私たちが地上で犯す罪や過ちは、必ず地上生活において報いを受けるのでしょうか?

その場合もありますが、そうでない場合もあります。
つまりそれは因果応報、因果律ということですが、必ずしも地上での生活の間に成就されるとは限りません。しかしつくられた原因には必ず結果が伴うので、それは必ず成就されます。そこに時間的なずれが見られるのは、その出来事の性質によっては適切な状況が必要になってくるからです。
しかしその作用には情状酌量といったお情けの入る余地はなく、ほとんど機械的に作動します。自分の行為は自らの霊に記録されてそれなりの結果を生み出すので、それだけ苦しむことになります。そこにはさまざまな事情が絡んでおり、そうした複雑な構造の中で行なわれる因果律ですが、因果律の根本的目的が霊性の進化にあることだけは確かなことです。
神の法ともいうべき「宇宙の法則」が支配していないところは、この宇宙のどこを探しても存在しません。それはあなた方人間の人智の及ばないところまでも、完全にその法則が支配しているのです。大自然の法則は完璧です。私たちはただその働きを知っているに過ぎません。原因があれば結果があり、その結果が新しい原因となってまた次の結果を生み出していくという法則です。その間には何者も介入することを許されず、偶然もなければ、運不運もありません。ただ法則があるだけなのです。

(シルバー・バーチ)

 

 

 

自分のしたことは自分に返ってくる、といういわゆる因果応報は神示、霊訓関連でも多いに述べられています。

 

他人に対してしたことは必ず自分に返ってくるという法則そのものは即座に働き始めますが、人間にわかるレベルで形になるのは地上生活の間かもしれませんし、あの世に行ってからなのかもしれません。

 

しかし絶対に自分に返ってくると神霊は口を揃えて言いますので、これは真実だと思いますし、地上でも因果応報を意識する人は多いのではないでしょうか。

 

もちろん地上生活だけを切り取ってみると、悪人が得をして、善人が損をしているように思えることもあると思いますが、あの世とこの世をトータルで見れば完璧に収支が合うとシルバーバーチらや神示では述べています。

 

シルバーバーチはさらに「自分はあの世で神から不公平・不平等な扱いを受けたという人と1人も会ったことがない」とも述べています。

 

 

いわゆる自分の利己や保身のために人間たちを苦しめている、いわゆる「悪」を私は「悪」と言うよりは「未熟な存在」と呼びたいのですが、こういった互いに助け合う心を持つ段階まで精神が発達していなかったり、自分さえ良ければ他人のことは関係ないという自己中心的な段階にいる未熟な人たちとは別に、いわゆる凶党界と呼ばれる境涯に属する存在、具体的には八尾八頭の大蛇、金毛九尾白面四足、八面六臂の邪鬼たちやさらにその上の邪神たち、あるいは地球外の邪龍や邪神たちなど宇宙には邪悪な存在がたくさんいます。

 

 

私が疑問に思うのは、未熟=悪のような存在ではなく、世界に害をなすための真の悪魔として最初から全知全能に作られた、あるいはそれらが発生するシステムが全知全能によって作られたが故に、今も存在している彼らがこの人間に適応される因果応報の法則の例外なのかということです。

 

 

悪と申しても魔ではないぞ、アクであるぞ

碧玉の巻 第08帖

 

ひふみ神示には悪と魔を区別しているような記述が見られます。「魔」とは真の極悪の存在であり、改心の余地などはなく、最初から悪を行うために全知全能によって作られた存在であり、これが神示のいう「魔」なのではないか?と思っています。

 

対して「悪」というのは単に未熟な存在で、成長や改心とともに少しずつ良くなっていく存在を指し、悪事を働いたことのある人間であっても何かの拍子に改心して立派な人間になる、というようないわゆる未熟な状態を「悪」と呼んでいるように思えます。

 

 

外国の霊訓関連にはこのような「魔」に対する記述はあまり見かけず、基本的に「悪」は単なる未熟者なので寛容な心で受け止めましょうというような趣旨のことが書いてあることが多いですが、こういった凶党界の凶霊と呼ばれる存在たちの詳細が如何なるものなのか?がいまいち良くわかりません。

 

 

霊界のことはよくわかりませんが、地上には、どう考えても悪が必要であり、善悪合わせて世は進展するわけですから、必要なものとして善も悪も全知全能が作り、存在を許していると思います。

 

 

しかし因果応報の法則があるなら、凶党界の凶霊と呼ばれる存在たちは悪事を圧倒的に多く行っているわけですから、それが跳ね返ってきてしまうと段々数が減ってしまいますし、そもそも全知全能によって悪の心を持ち、悪を行うように作られているのに、それによって苦しむのであれば可哀想な気もします。

 

 

彼らに良心の呵責というものがあるのか?改心の余地はあるのか?人間や自然霊たちと同じような進化コースなのか?そもそも存在しているのか?など疑問は尽きません。

 

 

もし彼らが存在するなら、彼らには因果応報の法則が適応されないか、もしくは彼らなりの、人間とは違う因果応報の法則があるのではないかとも思います。

 

むしろ悪を行ったことで、人間が善いことをしたら善い報いがあるように、悪を働けば彼らにとっては嬉しい報いがあるのかもしれません。

 

 

おそらく価値観はまるで違うでしょうから、人間の言う悪を善と感じ、善を悪と感じる可能性すらあります。

 

仮に良心の呵責というものがないように作られた存在、そもそも改心の余地のない存在がいたとしたら、改心などはあり得ないわけで、彼らはただひたすら殺戮や不正を好むように全知全能に作られ、力を与えられ、それを実行する存在ということになります。

 

 

凶党界の凶霊が本当にこのような存在であるのか、彼らにも改心の余地があるのか、なぜそんな風になってしまったのか、全知全能はどのようにそのような状態を作り出したのか、などは全く私にはわかりません。

 

外国の霊訓ではほぼゼロ、神示でも僅かにしか述べられていない部分であり、彼らも全知全能によって良きに計らわれていると「信じるしかない」存在であります。

 

死後はこういったことが明らかになるのかもしれませんが、「悪」はともかく「魔」の方には謎だらけです。

 

救えるのなら救ってやりたいですが、そもそもそれが可能な存在なのかどうか?改心の余地があるのかどうか?そういったことがわかるだけでも対処方法は変わってくると思います。

 

 

例えば人間がどれだけ努力しても絶対に救えないように全知全能に設定されているのであれば最初から彼らに対して改心を促したりするような行動をする必要は無いということになります。

 

またそういった救いの一切無い魔そのものの霊たちは全知全能によって設定されてるわけですから、彼らを憎む事は当然できなくなります。

 

「悪」と「魔」を見分けることが人間には不可能なので、地上では基本的には全て愛の心を持って接していくというコンセプトなのだと思いますが、「魔」というものに関しては全知全能が作り出した大なる謎であると思います。