異境備忘録とほかの霊的文献との違いで気になるのは異なる進歩段階の霊たちが同じ境涯で交わりながら生活していることです。

 

例えばひふみ神示には下記のように記されています。

 

神界は七つに分かれてゐるぞ、天つ国三つ、地の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国も上中下の三段、中界の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれてゐるのぞ、その一つがまた七つずつに分れてゐるぞ。今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。 

 

 

霊界と申しても神界と幽界に大別され、又神界は天国と霊国に分けられ、天国には天人、霊国には天使が住み、幽界は陽界と陰界に分れ、陽霊人、陰霊人とが居る、陽霊人とは人民の中の悪人の如く、陰霊人とは善人の如き性をもってゐるぞ。 

 

 

霊界にすむものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知らない。その霊界が総ての霊界であるかの如く思ふものであるぞ。同じ平面上につながる霊界のことは大体見当つくのであるなれど、段階が異なってくると判らなくなるのであるぞ。

 

 

異なる進歩段階の霊たちは波長が違うので、自ずから住むべき境遇が定まり基本的に一緒に暮らすことはないと述べられており、自分のいる界以外の界の存在を信じない霊もいるそうです。

 

それは人間が地上物質界のみを唯一の世界と考えて霊界の存在を認めないのと似ているかもしれません。

 

 

「ベールの彼方の生活」や「シルバーバーチの霊訓」などでも似たようなことが述べられており、霊的な発達段階が異なるものは別々の境涯で暮らすと述べられています。地上人と霊界人が別々に暮らしているように、波長(霊格)が異なると基本的には干渉できないようです。

 

 

「霊的な進歩段階が近しい者たちが共に暮らす」「性情などが似たもの同士が共に暮らす」といった霊界の様子を語るのはほとんど全部の霊的書物に共通するのですが、異境備忘録だけが異なり、いわゆる神仙と呼ばれる高位の神霊たちと悪魔たちが同じ界に住んで、空を移動するときにすれ違うような描写も登場します。

 

 

然るに魔王といふものの中にては神野長運以下の魔神は吾が法を以て行ふ時は忽ちにして退くといへども、造物大女王一名窮利易子、無底太陰女王一名比衛子督等には空中にて出逢ふ時は清浄利仙君を始めて吾と通路をかへて遙側をよくるなり。此二魔どもは中通りの神等より其勢百倍も甚し。此等の魔には近寄らぬがよろし。

 

 

異境備忘録は悪魔たちの描写も度々登場しますが、魔王たちの序列1位と2位とすれ違うときは高位の神霊たちが道を譲って避けるようなことが書いてあり、同じ境涯で活動しているように受け取れます。

 

 

ほかにもいわゆる愚賓と呼ばれる低級の天狗さんや鬼たちも高位の神霊たちの元に奉仕しているような場面もあって、霊的な進歩状況によって住み分けられているのではなく、地上が善人も悪人も進歩した者もそうでない者も同じ世界で暮らしているように、霊界でもみな同じ界で暮らしているような印象を受けます。

 

 

少なくとも空を移動しているときにすれ違うことはあり得るような状態であるということです。

 

地上でも極悪人が乗った飛行機と善人が乗った飛行機がニアミスすることはありえますし、飛行機じゃなくても街ですれ違うことも可能です。

 

当然、悪魔側が善霊に対して攻撃加えることも出来るわけで、この辺りは少々意外に感じます。

 

また下記のように書かれています。

 

 

