人民の邪気が凝りて 天にも地にも、わけのわからん虫わくぞ。
わけのわからん病やまいひどくなって来るのだから 書かしてある御神名 分けて取らせよ。
自分の中にあるから近寄って来るのであるぞ。厭なこと起こって来るのは、厭なことが自分の中にあるからじゃ。
外にあるもの内にあるぞ。
神に怒りは無いのであるぞ。天変地異を神の怒りと取り違いしてはならん。太神は愛にましまし、真にましまし、善にましまし、美にましまし、数にましますぞ。また総てが喜びにましますが故に怒りは無いのであるぞ。
ひふみ神示
現代の賢しき人間は、天災地妖と人事とには、少しも関係無しと云ふもの多けれど地上神人の精神の悪化は、地上一面に妖邪の気を発生し、宇宙を溷濁せしめ、天地の霊気を腐穢し、かつ空気を変乱せしめたるより、自然に天変地妖を発生するに至るものなり。
凡ての宇宙の変事は、宇宙の縮図たる人心の悪化によつて宇宙一切の悪化するのは、恰も時計の竜頭が破損して、時計全体がその用を為さないのと同じ様なものである。故に大神の神諭には、
『神の形に造られて、神に代つて御用を致す人民の、一日も早く、一人でも多く、心の立替立直しをして、誠の神心に成つてくれよ』
と示し給ふたのは、この理に基くものである。
霊界物語
天変地異は神の怒りではなく、人間の心が生み出した邪気が凝り固まって現れるということが述べられています。
人間は神によって地上の運営を任されている重要な立ち位置におり、その人間の精神の悪化が根本原因であって、実際に起こっている天変地異や人災はただの表れに過ぎないということです。
「自分の中にあるから近寄って来るのであるぞ。厭なこと起こって来るのは、厭なことが自分の中にあるからじゃ。」とありますが小さく見ればこれは一個人の範疇における最近流行の引き寄せの法則ともとれますし、人類全体で見れば人類全体の精神の悪化が天変地異を引き寄せているといも言えます。
人間の行ってきた悪業や悪想念が物質的な現れとなって天変地異として現れるなら、逆に人類全体が善行を積み善の想念が大きくなれば天変地異は収まるどころか自然は人間に大きな恵みを与えてくれます。
もちろんこれは根本的な話であって、実際は悪想念・悪業を積むことによって生まれる穢れがそのとき使ったもの、具体的には道具や家のみならず、人間としての大きな規模としては国家や地球、小さな規模としては個人の肉体や幽体に溜まり、ある一定量を超えると自浄作用によって災いが起こります。
この自浄作用が人間の場合は病気や怪我であり、例えばばい菌やウイルスが体に入って発熱したり膿んだりするのは、肉体側の自浄作用として起こることです。
風邪を引いたときに熱が出るのは外部からのばい菌やウイルスを浄化するための肉体に必要な作用であって避けられないことです。もし発熱しなければそのままばい菌やウイルスに侵されて人間は死んでしまうでしょう。そういう意味では自動的に発生する自浄作用は神の恵みとも言えます。
これと同じことが小規模では家や道具、大規模では街や国や地球全体にも言えます。悪いことに使った道具はそれ自体に穢れが溜まり、ある一定量を超えると人間のように病気や怪我にはなりませんが壊れます。
その自浄作用は火災、水害、地震、人災、etcと色々ですが、人間の肉体と同じく浄化作用が起こります。家ひとつ、あるいは街が丸ごとが火事になるのも、洪水で流されるのも、溜まりに溜まった穢れが遂に人間にわかるレベルで現れているだけであり、全てのものは浄化されていきます。
この穢れを払う大切さを古代の人は知っていたので、神社の祓いの儀式を行っていたのだと思います。また日本は世界的に見ればかなり清潔ですが、汚れ・穢れを払うことはそれだけでとても良いことなのです。
穢れ、カルマ、めぐり、言い方は何でも良いですが、これが溜まりに溜まっているのが現状で、遂に無視出来ない規模の大規模な地球全体の災害として溢れ出し始めています。
