私たち霊は、私たちのやりやすい時に、私たちのやりやすい方法で行動するしかありません。
あなた方人間の都合に合わせることは出来ません。
あなた方と同じように私たちも、霊的にみて、やらなくてはならないと判断したことを行う時、一定の法則による制約を受けます。
皆さんの生活を陰で操ることは出来ます。物質を動かすことも出来ます。必要とみたら金策もします。
が、それも一定の自然法則に従って行わねばなりません。
人間は自分で正しいと判断したこと、良心が命じたことに素直に従わなくてはいけません。
最終的には自分が裁判官なのです。
反省してみて、自分のしたことは全て正しかったか、どこかに間違いはなかったかを、自分で判断できるようになっています。
動機さえ正しければ間違っていません。何よりもまず動機が最優先されるのです。あなた方も本来は霊的存在です。それが今は、物的な体を通して自分を表現しているに過ぎないのです。
この基本的な真理を、常に念頭に置いて下さい。霊を携えた肉体ではなく、肉体を携えた霊なのです。その認識のもとに、内部の神性を出来るだけ多く発揮するような生き方を心掛けることです。
シルバーバーチの霊訓
それは都合の良いチャンスも見つけてそうするのですが、彼ら自身で作り出すこともよくあります。
つまり本人が気付かなくても本人の欲望に沿って囁きかける方法で行います。例えば道で紙幣を拾うとしましょう。このお金は霊がそこへ置いたと思ってはいけません。
しかし、霊はそこを通るように人に囁きかけるかもしれません。本人がこの金を見つけると霊はそのお金を着服するように本人に囁きます。一方で落とし主に返せという声も聞こえます。試練はすべてこのように行なわれます。
アランカルディック 霊の書
一方私の方ではそれとなく良人の心に働きかけて、油ヶ壺の断崖の上に導いてやりましたので、二人はやがてバッタリと顔と顔を突き合わせました。
(中略)
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私としては、これは飛んでもないことになったと思いました。兎に角相手なしに妊娠しないことはよく判って居りますので、不取敢私は念力をこめて、あの若者を三崎の方へ呼び寄せることに致しました……。つまり男にそう思わせるのでございますが、これはなかなか並大ていの仕事ではないのでございまして……。
幸いにも私の念力が届き、男はやがて実家から脱け出して、ちょいちょい三崎の女の許へ近づくようになりました。乃で今度は産土の神様にお願いして、その御計らいで首尾よく妊娠させて戴きましたが、これがつまり神の申子と申すものでございましょう。只その詳しい手続きは私にもよく判りかねますので……。
(中略)
人間はどんなに偉くても随分と隙間だらけのものであり、又随分と気の弱いものでもあり、平生は大きなことを申して威張って居りましても、まさかの場合には手も足も出はしませぬ。無論神の援助にも限りはありますが、しかし神の援助があるのと無いのとでは、そこに大へんな相違ができます。
小櫻姫物語
霊の側で人間を指導する、操る、考えを吹き込む、インスピレーションを与えるなどの、働き掛けはあらゆる霊的な書物に見受けられ、その方法は善霊・悪霊問わず基本的には同じのようです。
基本的に波長の合う者同士が引き合うので、悪人は悪霊と善人は善霊と自らの進歩段階や個性に見合った同士が意識的に、あるいは無意識に引かれ合います。
あらゆる霊的な書物を読む限り、霊側で人間を操るのはどちらかというと簡単らしく、場合によっては難しいケースもあるようですが、不可能ではないようです。
背後霊というのは我欲から出た要求でなければ何でも聞いてくれる。要求を妥当とみると、それに必要な措置をいろいろと講じてくれる。電気工事夫が配線をしてくれるのと同じ要領で、生命の源と連結しスイッチをまわし、必要な生命力が流れ込むように工面してくれる。
(中略)
これであなたは背後霊に心の窓を開いたことになる。言いかえると背後霊との間に心の触れ合いができたのである。この触れ合い(Commune)が大切なのであって語り合い(Communication)はかならずしも必要でない。 コミュニケーションは特殊な霊態がないとできないが、コミューンなら誰にでもできる。またできるだけ多くその機会をもつ必要がある。いま説明したやり力がその一つであるわけである。
M.テスター 背後霊の不思議
背後霊(私は守護神という言葉を好みますが同じ意味です)の不思議でもテスター氏が作った自宅の庭の手作りプールの水漏れして困っているところを背後霊にお願いして原因を教えてもらったりするなど、色々と日常生活の細々としたことを背後霊に尋ねていますが、これは私もたまに同じことを行います。
先日自宅である捜し物をしていて、1時間ほど探してもそれがどうしても見つからず、とうとう私もテスター氏のように、こんなしょうもないことで申し訳ないと思いつつ、神前で守護神様にお伺いを立ててみました。
質問内容は完結で「〇〇を探しているのですが、何処にあるのかご教授下さい」というものです。これに対して守護神様から「どこどこにある」という日本語で回答があるわけではありません。
しかし守護神様の方から私の精神に働き掛けて私の行動を操り、その後で私がもう少し探し続けるとそれまでとは違う場所が気になって、あっさり簡単に見つけることが出来ました。
もちろん神前にてその後にお礼申し上げているのは言うまでもないのですが、実は似たようなことを何度もしており、その度に守護神様や産土の神様からのご回答を畏くも賜わっております。
不思議なのは私の側で全く操られているのがわからないということです。完全に無自覚であり、100%自分の意志でやっているように、少なくとも自分では思います。霊の側で人間を操るケースを冒頭に幾つもご紹介しましたが、人間の行動や思想を霊側で操るのは状況の難易度によるのでしょうが、狭い家の中で捜し物をする場所に導くくらいなら容易なでしょう。
ほかの手段もあるのでしょうが、神社などで祈願を受けた神様が祈願の内容を吟味し、物質的な状況や個人個人の事情に深く精通した霊による物質界への干渉で、シルバーバーチ風に言うなら「法則の中で」、人間界を操れるというのは驚異的です。
祈願などもこの方法で人間界に便宜を図っていると思われます。シルバーバーチも「必要とみたら金策もします」と述べていますが、色々な人間に霊側から行動を示唆して目的とする状況を作り出しているのかもしれません
私の場合はこのような神的、霊的な働きかけに合う場合、ごく稀に霊側の感応だと感じることがありますが、100%確信を持てるわけではありません。全く何も分からないことの方が圧倒的に多いです。
神や霊側で祈願を叶えるために良い状況を作り出すのと同じように悪い状況も作り出せるようで、酒、煙草、ギャンブル、覚醒剤などを好む霊が、自分と近しい性質を持つ人間に働きかけてそれらを人間に行わせて、取り憑いてその快楽を楽しむというケースはよく見かけます。
善霊が人助けをするように自分と近しい性質の人間に働きかけて同じようにそれを行わせるというケースも同じように見かけます
今回の捜し物の件では自分では全く霊側からの働き掛けがわからなかったので、霊側からの働き掛けがあっても人間が自分の自由意志で決断し、自己責任で行ったと私は感じています。私の霊感など全く当てになりませんが、これは凄いことです。
これではまるで物質界は霊界側からの操り人形とも言えますし、ある意味では霊界と物質界は合わせ鏡のようにも見えます。
もちろん無茶苦茶出来る訳がありませんし、神や霊から見て正しい範疇なのでしょうが、複数の事例を見る限り私には驚異的な出来事に思えます。
ひふみ神示に「腹にチャンと神鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ」とありますが、人間界では難しいと思えるようなことでも、神界側の予定・計算・操りの通りことが運ぶのを人間側から眺めるのは驚異的です。