赤舌日といふこと、陰陽道には沙汰なき事なりと吉田兼好の徒然草にありますが、現在人間界に伝わる様々な風習の中で、人間が作り出した霊的な観点から見るとギャグのような無意味なものと、ちゃんと意味や効果があってその元は霊界から、あるいは神代の昔から伝わる意義あるものと2つの種類があります。 

 

 

赤舌日は陰陽道云々を抜きにしても、現代では大して意味はないものと個人的に感じていますが、厄年についてはひょっとしたらちゃんとあるのではないか?と思っています。

 

 

厄年は文献によって年齢が変わり、例えばwikiを見るとたくさんの根拠となる文献と年齢の違いが書かれています。

 

 

現在は男性の本厄は25歳、42歳、61歳と言われていますが、平安時代の色葉字類抄では13歳、25歳 37歳、49歳、61歳、73歳、85歳、97歳、鎌倉時代に成立した拾芥抄では13歳、25歳、 37歳、49歳、61歳、73歳、97歳、仏説灌頂菩薩経では7歳、、13歳、33歳、37歳、42歳、49歳、52歳、64歳、73歳、85歳、97歳、105歳、前漢代の黄帝内経の霊枢には7歳 16歳 25歳、34歳、43歳 、52歳、64歳とあります。

 

 

ほかにもwikiには様々な出典がなされていますが、年数が違ったり、こんなにたくさんあって堪るか!と言いたくなるくらい数が多いものもあります。

 

 

ホツマツタヱの中にも「一姫三男生む産殿のアヤ」に「然れど父は 鈴四十穂 母は三十一穂  天の節 宿れば当たる 父の汚穢 男の子は母の 隈となる~」という一文があり、現代風に訳すなら「しかし父(伊弉諾神)は40歳 母(伊弉冉神)は31歳で天の節目の年齢で、この時に生まれた子供は父の穢れが赤ん坊に当って母にとって災いとなる~」と意味になります。

 

ホツマと同系統のミカサフミには「年を越ゆれば  四十二・三十三の 汚穢隈も」という一文があり、これは現代でいう厄年そのままになります。

 

ホツマの方は男は40歳、女は31歳で少しずれています。文章としては父と母が特定の年齢だからその時に作った子供には両親の汚穢が当り不吉になるという趣旨で内容は同じになります。

 

 

wiki出典の部分は定かではありませんが、日本においては神代の伊弉諾神、伊弉冉神の時代から既にこの風習はあり、前漢(2000年から2200年くらい前)にもそのことが記載され、エジプト、あるいはイギリスやスペインといったキリスト教国、エジプトやトルコといったイスラム教国にも似たような風習があると言います。

 

 

私個人としてはホツマに記載されているのが確定的で、さすがに「沙汰なき事なり」というわけではないように思えます。

 

ミカサフミの方は現代の厄年そのままですが、ホツマでいう「天の節」が如何なるものなのか?はよくわかりませんが、神社でも厄払いなどがありますし、この時期はあまり大きな動きをせずに大人しくしていた方が賢いのかもしれません。

 

 

神仙より罰を受くるに至りては二夜も必ず血の雨の降りて身にかかる夢を見るなり。此時は第一慢心を慎み、酒を一盃も飲むべからず。よく言語を少くして我身を清浄にし、怠惰の心起らんとするを一命に替へて勤めて怠らず、神祇に謝罪を祈りて祭典を厚く行ふべし。如此せざれば酔に乗じて人に無礼をし、容易ならざる失言を吐き虚言を誠らしく語りて忽ち現はれ、善人を罵り、人の非をあばき、終に如何ともずべからざる大事を仕出し、財産を割り、身を誤り、己を悔い、俄に天に祈れど及びがたきに至る。もし此夢を見たる者は右の祭典謹慎の事を怠るべからず。これ神祗より罰を蒙るの数多ある中の一つなり。

 

(異境備忘録 宮地水位)

 

 

異境備忘録には神罰に受ける際のことが書かれていますが、厄年は神罰ではありませんが参考になるかもしれません。

要するに慎ましくしていろ、神を厚く祀り謝罪を祈れ、という趣旨のことが書いてありますが、だからと言って家に引きこもっているわけにも行きません。むしろ社会のために多いに働くべきであると思います。

 

 

天の節は罰ではありませんので、謹慎する必要はないのかもしれませんが、気を付けて行動する必要は多いにありそうです。

 

 

由緒ある神社で厄払いの御札を奉戴したり、厄払いをしてもらったりするのも良いかもしれません。

 

年齢は文献によって違いますが、厄年(のようなもの)は実際に霊的にあるのではないか?と思っています。