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今回のまとめ

・個人的な施しをするだけでは社会全体は良くならない。

・慈善は真の救済とは言えない

・社会を善くするためには根本から改める必要がある。

・地上物質界の根本は霊界・幽界なのでこちらを良くする必要がある。

・そのためには善神、正神に強くなってもらうしかない。

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 疾病・罪悪は実在にあらず疾病なきが常態なり、光明の欠乏したる部分を称してこれを疾病と称すべきのみ、罪悪もまたこれに同じ。

 疾病の根治は健全社会の建設と同時に出現すべき自然の現象のみ、疾病と罪悪とは社会の陰影なり。社会病みて人病み、社会罪悪に陥りて人罪悪を犯す。

 社会組織は本源にして各個の疾病罪悪はその影なり。結果なり。社会組織を改めずして各個より疾病罪悪を去らんと欲するものはすなわち墨汁中において墨痕を洗い去らんとなすに等しい(筆に付いた墨汁を綺麗に洗うために墨汁を使うことと同じ)。洗うことますます努むるに従ってその黒さを増すこといよいよ甚だしかるべきなり。これを現代滑稽画の随一なるものとす。

 

出口王仁三郎

 

 

〇慈善は真の救いではない

 

よく「社会全体がよくならないうちは個人の幸福はあり得ない」という文章を見ますが、不幸な人を尻目に自分だけが幸福になることは出来ないという意味のほかに不幸な人間を生み出す社会構造を維持したままでは個人が幸福になることは出来ないという意味があります。

 

 

それはあたかも根本原因を放置したまま対処療法のみを続けるのと似ていて、バケツに穴が空いて水が漏れているのに水が減ってしまうからとバケツに水を注ぎ続けるのと同じです。

 

この場合は水を足すよりもバケツの穴を塞ぐべきなのは誰でもわかりますが、出口王仁三郎はこれを社会全体に対して、特に宗教団体が個人救済というバケツの穴を塞がずにバケツに水を注ぐ行為のみに焦点を当てている点を問題としています。個人レベルでも慈善活動として寄付ばかりしている人にも当てはまるかもしれません。

 

 

実社会で一例を挙げてみましょう。例えばなぜホームレスが大量にいるのか?なぜその人はそうなったのか?です。それは個人の怠惰が原因かもしれませんし、強い者勝ちの社会構造によって生み出されたものかもしれません。ホームレスになった原因は社会構造がそれを助長するような種類のものだからかもしれません。

 

 

理由は色々あるでしょうが、本来社会とは一人一人の人間が立派にやっていけるように様々な手助けや教育をするべきなのに一部の金持ちや権力者に富が集中し弱者が這い上がれないような構造になっていて搾取の対象になっているような社会構造がたしかに存在します。

 

 

ワープアやスラムがこの地上世界に存在するのはワープアやスラムがいたりあったりした方が都合が良い人たちが存在し、その人たちによってそれが維持されているからです。

もし人間たちが助け合い、働いて得たものをみんなで分け合い、また出来るだけ立派な人間が増えるように子供たちに教育を施せばスラムは地上から消えるでしょうし、地上を天国のようにすることが可能です。

 

 

しかし現実にはそうはなっておらず地上世界において強い権力や財力を持っている人たち、具体的には政治家や大企業の社長などがわかりやすいですが、こういった人たちによって現状の社会構造を維持され、また彼らに都合の良いように天国どころか地獄的に改悪されていることも事実でしょう。

 

 

社会構造そのものに問題があり慈善として寄付や炊き出しを行うことは決して悪いことではないもののそれだけでは不十分ということです。当座の凌ぎとしてそういったことはたしかに必要ですが、慈善的個人救済のみに焦点を当てることはギャンブル依存症で金欠の人物に当座の衣食住がないからと言ってそれを与えるだけに留まったり、精神を病んで常習的に自傷行為を続ける人の肉体的な治療のみを行うのと似ています。

 

 

その日の食べるものも寝る場所もなければ確かに誰かがその人を助けなければいけませんし、自傷行為から怪我をしたならその人には医療的な処置をしなければなりません。また自然災害における復興はここでいう慈善とは少しニュアンスが異なりますが、やはり優先して取り組まれるべきもので絶対に必要です。そのこと自体は必要なことです。しかしそれだけでは根本的な解決になっていません。

 

 

個人レベルでも団体レベルでも社会悪の根本的な原因に目を向けずに個人救済のみに焦点を当てるのは慈愛の心からそうする場合が多いのでしょうが、それでは根本的な解決にならずに個人救済を行いつつもむしろ社会悪を維持するのに消極的に参加していることになります。先の例えでリスカを続ける人は物質的に治療しても根本的な原因がそのままであればリスカを続けるでしょうし、ギャンブル依存症の人はむしろ衣食住が他人の施しによって保証されるならよりギャンブルにのめり込んでいくかもしれません。慈善は真の救いとは言えないわけです。

 

 

〇実際にどうするか?

