気に生じたる霊である。

 

 

異境備忘録    宮地水位

 

 

この手の話は仙人系の書物を読んでいるとボチボチあって歴史上に世界各地で流行した病の多くはこのような悪魔界(兇党界)の悪魔たちの仕業によると述べられています。

 

 

悪魔たちはかなり強いですし、また神仙たちが悪魔を退治しないのは人間たちの自業自得という側面があり、自分で蒔いた種は自分で刈り取らなければならない部分があるからでしょう。

 

 

例えばペスト、コレラ、現代ならコロナウイルスがそうですが、コロナウイルスを作ったのはシナ中国であったとしても、地上は霊界の写し鏡なわけですから霊界で先に動きがあり、それが地上に写ります。

 

 

霊界での悪魔たちの活動の結果が地上に写って私たちに理解出来る形での病気となって現れているので原因は霊の方にあります。

 

 

汚いトイレにいる仏魔なんかの話は有名ですが(トイレが汚いと汚い界の存在と繋がるという意味)、大抵はその手の類いの魔物と出会うと病気になってしまうようで、ひふみ神示にもその手の記載がいくつもあります。

 

 

 

一升マスには一升入ると思ってゐるなれど、一升入れるとこぼれるのであるぞ、腹一杯食べてはならん、死に行く道ぞ、二分を先づ神にささげよ。流行病は邪霊集団のしわざ、今にわからん病、世界中の病はげしくなるぞ。

 

 

今に病神の仕組にかかりてゐる臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりてゐても、人も分らねばわれも分らん病ぞ、今に重くなりて来ると分りて来るが、その時では間に合はん、手おくれぞ。この方の神示よく腹に入れて病追ひ出せよ。

 

世界に何とも云はれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ。

 

ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。

 

病神がそこら一面にはびこって、すきさへあれば人民の肉体に飛び込んでしまう計画であるから、余程 気付けて居りて下されよ。

 

 

元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、洗濯すれば治るぞ、病神は恐くて這入って来られんのぢゃぞ、家も国も同様ざぞ。神示幾らでも説けるなれど誠一つで説いて行って下されよ、口で説くばかりではどうにもならん

 

 

 

 

出口王仁三郎も邪霊集団はまだまだドエライ仕組みをしていると述べていますが、地上の大騒ぎは地上だけで起こっているわけではなく霊界と連動しています。

 

 

また誰でもランダムで病気になるわけではなく、病神に魅入られるような人はやはり普段から悪事を積んでいたり、神に心を向けない人であり、悪霊たちと近い性質を持っていたり、そこまで行かなくても霊的な意味での防犯・防疫意識の低い人たちです。

口と心と行いが正しく神をちゃんと祀っている人は病気になりにくく、また神からの守りもあります。例え霊的なことを理解していなくても善人はそもそも神から見て好ましい存在なので守りを得やすくなります。

 

 

霊界の方で守ってもらえるから地上でも大丈夫というわけですが、現代人は善人よりも悪人が圧倒的に多く、正しい神を祀る人間は本当に少ししかいなくなってしまいました。

 

 

病神も個性を持つ存在ですから正神の守護がある人間やそもそも口と心と行いが正しい人間はひふみ神示風に言うなら身魂が磨けているのでビビって近付いてきません。

 

 

特別な例外を除けば霊的段階が異なるので近付くことが出来ず、一番はひふみ神示でいうところの「ミタマ磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。」という状態にするために自分の悪い癖を直し、少しでもマシな人間になれるように努力することです。

 

 

物質的な側面だけを見てマスクや手洗いなどの対策を取るのは決して悪いことではなく、むしろ必要なことなのですが、霊の方も見ないとどうにもならない状態なので自分自身の向上を目指し正しく神を祀るしか方法がないように思えます。

「元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、」ともありますが、今の人間はもはやいるに決まっているのに神のあるなしを論じるくらいですし、霊的な側面に見向きもしない人間がほとんどです。

 

 

病気のみならず、まだまだどんどん進んでいくと思われますが、誰に寄らずちょっとも油断出来ません。人間は人間で物質的なレベルで出来ること行い、正しい神を正しく祀り、また自己向上を心掛け、善行を積むしかありません。