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今回のまとめ

・創造神の目的の1つは自身の望む世界(天国)を作ること。

・そこで創造神は天使や天人と共に住む。

・物質としての地球はその準備をする1つの舞台。

・物質としての人間は霊である天人の養成所(器)。

・地上生活は天人として天界に進むための準備段階。

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創造神が物質としての宇宙を作ったのは、自身の望む世界(天国)に住む天人を作る苗床(準備段階)である物質的な人間が暮らす場所を用意するためでした。

これは誰もがそう信じるべきです。

 

中略

 

次に述べる理由から人々は宇宙には1つ以上の地球のような星があることを信じられるでしょう。その理由というのは宇宙は非常に広大であって太陽のような恒星が無数にあり、その星の1つ1つは私たちの太陽系のようにそれ自身の惑星と世界を持っています。

(宇宙には私たちの天の川銀河には太陽のような2000~4000億個あり、宇宙にはそのような銀河が2兆個ある)

 

 

普通に考えるならどんな人でもこんなにも広大な宇宙は創造の究極的な目的に対する1つの手段でなければならないと結論づけます。創造の究極的な目的は創造神の望む世界(天国)であってそこで創造神は天使や人類達と共に住まうのです。

 

 

なぜなら目に見える物質的な宇宙、つまり恒星である無数の星が輝く天空は地球やそこに住む人類は創造神の目的のための1つの手段に過ぎずこの人類から天国が形成されるからです。(成長してより進歩向上した天人になって創造神が望む世界に住むための準備のために物質としての地球や人間の肉体がある)

 

 

以上の根拠によって理性的な人間は了承をせざるをえません。すなわちこんなに大きな目的に適合する手段は1種類の人類(地球人のこと)やたったひとつの惑星(地球のこと)だけで構成されたものではないということです。

 

1つ1つの惑星が全知全能にして無限なる創造神にとって何物であり得ますでしょうか。居住者たちが満ち満ちている幾万の地球のような星があったとしても創造神にとっては取る足らない小さいものでししょう。

 

*かなり意訳しています。

 

 

 

 

 

スウェーデンボルグの星界報告は彼が地球人以外の霊と語り合っている貴重な書籍です。ただ日本語訳が非常に独特でちょっと何言ってるかわからないと感じる箇所が多数あり、内容としては興味深いものですが日本語訳されたこの本をお勧めできるかどうかはちょっと微妙です(なので引用文もかなり意訳しています)。

 

 

 

これについては出口王仁三郎も似たようなことを言っています

 

 

 

すべ人間にんげん現実界げんじつかいうまれてたのは、はば天人てんにん胞衣えなごときものである。さうしてまた天人てんにん養成器やうせいきとなり苗代なはしろとなりまた霊子れいし温鳥ぬくめどりとなり、天人てんにんなへそだつる農夫のうふともなりるとともに、人間にんげん天人てんにんそのものでありまた在天国ざいてんごく天人てんにん人間にんげん善徳ぜんとく発達はつたつしたものである。さうして天人てんにん愛善あいぜん信真しんしんつて永遠ゑいゑん生命せいめい保持ほぢるものである。ゆゑ人間にんげん現界げんかいせい天国てんごく復活ふくくわつし、現界人げんかいじん相似さうじせる生涯しやうがい永遠ゑいゑんおくり、天国てんごく円満ゑんまんをして益々ますます円満ゑんまんならしむべく活動くわつどうせしむるために、大神おほかみ目的もくてきつてつくりなされたものである。ゆゑ高天原たかあまはらける天国てんごくおよ霊国れいごく天人てんにん一人ひとりとして人間にんげんよりきたらないものはない。大神おほかみさまのぞほか一個いつこ天人てんにんたりとも天国てんごくおいうまれたものはないのである。

 

 

 

 

 

創造神の作る天国に住む天人を作るための準備段階として物質としての人間の生活があること、人間の物質界での人生は死後天国に進むための準備段階であること、そのための言わば学校や養成所として物質宇宙が作られて、太陽系や地球やあらゆる物理法則が作られているているというわけです。

 

 

 

