「あなたの傍にはいつも、あなたより優れた者がいる。その人はあなたに常に寄り扉い助言を与え、進歩の坂道を登るのを支え助けてくれている。此の世のどんなつながりよりも深い縁で結ばれ、その情愛は真実、貴方のために尽してくれる、その人があなたの傍に居る。こう考える時ーこれ以上の心の慰めがありますかな?このような存在が神の命によってあなたの傍に片る、この者をあなたの傍に置かれたのは神である。彼らは神の愛によってそこに在る、彼等は高貴にして労多い使命を諸君らのために果たしてくれている。諸君らが行く処に彼らはあり、地下の牢獄、人里はなれた処、らい病患者の家、どんな堕落漢の巣窟にも彼らは居る。何者も諸君らを、その見えぬ友から引き離すことをしない。その優しい刺激はそこにあり、心の奥深くで賢者の誠告は耳に聞こえる」(霊の書 アラン・カルディック)

 

前回に引き続き守護霊についてです。

 

守護霊については割と広く知られており、洋の東西を問わずその存在について広く述べられています。すべての書物でほぼ同じ事を述べており、地上のどんな善人にも悪人にも守護霊はついており、生れてから死ぬまでどころか生前から死後もなお人間を守護し、指導し、導くてくれる存在と言われています。

 

 

守護と言っても危険からとにかく守るというよりは親や先生のような教育者的な存在で、基本的には人間が立派に成長し生きていけるように、というコンセプトのようです。

 

例えばいくら自分の子供が可愛いと言っても、本人が受けるべき入学受験を親が替え玉で受けてあげたり、先生が生徒が本当は落第なのに通知表を捏造したり、裏口入学の手引きをしたりといった、そんなことをしたら本人のためにならないことを何でもかんでも叶えてくれるような存在ではなく、あくまで正道に導くための存在であると述べられています。

 

 

この守護霊は一旦守護の任についたら一生、絶対にその人を見放さないとのことで今の世の中を見ていると、こんな極悪人にもホントにそんな守護霊がいるのか?と思うような人がたくさんいますが、それでもやはり守護霊はいるらしく、本人が低級霊のいいなりになったりしてあまりにもどうしようもない時は一旦は手を引くそうです。

 

「助言の効果がないと見てとった時、また低級霊の言うなりになってどう仕様もない時、守護霊は手をひく。しかし、本人を全く見捨てるわけでなく、言うことを聞くよう努力を続ける。本人を捨てるのは守護霊ではなく、守護霊の言葉に耳を閉ざす人間の方である。人間の方で守護霊に心を向ければ、守護霊は直ぐ戻って来る」

 

いつの時代もそうですが、他人はもちろん実の親ですら子供捨てることがあるというのに、絶対にその人を見捨てないというのは凄いことです。たしかにこれが事実だとしたら、私は事実だと感じていますが、人間にとって大きな慰めになるはずです。孤独な人間は一人もいないということになります。

 

 

「諸君等の質問で吾等を患わすことを恐れるな。逆に、常に吾等と接触を保っておられよ。これにより諸君等はいよいよ強靭に、いよいよ幸福になろう。この、人と守護霊とを結ぶ交感によって、人はついに霊との媒介者となり、世界から不信を追放する者となる。教えを受け取った諸君等は、今度は教える者となれ、才能ある者は、同胞らを進歩させる者となれ。これにより人はどんなに大きな仕事をする者となるか、お分かりかな。これぞキリストの仕事、神によって諸君等に課されている仕事。何故に、神は諸君に知慧と知識を与え給うたか、もし諸君等がこれを同胞等と共に分かち合わないとしたら。これぞ、永遠の至福へと導く大道を人々が進むことを助けんがために」

 

 

霊と交信できる人はいわゆる霊媒と言われ、その数はごくごく僅かですが、自分の守護霊とであれば黙って座って精神統一するだけで向き合うことが出来るわけですから、人間が成長していくためにまずは守護霊との連絡を密にするのが必須であり得策であると感じています。

 

私たちのことを何もかも、誰にも知らせてない心の秘密ですらも、守護霊は知り抜いているわけで、さらにそれを知った上で絶対に見捨てないわけですから現在の状況がどんなに悪く、苦しかったとしても、自分の守護霊に心を向けて例え数分でも黙って座って精神統一をして、前回のブログに書いたようなコミューンを得られれば、人間からみれば知らず知らずのうちに少しずつ良くなっていくように導いて貰えるのではないかと思います。

 

もちろん努力するのは本人ですが、何を努力すれば良いのかを導いてくれるはずです。