龍神様について私なりにわかっていることや色々な文献などから得た知識を書いてみたいと思います。

 

 

 

今の人民は竜神と申せば、すぐ横を向いて耳をふさぐなれど、マコトのことを知らせねばならん時ざから、ことわけて申してゐるのぞ(日月神示)。

 

種類によってはたしかに見た目は恐ろしいこともなくはなく、江ノ島の岩窟の暗闇の中で巨大な角や牙や鱗を持った恐竜みたいなのが出て来たらたしかに女の子は恐いかもしれません。

人間で言うといかにもヤクザやチンピラみたい風体の人間が怖がられるのと同じだと思います

 

 

かく言う私自身は基本的に龍神様(というか天使)にかなり好感を持っており、中には悪さをするのもないではないですが、それは人間も同じことで、なぜか不思議と龍神様たちに愛念を持ちます。


 

多くの霊的書物で言われているように、龍は自然霊に分類される進化系統を進むもので人間のように肉体を持って生まれることはなく、人間のように物質的肉体に宿って進化の系統を進むものとは違う系統に属します。

 

 

妖精、天狗、龍などは物質的な肉体に生まれてこなくても進歩できるように(遠い遠い、その終局においては1つになるのかもしれませんが)全く別の進化の道が全知全能によって用意されているようであり、彼らには色々な名称が付いていますが要するに「自然霊」という呼び方が現行の日本のスピリチュアリズムでは定着しつつあるようです。

自然の中で高度に進化したものは「天使」と呼んでも良いように思えます。

 

 

各惑星に天使はいますが、マイヤースの個人的存在の彼方では次のように述べています。

 

 

それらの自然霊は(中略)時には大蛇の形をもすることがあり、また龍の姿をもすることもある。龍は今のところ神話的存在であるが、有史以前の太古において地上に存在したかもしれない。

(マイヤース 個人的存在の彼方)

 

 

基本的に霊界通信の多くは、①人間にまずは死後の世界が厳然と存在することを伝えること②地上世界をより良くするために愛や奉仕の心を持って日々の生活を送ること、それが現在の世界はもちろん死後の世界においての生活をより良いものにすること、つまり精神的・道徳的指導の2点をメインとしており、これは今の人間の霊的な知識のあまりの乏しさを考えれば当然と言えば当然です。まずはここからということなのでしょう。

 

 

ごく僅かに人間とは進化の系統が違う自然や別の世界について述べられていることもありますが、シルバーバーチやホワイトイーグルやインペレーターなどの霊界通信は原則的に上の2点を人間に伝えることを主眼としていて、あまり詳らかではありませんが小桜姫物語新樹の通信の竜宮関連のお話は参考になります。

 

 

マイヤースは彼らが取る形態は中には(地球人から見れば)奇想天外なものもあるが、蛇や龍の形が多いと述べており、私自身もなぜ彼らが蛇や龍の形を好んで取るのかわかりません。

 

 

少しでも霊眼が発達してくると多少なりとも龍体を見る機会があると思いますが、いわゆる「ながもの」の形態を持っていることが多く、角や鱗や牙の種類はそれぞれみな違います。男の龍神には角があり、女の龍神には角がないようですが、思うに彼らは私たちに姿を見せてくれる際にはわざと人間に分かりやすい姿を取っているように思えることがあります。

 

 

もちろん龍体がすべてではなく人間の形によく似た、少なくとも人間の顔や手足を持った大きな天使も存在します。この辺りは未来において動物や昆虫の研究と同じようにきっと明らかにされるだろうと思います。

 

 

 

例えば音楽の神である弁財天様は厳しい修行を積んだ龍神であり、琵琶湖の竹生島を中心に全国の各所でそれこそ数え切れないほどお祀りされていますが、お姿を拝するときはいわゆる日本の昔話に出てくるような「天女」のようなお姿か、そのままガチンコの龍体であるかのどちらかです。

 

 

人間の姿としては私がお姿を拝したことのある範囲では輪っかのような大きな髷を結い、神代の着物に羽衣のようなものを身に付けて、そのまま日本の昔話に出てくるようなわかりやすい「天女」です。

