むかし、江戸の本所(墨田区の南側一帯)のある町に子猫を大切に飼っている人がいました。ある時その家の娘は奇妙な病気に掛かって寝たきりになり、随分と痩せ衰えてしまいました。

 

そうしたときに可愛がられていた子猫はその娘の側を束の間も離れる事はなく、昼夜関係なく常に病人に寄り添うように一緒にいましたので近所の人たちがその子猫のせいで病気になったのではないかと噂するほどでした。

 

ある夜その家の主人の夢にその子猫が現れて言うには「娘が病気に臥せっている間、自分が昼夜傍を離れず守っているのを近所の人間は【この病気はその猫の仕業だ】などと言うが、それは間違っている。病気の原因はこの家の二階に大きい古鼠がいて娘を悩ましているからだ。だから自分は娘の周りを警備して古鼠の害を防ごうとしているが、その古鼠はとても大きいので自分では捉えることができない。

この古鼠を退治するためには〇〇町の〇〇家に飼われている自分の親方に相当する大猫の協力が必要で、その大猫を連れてきてくれたらこの命に替えても自分と2匹でこの家の古鼠を殺してみせる」ということでした。

 

この奇妙な夢を見たその家の主人は別の日に〇〇町の〇〇家を訪ねてこのことを説明し、件の大猫を貸してくれと頼みました。

 

大猫の飼い主は「私の家の猫は確かに古猫ですが、とても大きくて簡単には人の手では捕まえたりは出来ません。しかしそんな大事であればなんとか捕まえて、あなたの家に連れていきましょう。」と言って猫を捕まえて貸してくれましたが、その猫は本当に大きな古猫でした。

 

その大猫を借りてきて自分の家の子猫と引き会わせてみると、お互いに何か囁くように示し合わせ、まずその家の子猫が二階に上がって古鼠と噛み合い戦いはじめました。そして、その後ろから大猫が加わって一緒になってネズミと噛み合いました。

 

その家の家族たちが梯をかけて二階の様子を見ると子猫は古鼠の喉に噛み付き、大猫の方がその隙に飛びかかって古鼠をかみ殺したのですが、その家の子猫は古鼠の反撃で噛み殺されて死んでしまい、大猫の方も古鼠を噛み殺したものの、その時に負った傷が原因で死んでしまいました。 

子猫も大猫も死んでしまいましたが、古鼠を倒したことによって娘の病気はすっかり治って健康になりました。その猫の功績を讃えて手厚く弔い、その猫の墓は今でもあるそうです。

 

 

奇談雑史 宮負定雄

 

 

よく猫は恩知らずなどと言いますが、この猫は全然そんなことはありません。猫が飼い主を助けるという話は昔から幾つもあって、この猫とは違うようですが、東京にも有名な猫塚があります。こちらは飼い主が病気で臥せって困っているときに二両のお金を咥えてきて主人を助けるという話です。

 

 

猫の恩返し(猫塚)

 猫をたいへんかわいがっていた魚屋が、病気で商売できなくなり、生活が困窮してしまいます。すると猫が、どこからともなく二両のお金をくわえてき、魚屋を助けます。

 ある日、猫は姿を消し戻ってきません。ある商家で、二両をくわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺されたのです。それを知った魚屋は、商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受け、魚屋とともにその遺体を回向院に葬りました。

 江戸時代のいくつかの本に紹介されている話ですが、本によって人名や地名の設定が違っています。江戸っ子の間に広まった昔話ですが、実在した猫の墓として貴重な文化財の一つに挙げられます。

 

ぶらり両国街かど展実行委員会

 

写真はこちらで見られます。

 

 

猫に限った話ではありませんが、狐、狸、犬、猫、鳥などは妖怪として化けたり、特に狐は天狐と言って空を飛び、天狗になったりするものいます。魔法神社が有名ですが、狸も昔は分かりやすい形で人をよく化かした逸話がたくさん残っています。

 

 

このように昔から動物が人間のように喋ったり、人助けをしたり、あるいは人に仇なしたりといった話には枚挙に暇がありません。世界各国の昔話から童謡や日本の妖怪伝説に始まり、現代のアニメや漫画まで山ほどあります。


 

実際の動物はどうかというと、ペットを飼っている方はわかるかと思いますが、(特に犬や猫がそうですが)動物の方もある程度までは人間の言葉を理解し、人間が愛情を向けて可愛がってやれば動物の方もそれに応えて愛のある反応を返してくれます。逆も言うまでもありません。

