老人が年と共にボケていくその兆候を考えるにあたって認識しておきたいのは、その老人は既に生活のほとんどあの世(幽界)で過ごしているということである。その潜在意識は必ずしも霊に憑依されているわけではないが、潜在意識と脳のつながりが希薄になっているためにいわば空き家になっている脳が様々な外部からの想念の侵入を許している。

かつて知的だった人間がボケとともにわけのわからないことを口走るのはそのためである。

 

その老人は既に生活の大半をあの世(幽界)で過ごしており、潜在意識の一部が脳ではなくて肉体機能を維持するための神経中枢と連絡を取り合っているだけである。なのでそういった老人をボケ老人と呼ぶよりは肉体から分離した霊と呼ぶ方が正しいかもしれない。ある意味ではすでに死んでいると言っても良いのである。あの世に籍を置きながらに肉体のみが地上に残っている。

(個人的存在の彼方 マイヤースの通信)

 

 

マイヤースは生前からスピリチュアル系の研究に勤しんだ人物であり、死後の通信を地上に送ってきたというスピリチュアリズムの普及に尽力した立派な人です。

 

人間が死ぬに当って何らかの準備をしていることについて、シルバーバーチが人は誰でも睡眠中に霊界を訪れて準備しているということを述べています。

 

実は、あなた方は今でも毎夜のように霊の世界を訪れているのですよ。ただ思い出せないだけです。この体験は、死んでこちらへ来た時のための準備なのです。その準備なしにいきなり来るとショックを受けるからです。来てみると、一度来たことがあることを思い出します。肉体の束縛から解放されると、睡眠中に垣間見ていたものを全意識でもって見ることができます。その時すべての記憶が蘇ります。

(シルバーバーチの霊訓)

 

 

霊界で生活する準備を地上人が全くしないせいで霊界の人間たちが苦労するということに対してシルバーバーチがたまに苦言を述べていますが、全く違う世界に移行するに差し当たりやはり準備は多いに必要なようです。

 

 

地上時代に善行を積んだり、霊や神に対する理解をある程度まで持っている人間は楽らしいですが、死後存続を信じず、死ねば無になり、霊も神も人間の五感に反応しないものや自分が生きている時代の科学で証明出来ないものは存在しないと強く信じている人間、あるいはキリスト教の死後は最後の審判まで眠り続けるような誤った教義を根っから信じ込んでしまっている人間は死後なかなか目覚めないそうです。

 

 

問 『幽界へ行ったものがうして自覚が速かったり、遅かったりするのだろう。おまえの一存でなく指導役の方々にいて返答へんじをして貰えまいか?』

答 『お易い御用で……。――伺って見ると矢張り信念の強いものが早く自覚するそうで、その点において近代日本人の霊魂ははなはだ成績が悪いようです。現に僕なども自分の死んだことも自覚せず、又自分の葬式の営まれたことも知らずにた位ですからね……。』

問『唯物論者――つまり死後個性の存続を信じない連中は死後どうなるかナ?』

答『非常に自覚が遅いそうです。』

問『一つこれから自覚して居ない人達の実況を見てくれまいか?』

答 『承知しました。――今その一部を見せて貰いましたが、イヤうもなかなか陰惨ですね。男も女も皆裸体はだかで、暗いところにゴロゴロして、いかにもからだがだるそうです。僕は気持ちが良くないというよりか、むしろ気の毒の感に打たれ、この連中は一たいいつまでこの状態に置かれてるのですか、とお爺さん(指導霊の一人)にいて見ますと、この状態は必らずしも永久につづくのではない。中には間もなく自覚する者もある。自覚する、しないは本人の心懸次第で、他からいかんともし難いのだ、という返答へんじでした……』

(新樹の通信)


全くボケていないご老人がいるのも事実ですが、老人がボケていくのはこのように死期が近づくと起きている間も半分幽界や霊界に魂が行ってしまうのが原因のようです。 

 

 

私見ですが多分霊的なことに関して進歩している人は年を取り起きている間に幽界・霊界に行ってしまうことがないように思えます。

 

つまりこれは自分の魂をちゃんとコントロールし切れていないということであり、鎮魂法などを修していてちゃんと魂や霊といったものをコントロールする術をある程度まで出来る人であればこういうことはないように思えます。

 

現実問題として今の社会では魂とか霊とかは信じられていないので、鎮魂も何もありませんが、マイヤースの述べていることがすべてに当て嵌まらないまでもたしかに正鵠を得ているのではないかと思います。