罰の種類は無限にあるが、未熟な魂に対する罰はある程度決まっている、ニュアンスの違いは多少あるが結果的には大体同じである。霊的進化を怠り、物質に執着をした者に対する罰はまず「魂と肉体の分離がなかなか行われない」と言うことである。
死の苦しみが続き霊界への移行が困難となる。その困難に期間は場合によっては数カ月、数年に及ぶ事もある。
それとは逆に意識の浄化が進んでいる者は生前からすでに霊的生活を送って物質から解放されている為に肉体と魂の分離は動揺もなく急速に行われ、霊界への穏やかや目覚めを得る事が出来る。この場合は混乱は殆ど見られない。
アラン・カルデック著 天国と地獄
このアラン・カルディックと霊との問答を要約すると「人生で霊的なことに目を向けず自分の欲望のまま物質的なことばかりに専心してきた人間は晩年病気で苦しみながら死ぬ」ということです。
これは地上人の多くに起きていることで、人生の最後の方は寝たきりになったり、重い病気になって弱って、少なくとも一人では生活を営めないようになり、期間はそれぞれですが苦しい思いをしながらゆっくり弱って死んでいきます。
またこれとは別に地上時代に人を苦しめたり、不親切にしたり、あるいは罪を犯した多くの人は魂が穢れてしまっているために霊界での暮らしの準備という目的で死期が近づくと魂の穢れを肉体に移そうとすることがあるとコナンドイルは死後に霊媒に懸かって述べています。
老人にとって肉体はじきに使わなくなるわけですから、引越すときに不要なゴミを置いていくようなニュアンスでしょうか。
罪や汚れを少しでも肉体に移すことで肉体は病気になりますが、霊界ではその分だけ楽になるということもあるようです。
少なくとも地上時代に苦しむことは罪のごく一部を既に受けているということになるはずです。
厳しい言い方をすると人に親切にしたり、優しくしたりすることよりも自分の欲望を第一に考えて、お金や物を人助けのために使わず、利己と保身に一生を捧げて地獄へ行く準備をしつつ、さらには物質的のことのみに心を向けて、他人への奉仕、愛情、あるいは本当の意味での信仰心を持たない人はみな人生の最後で苦しんで、さらにはろくな死に方をしないということです。
私の知る限りですが、これには実に様々なケースがあるので、極悪人が人生を楽しんだままある日ポックリ死ぬ、または殺されるというケースもあるものの、ちゃんと霊界でみな辻褄合わせが行われています。
アラン・カルデック著の天国と地獄で述べられていることは個人的に見てきた限りではまさにその通りという感じです。
逆に老人になっても元気で健康なまま、ある日突然安らかに亡くなる方もいらっしゃいます。私個人の経験談を述べても信憑性は低いので有名な例を挙げたいと思いますが、
大坂のサムハラ神社を建立した田中富三郎氏はwikiに下記のように記されています。
(彼は)90歳までは自転車を乗り回すことも平易だった。97歳の時でも壮健であり自らを青年と称した。「信仰は万益有って一害なし」と常に提唱。毎朝参拝を欠かしたことはなかった。1967年(昭和42年)12月3日逝去。享年100。
wikiより
100歳まで生き、97歳時でも壮健で、90歳まで自転車を乗り回していたというからこれは世のご老人を見れば相当希有な例と言えます。
この方は現在大坂にあるサムハラ神社を私財を投じて建立された人物で、人生において学校や弱い立場の人への人助けを行い、また神への信仰や感謝を欠かさず生きてきた人物であり、それだけ徳を積み、霊も浄化されていたので病気になる必要も理由もなかったわけです。
こういう例は個人的にいくつも知っていますし、きっとみなさんの周りにもいらっしゃるはずです。
人生において金や物や異性だけを追い求めて、その報いは老人になってから、あるいは死後受けるというのは一つの生き方としてありかもしれません。そこには何の進歩向上もありませんが、一つの教訓としては価値があるかもしれません。
大抵はそういう人間は悲惨な目にあって死後、今度こそは人のために愛情を持って世の中の役に立つ人間になろうと決意を持って生まれてくるのですが、結局は自分の欲望や誘惑に負けてしまっている場合が多く、そういう例には枚挙に暇がありません。
再生を3回から10回未満くらいは繰り返して、徐々に学んでいく人が多いように思えます。もちろん一発で改心してたったの一回の再生で上手くやる方もいますが、数としては少数になるようです。
思うに人を救うとか、人を助けるというのは単に金を与えてやったり、病気を治してやったり、望みを叶えてやることではなく、霊的な意味で進歩向上出来るようにしてやることだと思います。
もちろん病気治しも寄付も素晴らしいことなのですが、それだけでは人間は本当の意味で、永遠の意味で良くなるわけではありません。
乞食に金をやれば喜びますし、病人は病気が治ればやはり喜びますが、そこに霊的な目覚めがなければ、しばらくは良いかもしれませんが、また似たような状況に陥ります。なぜなら病気や貧困の根本原因が解決されていないからであり、この根本原因から治すべきというのがひふみ神示やシルバーバーチやホワイトイーグルらの述べているところでもあります。
イエスはこの根本原因をなんとかするべしとして、隣人愛を説きましたし、霊界からの働きかけは年々強まり、少しずつ霊的に、つまり愛情や親切心に覚醒する人が現れる反面、より悪魔的に地獄へ近付いていく人も増えています。
金や物などの物質的な面と精神的な豊かさの両方において二極分化は今後もどんどん進んでいくと思われますが、霊的な進歩向上こそが人生において最も大切なことであり、ほかは全部おまけと言っても良いほどです。
霊的な進歩向上はつまり、私の知りうる限りの知識の中で、一言で述べるなら「無条件の愛を他に持てるようになること」です。
これが出来れば個人レベルでは貧困も病気も消え、人類全体がそうなっていけば徐々に地上は天国的になっていきます。なぜなら愛は天国に属するからです。