○この世で犯した悪事の裁き

スピリチュアル系の書物を読んでいると、具体的にはシルバーバーチ、ホワイトイーグル、日月神示、大本神諭、霊界物語、異境備忘録、モーゼスの霊訓、マイヤース、アラン・カルデックの霊の書、スウェーデンボルグの天国と地獄などですが、生前犯した悪事が高級天使や神によって裁かれる場合と裁かれない場合があり、また地上における刑罰のように第三者から強制されて刑に服す場合とそうでなあい場合があり、この部分が疑問だったりします。

 

 

この世で悪事の限りを尽くした人間は地獄や兇党界へ行く、または地獄や兇党界に所属するのは変わりないのですが、死後自由に人間界や霊界で引き続き悪事を行う霊たちと刑罰を受けて身動きが取れなくなるような立場に追い込まれる人間がいます。

 

 

神仙界の刑法所は三ヶ所あり。一所は北に向ひ菅原道真公、武内宿禰の二霊此所を常に掌り給ふ。菅公は左冥司大之中津大兄官にまして武内宿禰は右刑司中津大兄官なり。一所は南に向ひ、右の一所と川を隔てて向会ひたり。此所は大国主神及び少彦那神の代命事代主命掌り給へり。一所は大なる杉林の中にあり。此所は神霊等の大罪によりては霊魂をも消滅する刑場なり。武甕槌神の掌り給ふ所にして神界の兵器などあまた飾り立て、其厳重なる事言語の及ぶ処にあらず。此所の殿は黒塗にして皆神等も黒衣を着し給ひていといかめし。

 

悪魔の中、尤も下界を罰霊界とて悪魔中の上等の界へも仏魔の界へも入る事を許さざる苦界あり。神界仏界何れの界にても極めて積悪無類の者は此の界に謫せられて出る事を得ずして尽きざる苦みとて一日に二度、一夜に三度づつ受くるなり。

 

異境備忘録より

 

 

刑罰を与える場所と刑罰を与える官がおり、これは良心の呵責から自ら苦しむわけではなく第三者から刑罰を与えられることが述べられていますが、特に悪質なものは一日に二度、一夜に三度煮えた銅を押さえつけられて飲まされるという刑罰を受けると異境備忘録では述べられています。

 

スウェーデンボルグの天国と地獄でも地上でいうような裁判のような場面があり、高級天使によって地上で犯した罪を追求される場面が登場します。

 

月霊罰則界?というものも存在し、霊的な書物にはこのように地上の刑務所のような場所で刑に服する場面が描かれている場合があります。

 

 

反面、地獄はなく刑罰を受けることはない、苦しむのは自分のした行いを自分の良心と照らし合わせて過去を振り返るときに自ら苦しむと述べる霊的書物もあります。

 

 

自分の人生を振り返るときに、高度な道徳心や判断力を天使から与えられて、自分で自分を裁く場面も登場します。

つまり第三者からの刑罰として苦しみを受けるのではなく、あくまで自分自身の良心の呵責として苦しむというわけです。

 

 

この場合は良心の呵責がなければ、引き続き悪人は悪事を楽しむことが出来ます。

 

 

このように二通りの死後の処遇があるわけですが、シルバーバーチ、ホワイトイーグル、出口王仁三郎、宮地水位、マイヤース、アラン・カルデック、スウェーデンボルグなどかなりの数を挙げることが出来ますが、それらの書物が嘘を付いているとは思えず、あくまでそれぞれの境涯において彼らが見聞きした分だけの事実を述べているのではないか?というのが私の見解です。

 

 

つまり第三者によって裁かれる、第三者によって刑罰を受ける場合もあればそうでない場合もある。そしてどういう理由でどのような境界に置かれるかはケースバイケースであるということです。

 

 

○天国と地獄の意味

 

よく天国や地獄という言葉が使われますが、霊的な書物によっては天国も地獄もないと述べたり明確に天国や地獄という言葉を使ったりする場合があります。

 