 

神様は地上世界を良くしたいと考えており、実際徐々に地球は良くなっています。例えば18世紀の西洋にあった正真正銘の奴隷制度は現代は廃止されていますし、南アフリカであったようなアパルトヘイトのような露骨な白人による有色人種の差別は、少なくとも表面上は良くないこととされるようになりました。

 

もっと昔は奴隷や立場の弱い人を文字通り食い物にしていました。孔子の食人などはかなり有名ですが、少なくとも現代では表向きはこういったことは良くないという風潮になっています。

 

 

しかしまだまだ社会は悪の方が強く実際にはあくどい人間ほど社会から持て囃されて、偉くなるためには汚いことをしてもやった者勝ちの状態になっています。

 

 

こういった地獄的な社会は今後も良くなっていくと思われますが、私たち個人が一体社会に対してどのような慈善を行えるかということについて考えて見れば、既に述べたように穴の空いたバケツに水を足すよりも、穴を塞ぐ行為の方が重要に思えます。

 

個人で出来ることはたかが知れていますが、慈善団体などに対する寄付はまさにバケツに水を足す行為でありそれ自体は悪いことではないのですが根本的な解決になっていないのもまた事実です。

 

 

地上物質界は霊界・幽界の写しであることがよくひふみ神示やシルバーバーチを初めとする霊的な書物で述べられていますが、霊界・幽界が乱れているから物質界が乱れていると考えるのが妥当であり、霊的な視点からだとバケツの穴を塞ぐ行為とはすなわり霊界・幽界を良くすることだと思われます。

 

 

善神が悪神よりも弱く、悪神がのさばっている霊界・幽界が地上に写っているとしたら、地上人から見れば根本(実際にはさらに上があるようですが)である霊界・幽界を立て直せばそれに応じて地上も良くなるということです。

 

 

では私たち個人に何が出来るでしょうか?それは人それぞれですが、例えば自分自身が金や権力を手に入れてそれを善用するという方法です。物質的な面だけを見るなら最終的にはこれが実地になりますが、これはバケツの穴を塞ぐ根本的な行為としてあらねばなりません。その意味では慈善は真の社会救済とは言えないわけです。

 

 

霊的な視点からは現代の地上では金が一番物を言いますが、そういった視点からもしお金を使うのであれば慈善団体などに寄付するのも良いですが、地上を正しく導いてくれる神のためにお金を使うのが根本的な解決に繋がるとも言えます。

 

 

日本であれば神社などで善神がしっかり祀られておらず、邪神の方が強ければ霊的にその地域は治安の悪化や経済の衰退が見られそれが地上に写ります。実際そうなっている地域は枚挙に暇がありません。

 

 

お金がすべてではないことは言うまでもありませんが、そういう意味では近所のお宮がボロボロで荒廃しているなら慈善団体に寄付するよりも神社に幣帛を納めて神社を立派に立て直したほうが良いということになります。

 

 

神側も人間が正しく祀らないとちゃんと活動できないということがあると思われます。霊は人間を足場にして活動するので、物質的な祀り(お宮を綺麗にしたりすること)と霊的な祀り(神に祈ること)の両方が必要なのでしょう。

 

 

すべての神が善神ではないことは言うまでもありません。正しい神を正しく祀る行為を行えば自然に人間の行為も改まって、最終的には社会全体が良くなっていくはずです。

 

 

最初に出したホームレスの例えなら彼らに炊き出しなどの食事を与えることは真の慈善ではなく、本当に良いのは社会全体(国)を富ませて健全な社会構造を構築・維持することにあります。それが出来ればそもそもホームレスは格段に減るはずであり、彼らも他人からの施しによって命を繋ぐという屈辱的・依存的な生き方ではなく自分の力で自分の生活を支えるというプライドを持つことが出来るでしょう。

 

 

邪神の跋扈凄まじく、もはや正神の守りなしには如何ともし難い世の中になってきました。では正神・善神とは?という話になりますが、普通に考えれば最高神であり、また最高神の命令で地上を任されている代名神です。

 

地上でもそうですが、一番偉い人は直接物事を行わず各事業ことに現場で働く人がいます。例えば市役所に住民票を貰いにいっても市長がじきじきに対応し、住民票を発行して手ずから渡してくれるようなことはありません。そういう仕事を担当している人がいます。

 

 

 

地上には地上を任されている神がいて、地域の守り神なら産土神であり、ひふみ神示を信じるなら天照大御神、国常立大神、素戔嗚尊などがそれぞれの職掌を持って天地を治めているということになります。個人的には天の大神は天照大御神様、地の大神様は国常立大神様と考えるのが妥当な気がします。

 

 

正神である国祖・国常立大神が地上から引退させられて地上が今のように無茶苦茶になっていったのはひふみ神示などの日本の霊的な書物では広く知られていることで私にはその本当のところを知ることが出来ないため霊的な能力のか細い身としては信じるしかないのですが、地上が現実に無茶苦茶になっているのはよくわかります。

 

 

信じるに足る状況証拠などもたくさんありますが、その真贋は個人の判断に任せるとしても霊界・幽界が地上の写しであるなら、霊界・幽界から改めるために正神の足場となる神社をもり立て、善霊の足場となる個々人の生活を改め、国を富ませて強くし、健全な社会構造を作ることこそが真の慈善と言えます。

 

 

同じお金や労力を使うなら穴の空いたバケツに水を注ぐよりも穴をまず塞ぐために自分の力を使いたいと私個人としては思います。もちろん寄付や炊き出しなどの慈善活動を否定しているわけではありません。それはそれなりに立ち位置があり必要なことでもありますが、それは根本的に社会を良い方向には導くことは出来ないということです。