これを人間の悪想念が鏡のように幽界に映り、そして幽界で起きた出来事が地上に起こるという風に言い換えても構いません。
表現の仕方は色々あると思いますが、言い方は何であれ結局は因果応報です。
また人間の悪想念は邪神・悪霊を引き寄せるという側面もあります。
類は友を呼ぶように、悪い心を持っている人間には同質の邪神・悪霊がよって来ますが、当然彼らが良い行いをするはずもなく、小さくは個人の災難、大きくは国家や地球全体規模の天変地異となります。
邪神の跋扈と人間の生み出した穢れ・めぐり、カルマという表現でも良いですが、それらが凝り固まって、浄化作用が起こるので、むしろこれは良いことというか、必要なことなのですが、人間達から見れば自分たちが原因であることを無視して自然災害としか思えないので大騒ぎという事態になっているのがここ数十年の地球の現状であると言えます。
良いことをすれば良いことが返ってきて、悪いことをすれば悪いことが返ってくるという単純なことが人間全体としてはわからない以上、わかるようにするしかないというのが神様のお考えのように思えます。
大本神諭やひふみ神示に出てくる「改心せねば改心するように致す」というやつで、人間としてはやれ予言だ、やれ放射能だ、やれ洪水だ、やれ地震だ、やれ戦争だ、やれウイルスだの病気だのと言いますが、予言は人間に危機感や警告を与えるためのものであり、本質的に人間にとって益のあるものではありません。
〇月〇日に△△で地震があるとか、そういう具体的な予言は全部邪神邪霊の戯言ですし、時期を指定しないで△△で地震があるのような予言も、実際にそう取れることが起こったからと言って面白おかしく人間達が書き立てるだけで益はありません。
天変地異も人災もみな人間の精神の悪化が根本原因であり、そのシステムがわからなくても改心すればみなすべて良くなっていきます。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶの諺がありますが、地球人全体としては愚者の方なので悪事をすれば悪事が返ってくるということを人類全体で痛い目に合うという経験から学ぶしかありません。
因果応報が本当の意味で理解出来れば日常生活でちょっとのことでも悪いことは出来ませんし、国家単位でも他国を苦しめるようなことはしないでしょう。
なぜなら自分の(国家の)考えや実際にしたことが自分に返ってくるからです。
溜まりに溜まった恐ろしいほどのめぐりがどういう風に現れているのかは、世の中を見ればわかりますが、全部は無理でもこれを僅かでも相殺するだけの善行を行えば多少はマシになるのでやらないよりは絶対にやったほうが良いはずです。
神を祀り、人間として善行や親切を行うという単純なことなのですが、なかなか難しいようです。
引き寄せの法則では自分が金持ちになったつもりで振る舞えば、実際に金持ちの境遇を引き寄せるみたいなことが書いてありますが、全く嘘ではないものの、心の中だけで金持ちの振りをするよりも、普通に口と心と行いで善を積んだ方が速いし確実です。祓い清めを行ったほうが遥かに速いし確実です。
こんなことは100年以上前からシルバーバーチやホワイトイーグルのような霊訓や大本やひふみ神示などで散々述べられてきており、むしろ人から言われなくてもそんなことは当たり前という感じでもありますが、あらゆる神界・霊界側からの働きかけも功があった部分もありますが、そうでない部分もあります。
いつ初めても遅いということはないので、やるしかありません。例え次は地球ではなく別のもっと悪い星に生まれる結果になったとしても積んだ善行が帳消しになることなく、積んだ悪業も帳消しにはなることもありません。
善事も悪事もやればやっただけの報いが必ずあるのです。個人レベルでも人類全体のレベルでもわからなければわかるまで痛い目を見るしかありません。