 

 

これは多分私の記憶から典型的な天女的な姿のイメージを取り出して分かりやすい姿として現れるためであって、本来の姿ではないのではないか?と思うようになってからは龍体でお姿を拝することも多くなりました。

 

 

たしかに「弁財天」というイメージをその人に与えるにはいかにもそれらしい姿で登場するのがわかりやすく、ドラゴンボールに出てくるような神龍のような姿だとなんの神様なのかはわかりにくいかもしれません。

 

 

私は巨大な龍体を恐ろしいとも思わないので、龍神様も龍体を持っている神様はわざわざ人間に化けずにそのままの姿で現れて下さることが多いです。

 

 

修行を積んだ龍神は龍の姿を捨てて、人間の姿になることがほぼ全てで、龍と言えば格好いいイメージを持つかもしれませんが、言ってみれば龍の姿は畜生の類いであり、デカいトカゲやヘビみたいなものなのでやはり人間の姿を好むようです。

 

 

また竜神は実に美しい男女の姿を顕現することを得るといへども、天の大神に仕へ奉る天人に比ぶれば、その神格と品位において著しく劣つてをる。また何ほど竜宮が立派であつても、竜神は畜生の部類を脱することはできないから、人界よりも一段下に位してゐる。ゆゑに人間界は竜神界よりも一段上で尊く、優れて美しい身魂であるから神に代つて、竜神以上の神格を神界から賦与されてゐるものである。 しかしながら人間界がおひおひと堕落し悪化し、当然上位にあるべき人間が、一段下の竜神を拝祈するやうになり、ここに身魂の転倒を来すこととなつた。(霊界物語)

 

出口王仁三郎はもともと人間の方が格上で龍は畜生の類いだったが、人間が暫時堕落・悪化するに従って人間が龍神を崇拝するようになったと述べており、要するにこれが修行を積んだ龍神が龍体を捨てて人間の姿を取る理由なのかもしれません。

 

 

先きへ行っておべになれば、追い追いお判りになりますが、龍神様はつまり神様……元の生神さまで、一度も人間のように肉体をって、地上にお現われになられたことの無い方々で御座います。で、そのお姿なども自由自在で御座います。私が拝みますと、その御本体は矢張りわれわれ同様、白い丸い美しい球で御座いますが、何かの場合に、力強いお働きをなされます時は、いつもあの逞ましいお姿……あの絵にあるような龍体をお現はしになられます。それから、私どもが龍宮へ参ってお目にかかる場合などには、又そのお姿が異います。御承知の通り、あの神々しい理想のお姿……それはそれは御立派で御座います。』

(小櫻姫物語)

 

これは竜宮城へ行くときの会話で、幽界や神界では精神統一状態に入ると体も心も「球」になるそうですが、人間と会うときは人体となり、精神統一するときは球体となり、何か大きな力を使うときは龍体になるという趣旨のことを述べています。

 

 

球体になるのは人間でも龍でも天狗でも修行を積んだ霊すべてに言えることであって特別龍神様のみに言えることではありません。

 

 

ただ人間の姿として現れても直感で龍神ということはわかりますし、ことによればその神格や職分もある程度まではわかります。

 

 

出口王仁三郎は人間のほうが龍よりも立派みたいなことを述べていますが、正直現時点では人間よりも立派な龍神はたくさんいて、その霊的な性質においても、諸分野能力においても修行を積んだ龍神様には遥かに遠く及びません。

 

 

このことから察するに神代の昔の人間は神人と呼べるような、さぞ立派な存在だったのでしょう。現代ではどれほど立派な人だとは言え、どう考えても天候を操ったり、地震や津波を起こしたり止めたり、スパコン並の計算能力を持っていたり、難病・大怪我を簡単に治癒したり、なにより地球や太陽系担当の神様からのインスピレーションを間接ではなく直接受け取れるような人はいないはずです。

 

 

ある程度まではそういう人はいるのかもしれませんが、黄金時代の人間のような人はすっかりゼロになってしまったようです。