 

 

動物には人間ほど複雑ではないのかもしれませんが、感情があるのは明らかであり、霊媒に動物が掛かることは非常によくあります。見抜けるか見抜けないかは審神者次第ですが、人間と同じように話しますので、これを見抜くことは中々難しく、出口王仁三郎やひふみ神示では下記のように述べています。

 

 

 

日本につぽんかむがかりを調しらべると動物霊どうぶつれい実例じつれいおほいにもかかはらず、外国ぐわいこくには一向いつこう動物霊どうぶつれいかむがかりがないのはへんおもはれるが、これ動物霊どうぶつれい祖霊それいけてゐるのを看破かんぱすることが出来できぬからである。祖霊それいひとうつ場合ばあひには動物霊どうぶつれい使つかふものである。祖霊それいはそのてをつてもちからがないので、おほ動物どうぶつ使つかふのである。

(三鏡 出口王仁三郎)

 

 

 

動物霊が人間の言葉を使ふことは、腑に落ちないと申すものが沢山あるなれど、よく考へて見よ、例へば他人の家に入って、其処にある道具類をそのまま使用するのと同じ道理ぢゃ、判りたか、動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、その人間のもつ言葉を或る程度使いこなせるのであるぞ、故に日本人に感応すれば日本語、米人なれば英語を語るのであるぞ。

(ひふみ神示)

 

 

個人的には動物霊が人間に与えている影響は凄まじく大きく、人間の行動の多くは(低級なものに多いですが)動物霊と感応して行っているものが多いです。

 

 

人間のいわゆる動物的本能といった分かりやすいものから、恋愛感情や趣味嗜好までも動物が感応した結果そのように人間が振る舞い、人間もそれを自分の考え・感情だと思い込むというのは普通に起こっていることで、例えば恋に燃える男女は自分たちの意志で恋愛しているように思い込んでいても、実際は感応している鳥や狐などの動物霊同士の恋愛を叶えるためにやっているだけ、というのは巷でよく見かける現象です。

 

 

「感応」を「取り憑いている」と言い換えても良いかもしれませんが、こういったカップルは動物たちによるものですので、やはり動物の気まぐれというか意志が人間ほど強くないというか、簡単に別れる・離婚する・浮気するなどの結果になることが多いです。

理由はやはり動物だからであり、人間ほどしっかりした恋愛感情を持っていないからです。

 

 

本来上級であるはずの人間が下級の動物霊の入れ物にされているのは悲しいことではありますが、恋愛に限らずこういうケースで人生を失敗する人が多いのも事実です。

 

 

動物霊の入れ物にならない方法は簡単で「ひふみ神示」風に言うなら身魂磨きや掃除をすれば良いだけです。人間が動物同然のレベルまで落ちたから動物が感応するのであって人格が極端に自己中心的だったり、欲深かったり、我慢が出来なかったり、他人に対する愛情に欠けている下賤な人間はそれがそのまま動物の特徴を現しており、波長が動物レベルなので動物と感応するわけです。

 

人間的に成熟すれば動物霊は感応しません。取り憑くことも出来ません。それは単に波長が合わないからで、ラジオの電波を携帯電話が拾わないのと理屈は似ています。

 

 

動物霊と感応しているほとんどのケースは人間側が動物霊の感応であることに気付かず、また見抜けずに自分の意志でやっていると考えているものがほぼすべてですが、昔話の中には少なからずそういったケースを題材にしたお話が残っていたりもします。

 

 

例え鳥の類いであっても動物たちは人間が思っているよりもずっと賢く意志を持っています。趣味嗜好を持ち恋愛もします。もちろん人間ほど高潔で強靱で洗練されたものでなく、気まぐれでどっちつかずで優柔不断である場合が多いですが(所詮は動物なので)一般的に人間が考えているほど動物たちは低脳な生き物ではありません。

 

 

基本的に人間よりは低級ですが、幽界や霊界の動物たちの中にはほとんど人間と変わらないくらい賢いものもいますし、特に年経た狐、狸、蛇、猫、鳥などは稲荷明神や魔法神社なのように神として祀られたり、事と次第によっては人間に御利益や祟りを為すものもいます。

 

 

シルバーバーチは動物霊は個性を獲得しておらず、死ねば大きな類魂の中に同化していくと述べていて、実際その通りだと思いますが、どうもそうではない例外的なケースもあるようです。霊的な進化の法則・筋道は一本道ではなく下級であればあるほどたくさんあるように思えます。