霊的な書物を読む場合に注意しなければいけない事は、まず死後あまり進歩していない霊が霊界の状況を語る場合あくまで主観に基づいて述べているに過ぎないということです。

 

 

生前悪事を積んだ人間が死後、薄暗く、寒く、汚穢にまみれ、周りには地上でいう極悪人しかいないような醜く苦しい境界に置かれたならば、おそらく彼は「自分は地獄にいる」と言うでしょう。

 

しかし逆に生前善徳を積んだ人間が死後、明るく、暖かく、美しく、周りには地上で言う善人しかいないような美しく楽しい境界に置かれたならば、おそらく彼は自分が天国にいると言うでしょう。

 

この場合の天国や地獄と言う用語はあくまで主観的、感覚的な表現であって、地上の人間が「地獄のような毎日」だとか「天国のような時間」というような使い方と同じになり、地理的な区分を指しているわけではありません。

 

 

シルバーバーチは天国も地獄もないと述べていますが、彼が居る境界の描写は非常に美しい境界であり周りにも善霊しかいないので、これはいわゆる天国的な境涯と言えます。

逆に薄汚い残酷な境涯が描写される場合もあり、これは地獄的な境涯と言えます。

 

 

現実問題としては波長の高さによって天国または地獄、あるいは中有界(幽界、半霊半物質界)などの区分があると思われますが、共通して述べられていることは生前積んだ善徳や身につけた素養や愛や精神性、または神への理解によって死後の自分の居場所が決まるということです。

 

また進歩した諸霊は人間のためを思って敢えて事実を言わなかったり、わかりやすいように噛み砕いた表現をすることで事実から遠ざかったり、人間には秘密にしなければいけない内容を明かすわけにはいかない等の様々な事情で必ずしも事実を述べているとは限らない場合が存在します。

 

人間が深入りしない方が良い秘密というのは確かにあるでしょうし、あくまで相手のレベルに合わせて相手にわかるように語られているため時代、民族・文化・宗教などの背景などが変われば霊側も表現を当然変更してきます。

 

つまりすべてをそっくりそのまま馬鹿正直に鵜呑みには出来ないということです。

 

 

○邪神と邪霊の違い

 

元々は神であったり、人間であった霊が何かの理由で悪に傾いたり、逆に改心して善に傾いたりします。神にも正邪の区別がありますが、人間も常に善悪の間に揺れ動いています。

つまり本人の意志によって善にも悪にもなりえるのであり、このような存在を邪神や人霊と呼びたいと思います。

 

これに対して邪霊は天地初発の際に邪気が凝り固まった真の外道の存在であったり、邪神や邪悪な人霊の発した気が凝り固まって生まれた存在を指します。こういった存在に改心の余地があるのかどうかはわかりません。

 

地上に生まれてくる人間のほぼすべては善にも揺らぎ、悪にも揺らぐ中間的存在であり、悪人でも改心して善に立ち返ることがあり、善人でも堕落して悪に落ち込むことがあるのは言うまでもありません。

 

このうち邪霊というのは元々悪事を行うように作られているらしく、人間が悪事を行うと地獄へ落ちて行きますが、邪霊は悪事を行うとより階級が上がるそうです。それは人間が善を行うと霊的な階級が上がるのと同じ意味においてです。

 

 

つまり悪魔たちは悪を犯すように作られ、人間は悪事を犯すようには作られてはいないということを指します。

 

 

○本題

 

ここからが本題なのですが、いわゆる霊界や地上で悪さをする邪神や邪霊、または元人間霊たちの中で死後も変わらず特に苦しむ風もなく、数百年、数千年の長期に渡って悪の限りを尽くす存在がいるという点です。

 

地上世界で言うならテロリストや殺人犯、強盗などの犯罪者が野放しになっていて、特に警察が逮捕しようとするわけでもなく、刑務所に入っているわけでもないという状態です。

 

 

