問い。

霊が私たちを悪に誘うのは私たちの持っている状況を上手く利用してそうするのですか?それとも霊が自分で都合の良い状況を作り出しそうするのですか?

 

答え。

それは都合の良いチャンスも見つけてそうするのですが、彼ら自身で作り出すこともよくあります。つまり本人が気付かなくても本人の欲望に沿って囁きかける方法で行います。

例えば道で紙幣を拾うとしましょう。このお金は霊がそこへ置いたと思ってはいけません。しかし、霊はそこを通るように人に囁きかけるかもしれません。本人がこの金を見つけると霊はそのお金を着服するように本人に囁きます。一方で落とし主に返せという声も聞こえます。試練はすべてこのように行なわれます。

 

(霊の書 アラン カーデック)

 

 

 

 

たとえば商売上のやり方で二つに意見が分かれているとします。その場合は我々(指導霊)は躊躇なしに正しい方を選ぶように指導します。損得の計算はしません。その結果として仮に(人間が)損をした場合、あるいは痛手をこうむるような事態になった場合は後で別の手段でその埋め合わせをします。

もしも損得の計算に拘って、いけないと知りつつも儲かる方向へ後押しした場合は例え金銭的には豊かになっても、指導した我々および我々の誘いに乗った当事者の双方が後で大きな報いを受けることになります。地上生活中に受けるとは限りません。霊界へ来てから受けるかも知れません。が、絶対に免れることは出来ません。自動的にそうなるのです。

 

(ブルーアイランド エステル・W. ステッド)

 

 

現代社会において豊かになるということについて色々な意味合いがあり、仕事、人間関係、金銭、趣味、etc…言い出したら切りがないものの豊かに幸せになる方法は様々な霊的な書物を読む限りにおいて当たり前のことしか書いておらず、例えば「正直に生きる」「卑怯なことはしない」「間違ったことはしない」「他人に親切にする」「社会貢献する」「利己を捨てて利他に生きる」など言われずともそんなことはわかっているということばかりが書いてあります。

 

 

人生において様々な場面で神からの試しがあるようでその際に利己的な選択肢を選ぶか、利他的な選択肢を選ぶかによって霊性の進歩やその後の豊かさが決まるようであり、仮に自分が損をしてでも正しい行いや他人を助ける選択肢をした場合は「その結果として仮に損をした場合、あるいは痛手をこうむるような事態になった場合はあとで別の手段で(霊側によって)その埋め合わせをします。」とステッドは述べています。

 

 

霊の書では落ちているお金を拾う場面を例に挙げていますが、こういったケースは日常生活でもよくあり、貰ったお釣りが多かった、銀行に振り込まれたお金が多かったetc…など無数のケースが考えられます。

 

 

普通に考えればお釣りを間違えて多く渡してしまった場合、お店の人は困るわけですが、バレなければ構わないだろうと着服してしまうのは利己的な行為であり、正しい行為であるとは言えません。このバレなければ構わないだろうというのが霊には全く通用せず日常生活のすべてを見ようと思えば霊は見られるので、自分1人しか知らないことであっても(少なくとも本人はそう思っていても)霊は全てお見通しだったりします。

 

 

ここで正直にお金を返せば神様は正しく生きる正直者が好きですから、別の場面で何らかの便宜を本人に与えてくださるでしょうし、着服してしまえばそういった薄汚い真似は神様の嫌うとこではありますので、当然一時的に得したように思えてもトータルで見ればそれ相応の報いを受けて損することになります。

 

 

人格を持った天使または霊がそうするというケースもあるでしょうし、法則としてもそうなっているわけで、この法則には絶対に逆らえないというのがポイントになります。

もしこういう場面に出くわしたら「これは試されているな」と、ある程度霊的なことに理解あるなら思うべきでしょう。

 

 

個人レベルでもそうですし、国家レベルでもこれは同じで汚いことをして大きくなった国は歴史上すべて滅んでいますし、これからも滅んでいきます。

 

 

こういう場面は守護神や指導霊が本人の成長の試金石のために利用したり、用意したりするそうですが、汚いことをせずに、正直に、たとえ自分が損をしても人を助ける方法を選ぶことが霊性の向上の道であり、豊かになる秘訣であるといえます。

 

 

霊的な法則としては利己主義を発展させて、自分1人だけが豊かになれば他人なんてどうなっても構わないと考える人間は一時的には豊かになるかもしれませんが、長い目で見れば皆滅んでいき、 逆に利己的な態度を改めて正直に生きて、社会福祉・貢献、人助けなどを口先だけでなく実践する人はたとえ最初は苦しくても段々と豊かになっていくようです。

 

 

ステッドの言葉を借りるなら「地上生活中に(報いを)受けるとは限りません。霊界へ来てから受けるかも知れません。が、絶対に免れることは出来ません。自動的にそうなるのです。」というわけです。

 

 

結局は自分で蒔いた種は自分で刈り取ることになるわけですから、豊かに成りたければ常識で考えて汚いことをせずに、正直に、例え自分が損をしても他人を助けるような選択を選び、社会公共のために一生懸命働くしかないというわけです。つまり何か特別で手っ取り早い裏技があるわけではなく、正攻法で地道にやるしかないというわけです。

 

 

人間的な短いスパンで見ると悪いことをしている人間が得をしてるように見えたり、極悪非道の組織、団体、国家が反映しているように見えることもあるかもしれませんが、これはみな一時的なことであって長い目で見れば全部滅んでいます。

 

 

あれほどの栄華を誇った神聖ローマ帝国もいまや完全に消滅してしまっていますし、現在の地球であれば中国が大分発展しているように見えますが、ウイグル・チベット・モンゴル人の臓器売買関係や虐殺などを大量に行っているだけでなく相当酷いことを国内外でやらかしていますのでやはりその報いはあるはずです。中国はここ2000年間であれば大体140年をスパンに国家が崩壊しており、「元」の時に至っては完全にモンゴルに乗っ取られているわけですから、今回の国家も長い目で見ればやはり滅んでいくように思えます。

 

 

例えば銀行強盗が成功すれば一時的には金持ちにはなれるかもしれませんが、いずれは捕まるかもしれませんし、地上生活中は逃げ切れても霊界でその報いを必ず受けます。

そこまで行かなくても「ちょっとズルをすれば自分が儲かる」という場合もその時は小銭を得ても、長いスパンで必ず自分で蒔いた種を自分で刈り取る時が来ます。

 

 

あまりに当たり前過ぎて、地道で単純ですが、個人レベルでも国家レベルでも正直に、汚いことをせず、人助けや社会貢献をするというのが豊かになるための唯一にして、絶対に間違いがない方法であると言えます。

 

 

霊性が向上すればするほど天国の上の方に籍を持つことになるので、その分だけ豊かになりますし、逆に霊性が下降すればするほど地獄の下の方に籍を持つので悲惨な境遇になっていきます。

 

 

人類がこういったことを理解するようになれば、地球は今よりもずっとより良い素晴らしい世界になるはずであり、スピリチュアリズムとか法則とか言いますが、もの凄くシンプルで当たり前のことを述べているだけなので、私たちとしては利己を出来るだけ捨てて、利他に生き、自分の人生を以てその証拠を掴んでいくありません。