神仙界と仏界とは大いに差別あれども神仙界へ□へるもありて、常には中悪しきことの無きを神仙界を脱して仏界に入り、仏界を脱して神仙界に入るものある時、且つ現界の人死して十一月八日頃に神仙界に各々の霊魂上昇せんとする時仏仙界の者前に廻りて仏仙界を神仙界と偽り見せて誘ひこみて、其霊魂に先祖代々の霊魂も此界に止まり居るとて其死亡せる親戚の者の形を幻に作り見せ、且つ其朋友の死したる形を見せて無理に其仏仙界の大門に引込みて忽ち門を閉ぢて再び出る事の難き様になして其後に女は右手、男は左手の掌に赤き印を押す。其時に□に此界を偽りて其印証を受けずして遁れ出で、真の神仙界に入りて其由を退妖官に告ぐる時は神仙界より神兵を繰出して征伐せらるるなり。されど戦酣になりては霊魂を互に消滅せらるるものなり。大抵三夜位の戦にて大川を隔て一方は山上より奇なる兵器を以て戦ふなり。竟に両方より尊神出て仲裁となりて其戦争も中途にして止まるなり。 日本国明治四年十月には過半仏仙界を征伐して大功業ありしと聞く。

 


いわゆる仏教の仏や他界した仏教徒たちが自分たちの仲間に引き入れる目的で、霊界入りした死んだばかりの人たちを騙して誘拐することがよくあり、誘拐されそうになった人が運良く逃げおおせて神界の神官たちによって助けられた際には仏たちへの討伐があるそうです。

 

 

これも誘拐をするような仏教徒たちが、本来仏界に入るべき人間ではない人と関われる、少なくとも誘拐が可能であるような状態にあることが不思議です。

 

 

中には仏に上手く騙されて「女は右手、男は左手の掌に赤き印を」押されて仏界に閉じ込められてしまう人もいると書かれており、仏界に入るべきではない人間を無理矢理拉致してしまえるのもよく言われる「性情などが似たもの同士が共に暮らす」という話とかみ合いません。

 

 

ちなみに霊界で起こったことは地上でも起こると言いますが、「日本国明治四年十月には過半仏仙界を征伐して大功業ありしと聞く」という一文は地上世界の廃仏毀釈を彷彿とさせます。

 

 

話が逸れましたが、疑問に思う部分はあるものの、異境備忘録が間違っているとは思えませんし、水位仙もおそらく見たまま聞いたままを書いているのであり、ひふみ神示やシルバーバーチなどの霊訓関係もそれは同じだと思います。

 

 

少なくとも水位仙が出入りしていた霊界はそうであったということだと思いますが、こんな風に仏教徒による拉致・監禁が可能な世界や善神たちと悪魔たちと移動中にすれ違うは世界はほとんど地上世界と同じのもののように思えます。

 

少なくとも住み分けられているという印象は持ちません。

 

 

地上世界で善行を積んだ人が他界した場合、死後天国へ進み明るい境涯で安全に暮らせるのかと漠然と思っていましたし、今でもそれは決して間違っていないとも思うのですが、異境備忘録を読む限りではその限りではないのかも?と思えてきます。

 

 

ただ異境備忘録には一般の暮らしをしている人の描写はほぼゼロで、本当に極々僅かしか登場しません。

登場する記述のほとんどが神様を別とすれば、神仙や山人・天狗であり、いわゆる霊界の神庁とも呼ぶべきところで働いている霊たちであって、地上で言うとことのお役所勤めの公務員や役人みたいなイメージを受けます。

 

万霊神岳記録官には支那日本の学者等五千八百神坐せり。其従官七十二万二千十三なるよしなり。此界の主領官は少名彦那神に坐せり。

 

万霊神岳の記録官は5800神、その部下72万2013官と述べられていますが、文中には記録官以外にも官で検索すると司命官 大兄官 右察官 退妖官 中督吏官 記式官 記図官 霊義官など上から下まで様々な「官」が存在し、官位を持っていない一般霊もさらにたくさん存在しています。

 

 

この辺りは数の多さを別とすれば、人間界の組織システムと良く似ています。退妖官はそのまま警察官や自衛官のような印象を受けます。

 

 

私自身は幽体離脱して霊界の様子を知ることが出来ないため、あくまで文献からの共通点や内容を精査することでしか判断が出来ませんが、異境備忘録もまた一つの資料として有益であると考えています。