世の中に悪魔は数え切れないほどたくさんおり、それぞれが自由気ままに振舞っていますが、

もし異境備忘録にあるような刑罰所があるなら、なぜ彼らは裁きを受けないのか?という点が疑問です。

 

 

死後すぐに裁きを受けて刑罰を受け苦しむ霊もいれば、地上時代に悪事の限りを尽くし死後も同じように悪事の限りを尽くして楽しんでいる霊もいます。

人殺しなんて軽い気持ちで行いますし、もっと大規模な貧困や疫病や戦争などの社会悪を生み出す悪魔たちも山ほど存在します。

 

邪霊に関しては最初から悪事を行うように設定されているため、そもそも悪事を働いたから罰を受けるというのは考えにくいですが、霊的な書物を読んでいて疑問に思う点の一つがこれです。

 

 

もちろん究極的には最高神によってどこかの時点で天秤は完全に平均化されるのでしょうが、野放しになっている邪神や邪霊や人霊とそうでない邪神や邪霊や人霊がいる点にかなり疑問を感じています。

 

 

地上でも悪人が権力を持っている場合、警察が逮捕できないというケースはよくあります。これと同じで霊界でも悪魔たちが強すぎて善神、善霊たちでは地上でいう逮捕や刑務所への収監が出来ないのかもしれません(そういうものがあればですが…)。


 

然るに魔王といふものの中にては神野長運以下の魔神は吾が法を以て行ふ時は忽ちにして退くといへども、造物大女王一名窮利易子、無底海太陰女王一名比衛子督等には空中にて出逢ふ時は清浄利仙君を始めて吾と通路をかへて遙側をよくるなり。此二魔どもは中通りの神等より其勢百倍も甚し。此等の魔には近寄らぬがよろし。またこの界より別れて一の魔界となる其主領は前三鬼神、飯綱智羅天、後天殺鬼なり。此三鬼の中にて前三鬼は仏界より入りたるを掌る。飯綱智羅天は天狗界より入りたるものを掌る。後天殺鬼は悪逆にして諸界を退けられし悪霊を掌る。右の魔神の界は吾等が住める神界の為には大敵とす。人間界の者の恐るべきはかかる魔物の妖なり。

 

 

異教備忘録では正神界の神たちが邪神・邪霊を恐れて道を譲り出会わないようにやり過ごす記述がありますが、これは地上で言うなら指名手配中のヤクザやチンピラやテロリストを畏れて自衛隊や警察がスゴスゴと道を譲るのと似ています。

 

 

つまりメキシコみたいに悪魔たちが強すぎてどれだけ犯罪やテロを起こしても自衛隊や警察はザコならともかく大物は逮捕出来ないということでしょう。逮捕どころか出会えば逃げるように道を譲っている状態です。

 

 

霊界と地上世界は合わせ鏡と言いますが、霊界がそうなっているように地上でも同じようなことが起きています。

 

 

こういったことを鑑みて肝心の裁かれない悪人たちについて考えると、地上で悪事の限りを尽くす人間は強力な邪神・邪霊の守護を受けている場合があり、こういった人間は死後引き続きその邪神・邪霊の庇護下で悪事を行うため、やりたい放題が出来るのかもしれません。

 

 

あるいは私が全く知り得ないシステムがあるのかもしれませんが、いずれにしても千年、万年、億年単位でやりたい放題やっている邪神、邪霊、人霊と地獄で苦しんでいる邪神、邪霊、人霊がいるということが疑問だったりします。

 

 

例えそれが千年万年といえども一時的なことではあると思いますが、単純に善神の力の強さの問題なのか、敢えて放置しているのか、何か基準があるのかわからない部分です。

 

 

人間の世界でも正邪の別と力ある人間とそうでない人間がいるように霊界、神界でも当然あると思われ、善神にも悪神にも力の強い、弱いの関係があり、やはり力の強い悪魔には弱い善神は敵わないようです。

 

 