スケールを多少小さくして考えるなら、要するに創造神は自分好みの箱庭を作りたいわけです。但し場所だけを作ってもそこに住む人がいなければ面白くありません。そしてその場所は天国とも言うべき非常に素晴らしい場所なので未熟な段階の人間はまだそこに住むことができません。そのために物質と言う振動数の低い存在を作り、天国という名の箱庭に住むための人間を養成する場所と物質としての肉体を作ったというわけです。

 

 

 

異星人がいるかどうかは議論の余地がありますが、宇宙には私たちの天の川銀河には太陽のような2000~4000億個あり、宇宙にはそのような銀河が2兆個あり、1つの恒星につき水金地火木土天海冥のように、平均に9個の惑星を持つならば4000億×2兆×9の数の惑星があることになります。

 

 

これらの星々が無意味に作られたとは考えにくいわけで、またそれだけのたくさんの星々に生命が存在しないと断じることは出来ません。もちろん確認したわけではないのであるともないとも言えませんが、実際に生命が存在する星が1つあるわけですから4000億×2兆×9の数の惑星があればもう1つ、2つ、3つ、4つとあると考えるのが妥当かと思います。

 

むろん地球人と同じ物質振動数ではなくもっと洗練された振動数の生命体もいるわけですから、おそらくおのおのの星にそれなりの意義があり、その意義の終局目標が創造神の望む世界を作ることに繋がっているのでしょう。

 

 

 

昔あったシムシティーやシムアースのような育成シミュレーションをリアルでやっており、しかもその規模は都市1つ、惑星1つではなく、宇宙全体というわけです。もしかしたら宇宙は1つだけではなく、私たちとは別の宇宙があるのかもしれません。

 

 

物理法則や物質の種類、その作用と反作用の複雑さは人類の到底窺知すべきものではなく、あまりに広大であまりに深遠です。

 

これに関してシルバーバーチも似たようなことを言っています。

 

人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために、さまざまな体験を積むということです。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。

この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。このことは地上だけでなく、私どもの霊の世界でも同じことです。

 

 

 

 

但し詳しく色々な霊的な書物を読むとわかりますが、地球での物質生活を終えれば即最高天国というわけではなく、無限の段階があり、少なくとも小学校を卒業したらすぐに立派な社会人というわけではないようです。

 

 

地球はいわば小学校みたいなもので、小学校を卒業してもまだまだ子供です。中学校に進み、高校、大学を経て、社会に出てからも新社会人は既に立派に働いている先輩たちには見劣りするでしょう。

 

 

そういう意味では地上に通信を送ってくれたシルバーバーチなどの霊も途中の段階であり、また私たちよりも劣っている動物たちもまた途中の段階です。

 

下記の話自体は嘘か本当かわかりませんが、人間に生まれて来る前は誰もが動物の段階を経験しています。

 

 

 

 

すべての人間がかつて動物であったことについてシルバーバーチは以下のように述べています。
 
幾百万年とも知れない歳月をかけて、あなたは下等な種から高等な種へと、媒体を徐々に発達させながら、泥の中から天空へ向けて一段一段、ゆっくりと進化してきたのです。その間、少しずつ動物性を棄てては霊性を発揮するという過程を続けてきました。今あなたが宿っている身体がそこまで達するのに果たして何百万年かかったことでしょう。
 
しかもまだ進化は終わっていないのです。そして他方において魂の方も進化させなければならないのですが、あなたはそれにこれから何百万年かけることになるでしょうか。かつてあなたは猿でした。猿そのものだったという意味ではありません。猿という種を通して顕現した時代もあったという意味です。それも大霊(神)の機構の一部なのです。

 

 

そして創造神の箱庭たる天国にいる天人たちもかつては物質世界で生きていた人間であると出口王仁三郎は以下のように述べています。

 

 

高天原たかあまはらける天国てんごくおよ霊国れいごく天人てんにん一人ひとりとして人間にんげんよりきたらないものはない。大神おほかみさまのぞほか一個いつこ天人てんにんたりとも天国てんごくおいうまれたものはないのである。

 

 

 

