悪は悪にのみ働きかけ得るのであるぞ。善に向って働いても、善はビクともせんのぢゃ、ビクつくのは、悪に引込まれるのは、己に悪あるからぞ。合せ鏡と申してあらうが。悪の気断ちて下されと申しておろう。心の鏡の凸凹なくなれば悪うつらないのざ。悪はなきものぞ。無きとは力無きことぞ。悪あればこそ向上するのであるぞ。悔い改め得て弥栄するのであるぞ。人間の能(ハタラキ)あるのざぞ。  を忘れてはならん。

(ひふみ神示  白銀の巻)

 

むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりあるからぢゃ。めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからぢゃ。

(ひふみ神示  春の巻)

 

自分の中にあるから近寄って来るのであるぞ厭いやな事起こって来るのは厭な事が自分の中にあるからじゃ

(ひふみ神示  黄金の巻)

 


 

 


人間が不安になったり、悲しくなったり、憂鬱になったりする理由をお話ししましょう。霊界入りしたばかりのため、未だ地獄と結びついていない霊は胃の中にある腐敗した食べ物のような未消化のものを好みます。そのため彼らは人間の中のそのようなものがあるところにいます。そこにいるのが楽しいからです。

彼らはそこでお互い悪い感情を吐き出します。すると彼らの悪い感情が人間に流れ込み始めますが、それがその人の感情に反すれば人は悲しくなったり不安になったりします。逆にそれがその人の感情に合えばその人は嬉しくなります。このような霊は胃の近くに現れます。

(中略)

私はこのような霊達が話し合っているのを見たこともあれば、彼らが引き起こす不安を感じたこともあります。彼らが離れると不安は消え、戻ってくると再び不安を感じました。彼らが私に近づいたり離れたりすることが、私の不安が増したり消えたりする原因だったのです。 

(天国と地獄 スウェーデンボルク)

 

 

 

 

 

人間がその罪深き心と卑しき生活によって同類の邪霊を引き寄せ、その邪性を倍増させるなら、その罪は人間たち自身が背負わなければならない。邪霊たちは人間の蒔いた種を刈り取っているのに過ぎない。邪霊をとがめる前に、まず人間自身が自分たちの過ちを自覚しなければならない。

(中略)

邪霊の働きかけを疑うのは貴殿の目にそれが見えないからに過ぎない。いずれその愚かさを知って驚く日も来よう。どれほど暗躍しているのか、どういう悪影響を及ぼしているのか、どういうことにまで及んでいるのか、貴殿まだ何もわかっていない。

(インペレーターの霊訓)

 

 

 

3冊の本から引用しましたが、ほかにも似たようなことを言っている本はたくさんあります。昨今流行っている「引き寄せの法則」も霊的なことを抜きにしているだけで全く同じことを述べています。

 

一言で言うと「自分の内部(心・潜在意識・態度・生活)にあるものが外部からの出来事や物や出会いとして引き寄せる」ということです。

 

 

無闇に怒りっぽかったり、悲しくなったり、落ち込んだりするのはみな邪霊の影響なのですが、その邪霊を引き寄せているのは人間の心です。

善人への試練という意味で例外はあるものの【悪は悪にのみ働きかけ得る】というのはまさにその通りかと思います。

 

 

悪霊は善人に向って働いても善はビクともしません。人間がビクビクしたり悪に引込まれるのは、己に悪があるからであり、真の意味では善になっていないということです。

ひふみ神示の「悪の気断ちて下され」の一言は私にとってはかなり印象的です。

 

 

無闇に怒りっぽかったり、クヨクヨしたり、悲しい気持ちになったりするなどマイナスの感情はすべて邪神・邪霊から来るものなので、そういう気持ちになる=自分の中の悪の気を断っていないということであり、凶悪な邪神・邪霊とまでは行かなくてもあまり進歩していない未熟な霊たちと繋がりがあることを意味しています。

 

 

世間には無闇に怒りっぽい人ややたらクヨクヨする人や誇大妄想する人がいますが、その本人にそういう部分があるのはもちろんですが、邪神・邪霊によってより酷くなるようです。

こういった邪神・邪霊の暗躍はインペレーターの霊訓を読んでいると度々登場しますが、人間には全く見えないので人間としては自分が全部やっていると考えます。

 

 

いずれ人間が死んであの世に行けば邪神・邪霊が如何に地上人にマイナスの影響を与えているのか、いつか知る日がくるだろうとインペレーターは述べていますが、これは相当酷いのではないかと思われます。

 

 

スウェーデンボルクは邪神・邪霊が近づいてくると不安になり、彼らが去って行くと不安が消え、また近づいてくると不安になると述べていますが、これは個人的にも理解出来る部分です。

 

 

但し邪神・邪霊は無差別にいくらでも人間に対して働きかけるのではなくあくまで親和性の法則、つまり人間は本人の中にあるものを引き寄せているので、善人に対しては基本的に干渉することはありませんし、絶対に出来ないとはまでは言いませんが、かなりの骨折りなわりに益の少ない行為なはずです。

 

 

マイヤースが個人的存在の彼方で述べているので別の記事で書きたいと思いますが、これはある種のトリック・手品みたいなもので、種がわかってしまうと簡単に防ぐことが出来ます。簡単ではないにしても少なくとも対策を取ることは出来ます。

 

3つ考えられますが、まず1つ目はつまり種の分かっている手品を見るようなもので、自分が感じているマイナス感情は邪神・邪霊から来ていると理屈でわかってしまえばそれで大体は片付きます。

思うに彼ら邪神・邪霊は人間を苦しめることが出来るものの、その方法は極めて不利で種がバレてしまうと容易に対策を取られてしまう点は卑怯者に相応しい惨めなやり方と言えます。