なぜ悪が表に出て野離しになっているのはわかりませんが、神界、霊界においてこのように悪が出張っているということは、それが地上世界に映ることになり、地上ではまだまだ大荒れが続きそうです。

 

 

岩戸開き、大峠、立て替え立て直し、アセンションなど言い方はなんでも良いですが、神界・霊界でも大改革が行われており、それが地上世界にも映ってくるというのは近年のスピリチュアル系の書物で盛んに述べられていることではありますが、神界・霊界が良くなれば地上世界も良くなり、逆に地上世界で人間が頑張れば神界・霊界も合わせ鏡で良くなっていきますので人間たちも努力しなければなりません。

 

 

思うに高い世界では善神の勝利という形で決着はもう付いていると思いますが、下の方の神界・霊界や地上世界では残党たちがまだまだ強くやりたい放題という感じがします。

 

 

徐々に減っていますが、これに関しては最高神や正神の守護を願うしかありません。

 

 

ただ悪がやりたい放題と言っても長い目で見ればあくまで一時的なことであり、いずれは天秤が完璧に釣り合います。善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあるという因果律から逃れることは出来ません。

例えば一億年という年月は人間から見ればほとんど永遠に見えるかもしれませんが、地球や太陽系を運営する高位の神々から見ればそれほど長い時間でもありません。

 

 

また人は苦難の道を通らなければ成長しませんので、異境備忘録の正神界の神たちが恐れて道を譲るような邪神・邪霊も、高位の正神ならなんとでもなるはずですが、それをしないのは神様の世界の考えがあり、悪が必要だから野放しになっているのではないかと思います。

 

地上で悪人が野放しになっているように見えるように、霊界でもそう見えるだけという可能性が一番高いです。

 

 

○永遠の刑罰?の問題

 

異境備忘録の「尤も下界を罰霊界とて悪魔中の上等の界へも仏魔の界へも入る事を許さざる苦界」というのは「極めて積悪無類の者」が入るということですが、逆に言えば罪が軽めの者はここには行かないということになります。

 

極めて罪の重いものは刑罰所で拘束して罰するけれど、そうでないものは別の扱いを受ける、一部には引き続き悪事を続ける者もいるということになります。

 

 

今地上や霊界で悪事を働いている霊たちは放置というわけではないのでしょうが、少なくとも拘束して罰する必要は無いという判断なのかもしれません。

 

 

また異境備忘録「出る事を得ずして尽きざる苦みとて一日に二度、一夜に三度づつ受くるなり。」という文言は永遠に苦しめられるという風にも取れます。

神が人間を罪を犯すように作っておいて永遠に刑罰を与え苦しめるというのは考えにくいとも感じます。

 

 

人間がAIを制作段階で悪になる可能性を含むように設計しておいて実際に悪になったら永遠に苦しめるというのは、人間ならともかく大慈大悲の究極神のやり方とは思えません。どんな人間にも無限の更正のチャンスが必要であり、無限の愛が注がれるべきだと思います。

 

罰はあるかもしれませんが、それはその人を更正させるためのものであって苦しめることそのものが目的であってはならないはずです。最初から悪になる可能性を含むようにAIを設計しておいて実際にそうなったら永遠に罰するというのは、正直作った側に問題があるように思えます。あるいは罰している側が神の道を誤っている可能性もあります。

 

 

悪が放置されている状態は誰が何と言おうと地球では起っていることですが、これは無限に悪事を続けて無限に善人を苦しめて良いということはないと思いますので、何処かの時点で善と悪とが立て別けられて隔離される時期がくるはずです。

 

 

悪人たちはそこから出られないような惑星に転生し、同じく悪の霊たちも行動を制限されて、その中で様々な経験をしながら進歩向上の道を歩むことが許されるはずです。

 

 

私は永遠の刑罰もなければ、全知全能が善にも悪にも振れるように霊を作っておきながら悪に振れたら永遠に罰するというのを信じることが出来ません。