創造神を別として初めから段階の高い存在として作られそれを維持している存在が果たしているのかどうかは私にはわかりません。出口王仁三郎はないと言っていますし、シルバーバーチも人間はかつては動物から進歩してきたと述べています。

 

 

創造神によって最初から高度に進歩した神レベルの存在として作られて、現在でもその水準を維持している、あるいは最初から人間として生まれてきて動物時代を経験していない人間がいるのかどうかはなんとも言えませんが、普通に考えればないのだと思います。

 

 

ただ高度に進歩した霊は全部が物質的な生を経験しているわけではなく、自然霊と呼ばれる存在は物質としての生を経験しなくても進歩できる道筋があるようで、進化の道は一本道ではないとも色々な霊的な書物で述べられています。

 

 

それはともかく私たち人間は天国へ進むために自分の欠点・弱点を克服し、より立派な人間になるために努力しなければなりません。

 

ひふみ神示には天国へ進む鍵として以下のような一文があります。

 

 

無くて七癖、七七四十九癖、悪い癖直して下されよ。天国へ行く鍵ぞ。直せば直しただけ外へ響くものが変わって来るぞ。良くなって来るぞ。変わって来れば、外から来るもの、自分に来るもの、変わってくるぞ。良くなって来るぞ。幸となるぞ。喜び充ち満つぞ。神充ち満ちて天国ぢゃ。一歩づつ進め。一歩づつ絶えず進めよ。それより外に道は無いのぢゃ。

 

 

シルバーバーチ風もひふみ神示も出口王仁三郎もみな似たようなことを言っており、決して地上物質界での人生のみがすべてではなく、むしろ地上での生活は自分の欠点や弱点を克服したり、過去世での罪の償いだったり、悪い癖を直すための場であって、そのために地上に生まれてくるようです。

 

そして地上生活で学ぶべき教訓を得て、あるいは悪い癖を直し、弱点や欠点を首尾良く克服出来たなら、次の段階の人生へ進み、もし駄目なら何度でも地球か地球と似たような進歩段階の別の惑星に生まれて、その人がすべきことやすべきでないことを出来るようになるまで何度でも繰り返すといわれています。学校の例えなら留年したり、あまりにも何度も留年するならば違う学校(違う同レベルの惑星)へ転校するそうです。

 

 

 

「何度でも」と言っても実際は優秀な人なら2~3回、多くても10回程度で大体地球での物質的生活での目標をクリアーする人がほとんどであると多分マイヤースだったと思いますが読んだことがあります。

 

 

シルバーバーチは「その教訓を学ばずに終われば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られないことになります。」と述べていますが、出来るだけ多くの教訓を学び、出来るだけ上の段階へスムーズに進めるように努力しなければなりません。

 

 

その形は人によって千差万別で場合によってはゼロをプラスにするのではなく、マイナスをゼロにするところからやる必要のある人もいるかもしれませんが、進歩向上することは私たちにとっては喜びでしょうし、創造神の意志にも沿っていることになります。

 

 

もっと単純に考えれば親である創造神は子である人間たちに立派に、幸福になってもらいたいのだと思います。人間の親でも子供にはそうなって欲しいと普通は考えます。

 

 

ただ生まれたばかりの赤ちゃんではそうはいきません。幼稚園なり、小学校なりと過程を経て徐々に大人になっていきます。その途中で様々な勉強をし、色々な出会いがあり、あらゆる経験を積んで少しずつ立派になっていきます。

 

 

地球は丁度小学校みたいなもので、地球にいる大多数は小学校1年生~6年生くらいの段階であると思います。もちろん進歩した中学生や高校生が小学生のために小学校である地球に来てくれたり、あるいは教師として立派な大人たちが派遣されてきてもいます。しかし全体数としては僅かでありその小学校全体の質を決めるのはやはりその学校にいる小学生たちです。

 

 

もちろん天国へ進むことが創造神の目的だからと言って小学校が無茶苦茶な荒れ放題のままで良いはずがありません。どの段階の学校であっても立派に機能するようにしなければならないはずです。

地上は地上で立派にしなければならないのでひふみ神示でいうような立て替え立て直しが必要になるのだと思われます。