 

怒りや悲しみや嫉妬や不安などのマイナスの感情を感じたら果たしてそれが本当に自分のものかをよく心を見つめてみると大抵は片付きます。第三者によって引き起こされているということが理解出来れば、少なくとも自分の感情に振り回されることはなくなるはずです。

 

 

2つ目は対策は無理矢理自分の心を前向きにしてしまうことです。

以前書いた「心の姿勢の重要性」「心の姿勢の重要性②」でも述べていますが、結局邪神・邪霊を引き寄せるのは自分の中に同質の性質があるからであり、それを無理矢理明るい気持ちになって振り払ってしまうことです。

 

 

演技でも嘘でも振りでも馬鹿らしくても構いません。それが潜在意識に作用して心の中が変われば邪神・邪霊たちは単純に居心地が悪くなって去っていきます。

私自身はお酒は飲みませんが、御神酒を頂くことで明るい気分になれば、酔っ払ってですが良い気分になると思いますので一時的には効果があると幸安幽界物語でそんなようなことが述べられています。

(お酒を飲むことを推奨しているわけではありません)

 

アル中は困りますが、何か嫌なことがあったときにパァーっと飲みにいくみたいなことは人間にはよくあることで、意識的に嫌な気分を吹き飛ばそうとするのは少なくともその嫌な気分に同調している邪神・邪霊からの憑依を防ぐという意味では有益です。

 

しかしお酒に依存するようになると今度は生前アル中だった霊が引き寄せられてやってきますので注意が必要です。自分で「心の姿勢の重要性」「心の姿勢の重要性②」に書いてあるような演技をしたり、潜在意識にすり込むのが一番有益かと思います。

ひふみ神示にむやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりあるからぢゃ。めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからぢゃ。とありますが、類は友を呼んで縁が出来ていくというのはさにそのまま流行の引き寄せの法則です。

 

 

またマイナス感情にならないように、長い時間を掛けて自分の悪い部分を改善していくことも大切です。性格は一朝一夕には変えられませんが、長い時間を掛けて自分の欠点と向き合えば少しずつ良くなっていきますので、これも演技やお酒が短期的・場当たり的な対策であるのに対して長期的・恒久的な対策であると言えます。「天国へ行く鍵」というやつです。

 

 

3つ目は正神の守護を願うことです。霊の世界で起っていることですから霊の世界で対処してもらうのは決して間違ってはいないと思いますし、こういった邪神・邪霊から人間たちを守ろうとする天使たちもたくさんいます。

 

 

こういった方法でかなり対策が取れるはずです。私は個人的に悪魔たち対してかなり怒りっぽいという欠点があるのですが、これがわかってからはほぼ全く怒らなくなりました。

怒ると怒りの霊の霊線が繋がるというよりは、怒りっぽい素養を持つ私が怒霊がたくさんいる怒霊の境涯の霊を引き寄せているわけです。

 

 

人それぞれ自分が持っている欠点は違うと思うのですが、私は人間の禍福得喪はすべて神様のコントロールしていると感じますので、個人的には良いことがあっても悪いことがあってもあまり心を乱したりはしないほうです。

 

もちろん良いことがあれば神様に感謝しますし、悪いことがあれば自分の良くない部分を省みて改善を試みますが、過度に浮き足だって調子に乗ったり、過度に落ち込んで何も手に付かなくなったりすることがないという意味です。

 

 

貧乏人があっという間に金持ちになり、金持ちがあっという間に貧乏人になり、幸せだった人が突然不幸のどん底に落ち、不幸な人生を送っていた人が何かの拍子に幸福な境遇に変わったりするように人間というものは簡単に幸福になり、簡単に不幸になるということを知っていて、それをこの世の裏側で操っているのは神様や霊であるということを私なりに理解していますので、幸福に合うも油断せず不幸に合うも「これは良い事に向うため、自分の欠点を補うための試練だ」と考えることが出来ます。

 

 

しかし、悪魔たちのやりたい放題、傍若無人のキチガイっぷりには腹が立つという欠点がありますが、このことを理解出来るようになってから怒ることはほとんどゼロになりました。

 

 

また人間ですから多少心が浮き足立ったり、沈んだりは当然あるものの、如何に心を乱さないかということの大切さもわかるようになってきました。

シルバーバーチの霊訓などでも人がマイナス感情を持つと良い悪いの話ではなく善霊や守護霊にとっての壁になって近づけなくなってしまうだけでなく、邪霊たちを引き寄せるみたいなこと言っていますが、これは全くその通りと言えるでしょう。

 

 

 

そもそも普通に考えて、ちょっとのことでイライラしたり、泣きわめいたり、くよくよしたり、感情の安定しないタイプの人間が成熟しているとは思えません。大きな苦難がやってきても涼しい顔をしながら笑顔で乗り越えてしまうのがスマートなやり方というものであり、いちいち泣きたり、喚いたり、八つ当たりしたりといった人間は未熟な人間に思えてしまいます。

 

 

多くの霊的な書物で述べられていますが、霊は人間の感情や生活に良くも悪くも多大なる影響を与えています。それを理解出来れば、少しずつでも人生に対する取り組み方が変わってくるはずです。

 

 

悪い事への対策ばかり書いていますが、これは逆に言えば自分の心が明るく、楽しく、清らかで、元気で、正義に溢れるならばそれと同質の善神・善霊を引き寄せるということです。天使と言ってもいいかもしれません。

 

こうも言えます。マイナスの感情はすべて悪魔からであり、プラスの感情はすべて天使からであると。

 

邪神・邪霊への対処療法は既に述べた通りですが、長い目で考えると自分の悪い癖、欠点を時間をどれだけかけてでも直していくことが大切であると思います。