瞑想とは唯一者、神、完全なるお方に自己を捨てて献身することです。瞑想の道において、心霊力を求めたり、霊道を開こうなどとしてはいけません。心霊力は出てきます。しかし、神人合一に至る前に心霊力を開けば、本人の魂のカルマのために危険かあるかもしれません。ですから幾つかの輪廻転生の人生では、心霊力は手控えることか賢明なのです。心霊力など求めずに、ただひたすら。目的を最愛なる神に向けなさい。

(秘儀への道 ホワイトイーグル)

 

 

ホワイトイーグルは瞑想をいわゆるサイキック(心霊)な能力を求めるためにやるべきではないと述べていますが、私もこれには同感です。

 

というよりは、そういった超能力じみた単純なテクニック的なことよりも人間性の向上の方が先であるという風に思っています。スプーンを曲げるとか透視するとかそういったサイキック(心霊)能力はある意味では有益ですが、そういったものが必ずしも人間の精神性を高めるとは限りませんし、それどころかその人の害になる可能性もありえます。

 

サイキック(心霊)による技術的な側面は刃物や鉄砲と同じで使い方次第では有益かもしれませんが、ある意味では危険でもありますので、そんなことよりもまずは人間性の向上こそが最重要項目であり、人間が真っ先に取り組まなければいけない問題だと思います。

 

よく瞑想していたら光が見えたなどのように、霊的な体験を述べる人がいますが、光るだけなら何処の家にも電灯や懐中電灯くらいあるわけで、人間にとって簡単にできることが霊にとって難しいわけがありません。しかも特別な文字や意味のある記号というならまだしも「ただ光るだけ」なら懐中電灯と大差ありません。そもそも光が見えたからどうした?という話でもあります。

 

光が見えたから自分の悪い癖の1つでも直ったのか?自分は少しでも立派な人間になれたのか?自分を世の中の役に立てることが出来たのか?と問われればどうでしょうか?全く関係ないはずです。

 

 

シルバーバーチもホワイトイーグルも、日月神示も、その他の霊訓関連も述べていることですが、世の中の役に立つことや人間性の向上、道徳的な意味での向上が大切であって、それ以外のことは二義的であると私は思っています。

 

いわゆるスピリチュアリズムの本質はそこにあり、霊性に目覚める=人間性の向上、道徳的な意味での向上であり、さらに言い換えればより大きな愛に目覚めることです。このこととサイキック(心霊)な能力は無関係です。

 

スプーン曲げや透視やテレパシーなどのサイキック(心霊)な能力は、頭が良いとか芸術やスポーツの才能があるのと同じで、単なる才能や能力の一種に過ぎません。

 

 

学問や芸術やスポーツの分野でその才能を活かして活躍している人でも性格が悪く、人を傷つけたり苦しめたり、嘘つきだったりして世の中に害悪をバラまいている人はたくさんいます。

 

 

地上ではこういった人物は成功者と見られて地位や財産や名誉を手にできるかもしれませんが、霊的に見れば貧者であり、多くの場合が地獄行きです。

 

こんな人間が多くなればなるほど世の中は地獄のようになっていきますし、現に今の地球はそうなっています。

 

 

逆に特殊な才能がなくても、地位や財産や名誉がなくても、心優しい、大きな広い愛を持っている人が地上に増えれば地球はだんだんと平和で素晴らしい天国的な世界になっていくでしょう。

 

 

シルバーバーチや日月神示に見られるような多くの高級霊が地上に戻って地上人のために活動するのはまさにこのためであり、単に一つの技術的な小手先の才能にすぎないサイキック(心霊)な能力を人間に与えるためではないはずです。

 

ホワイトイーグルの言うように、そういった能力は霊的=精神的に=道徳的に進歩すれば嫌でも勝手に出てきます。しかし寛大で優しい大きな愛の心を持った人はそれを悪用しようとは思わないでしょうし、それどころか世の中のためにそれを使おうとするでしょう。そして能力云々よりも何よりも愛の心や人間の道徳性の重要だとその人は言うでしょう。

 

 

仮に地球の大勢の人のサイキック(心霊)な能力が発達し、スプーン曲げやテレパシーや透視が出来るようになっても、おそらく地球は少しも平和にならないはずです。相も変わらず争いや不正や貧困が蔓延る世界のままなはずです。

 

むしろ人間が科学の進歩によって武器が棍棒や竹槍で争っていた時代から核爆弾や大陸間弾道弾や神の杖になったように、争いや不正はなお一層激化し悲惨なものになるはずです。

 

サイキック(心霊)な能力は進歩した人類が目が見えるとか耳が聞こえるとかそういった能力と同じように誰もが持っています。少なくとも訓練によって今の地球人よりも遙かに容易に開花します。そんなに特別なことではないのです。

 

ホワイトイーグルが瞑想をいわゆるサイキック(心霊)な能力を求めるためにするのは良くないと述べている意味とは違うかもしれませんが、少なくとも今の人類にとってはそういったことは二の次、三の次、四の次だと思われます。

 

チャクラがどうこう、○○の予言がどうこう、霊的治療がどうこうというのは大変結構ですし、それで健康になる人、楽しめる人もいるのですが、そういったことだけでは人間の世は立て直ったりはしないと思います。

 

人間の世を本当の意味で立て直す唯一の方法は人間性の向上、道徳心の向上、愛の感情の発達、これらは同じ内容を違う用語で言っているだけですが、すなわち霊性の向上です。この点において覚醒・進歩がない限り、アセンションがどうこうとか、立て替え立て直しがどうこうとか、予言の天変地異がどうこうとか、ほとんど無意味な言葉遊びに過ぎないはずです。相も変わらず昨日のような明日が続いていくことでしょう。

 

 

結局、日月神示や西洋のの霊訓が述べている最も重要なことの1つはこの点であり、この点において人間が進歩しなければ高級霊たちの仕事は無駄だったことになってしまうように思えます。

 

私たちは彼らの仕事を無駄にしてはいけないと思いますし、それでは無駄にする=生きている間の生活は地獄的で、死んでからは地獄行きになってしまう人が多いと思いますので、少しずつ、一歩ずつ、気の遠くなるような長い年月を掛けてでも、僅かでも人間が進歩してしていけるように私たちは努力するべきだと思っています。多分人間性の向上、道徳心の向上、愛の感情の発達、つまり霊性の向上は最初の一歩であり、同時に最後の一歩でもあるように思えます。