体を綺麗に保つことで神懸りが起きやすくなります。

綺麗と言っても単にお風呂に入るとかそういう表面的なことではなくて、内蔵や血液レベルの綺麗さ、もっと言うなら気というかオーラというか幽体というか、肉体に付随する様々な条件のレベルで清潔さというか調和というか良いバランスや状態を保つことで神懸りは起きやすくなるようです。

 

 

昔の人はよく断食を行いましたが、あれも内蔵から邪気というか穢れというかそういった波動の低いものを追い出すためで、そういった意味では価値のあることだと思います。

 

 

ヨガ、導引、気功、野菜を中心とした食事、なんでも良いですが、霊主体従だからといって体の方を疎かにしてはいけないということは当然ですが、具体的にどうすれば良いのかということは人それぞれ性別、体格、霊格、生活環境、年齢などの諸条件によって異なるので自分で探っていくしかありません。ひふみ神示にも神懸りに際して汚れた着物(人間のこと)は嫌だという言葉が出て来ます。単純に懸りにくかったり、懸っても苦しかったりするのでしょう。

 

 

衣はくるむものであるぞ、くるむとは、まつらふものぞ、神の衣は人であるぞ、汚れ破れた衣ではかみはいやざぞ。衣は何でもよいと申すようなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申す様な簡単なものではないぞ。今は神の衣無くなっている、九分九厘の臣民、神の衣になれないのざぞ。悪神の衣ばかりぞ、今に臣民の衣も無くなるのざぞ。

(ひふみ神示)

 

 

誰かに師事するのも有益なのでしょうが、残念ながら私には教えを乞える人はなく、精神統一で守護神様に伺うしかありません。

 

 

私は子供の頃から気とかプラーナとかオーラとかという生体エネルギー(以後は気)を感じることが出来て、これはある特殊な呼吸法によって発生します。

 

 

正確には意志と呼吸ですが、立禅しながら気を全身に回したり、たまに気を全力で出したりするとどうも細胞が活性化するのか体調が良いようです。

 

 

完全に独学なのでやり方は適当ですが、立禅という長時間立ったまま行う修行法を昔習ったことがあり、この状態は気を発生させるのに向いているようで、最近はちょっと真面目にやってみようかなという気持ちになってきました。

 

 

立禅の状態でなくても座ったままでも寝たままでも出来ますが、普通活動するときは立った状態で行うことが多いので立っている状態がやりやすいです。

立禅に関してはよくわかりませんが、立禅の姿勢に意味があるようで、気を発生させやすい条件や気が通りやすい姿勢などの肉体条件があるのかもしれません。

 

 

現代の科学や医学ではそもそも気という生体エネルギーは立証されていないためこの活用方法は少なくとも科学的には証明されていません。

 

 

現実には気功を教える教室などはたくさんあって、多かれ少なかれ気を体感出来る人はいるようですが、将来的に科学による説明がなされることに期待したい次第です。

 

 

気を整えることで体が整うので、神懸りにも良い影響があるのでは?と最近思い始めました。それでなくても健康で元気でいれるならそれが一番良いわけですが、思うにこの気というのは幽体を通して肉体に流れるエネルギーのように思えます。

 

出所は霊界とか宇宙とか言い方は何でも良いですが、究極的には全知全能から発生し、幽の幽、幽の顕、顕の幽、顕の顕と幾つもの霊的な階層を経て、物質次元に到達という風に流れてきているように思えます。

 

 

よく心霊治療などで霊界の医師団から送られてくるエネルギーを地上の霊媒が地上人に添った波長にするために、変圧器のような目的で使うことがありますが、出所は霊界なわけで、霊界の方でも何段も変圧器的なエネルギーの調整があるのかもしれません。

 

 

とにかく最終的に物質の次元に到達するわけですが、発電所で発生した莫大な電力が最終的に家庭用の100Vコンセントになるように、この気というエネルギーも霊界?宇宙?から発生して、肉体の特定の構造条件と発生原理を経ることでエネルギーとして肉体に作用するようです。

 

 

気というのは言うまでもなく物質ではありませんので、無形の世界から来ているため「宇宙から来ている」というとまるで何処かの物質的な真空の空間(例えば大気圏外の何処かとか、地球と金星の間のような具体的な座標)から来ているように連想しますが、なんだかそれは違うような気がします。

 

三次元空間では指をさせない方向から来ているというのが感覚的な表現です。

 

 

そもそもこの気というのが科学的には何なのかよくわかっていません。漠然とエネルギーという風に感じていますが、霊たちのいうエーテル的なものかもしれません。少なくとも地上の科学でこの不思議なエネルギーを発生させたり、電池のように溜めておける技術は全く存在せず、そもそもこの精妙なエネルギー自体が一体どういう性質のものなのか自体が全く未知の領域です。

 

 

ただ、かつて電気がそうであったように、遠い未来にいつの日にかきっと科学で説明が為される日が来るのではないかと思います。また電磁気力、重力、エーテルなど様々な呼び方がありますが、これはおそらく元は1つで段階と用途に応じて異なった現れ方をするただ一つのエネルギーだと思われます。

 

 

また気というものを体感出来るか出来ないかは主に肉体側の条件に左右されるようで、これは霊媒体質と同じようです。立禅や気功やヨガなどである程度後天的に鍛えることは出来るようですが、背が高いとか花粉症だとかと同じ肉体条件にまつわるもので、出来る人は何の訓練もせずとも出来るが、出来ない人は厳しい練習を積んでも難しいようです。花粉症になりたくでもなれない人もいれば、なりたくもないのに花粉症で苦しむ人がいるように完全に体質問題となります。

 

 

これはいちいち霊界の霊を通す必要はなく、とても簡単に肉体を活性化させることが出来て、簡単にいうとある程度やると元気になります。宇宙エネルギーなんていうとちょっとよく分からないですが、漠然としたエネルギーをこの物質次元よりも高いところから得ているわけで、そう考えるとなんだかとても面白いように思えてきました。

 

 

丹田と呼ばれるお腹の下の方が重要らしいのですが、立禅をしつつ気を全身に充填するようにしているとお腹の下の部分と額の部分から波動を感じます。

 

 

波動というととてもファジーな言葉ですが、情報という意味もあり、単にエネルギーという意味でも使っています。

額からの波動は精神的なものに種別され、お腹の下の方のものは体的なものに種別されるようです。

 

 

この不思議なエネルギーは究極の根源は全知全能なのでしょうが、霊界の懇意にしている諸神霊のオーラ?がそこに加わってから私の体に流れることで私の体が特定の霊にとって懸り易くなるということもあるのかもしれません。

 

 

今まではサボって来たので良い機会だと思い、少し真面目に取り組んでみたいと思います。