キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キは 特殊文字 (よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理わかるであろがな。爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしことになるのざぞ、ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。ムのキ動けばムくるぞ、ウのキうごけばウ来るぞ、どんな九十(コト)でもキあれば出来るぞ、キからうまれるぞ、勇んで神の御用つとめて下されよ。十二月三十一日、 特殊文字 の一つ九 特殊文字 。

(日月神示)

 

 

引き寄せの法則など「自分の考えていることが現実に反映させる」という内容は広く知られるようになってきていますが、日月神示、シルバーバーチ、ホワイトイーグルなどいわゆる自動書記や霊媒による対話などでも同じようなことを述べているものが山ほどあります。

 

 

「自分の考えていること=祈り」が現実化するというのは単に心の姿勢や気の持ちようではなく、原理的にはどういうことなのだろう?とずっと考えていましたが、それに対する科学的な回答がヴィセント・ギリェム氏の「魂の法則」に書かれていたので多いに参考になりました。

ちょっと長いですが、著作権フリーなのでご紹介します。

 

 

~霊界とはなんなのか?という話の流れで~

 

*全く理解できません。霊界や、波動レベルや、エネルギー次元や、下層・上層アストラル界についてのお話ですが、僕には定義が曖昧すぎて、 正確には何を意味するのかも、何を言わんとするのかも分かりません。 霊界というものがどういうところで、そのようなエネルギーの波動レ ベルがどこに位置するのか、また、アストラル下層とか上層とかが何を 意味するのか教えて下さいますか。 

 

肉体に制限されて全体を捉えられない者に、霊的世界を詳細に描写す るのはとても難しい。それは、生まれつき眼が見えない者に、色とはど ういうものかを説明するようなものだ。 だが、霊界については幾つかの点を、特に宗教上の観念や信念が実際 とは異なる歪んだ概念を与えてしまった領域を、できる限り明らかにし てみよう。 先ず最初に、霊界というものは、霊魂がどこに行ったらいいのかも分 からずにさまよい続ける形のない薄ぼけた空っぽな世界ではない、と言 っておこう。霊界は実体があり、魂の本当の故郷で、常に存在し今後も 存在し続ける触知可能な世界であり、始まりと終わりのある物質界と違 って、破壊されることがない。 

 

 

*そんなに実体のあるものなら、どうして見ることができないのですか。 

 

君たちに見えないからといって、存在しないことにはならない。肉体 を持っている時に君たちが知覚できるのは、物理的感覚で捉えられるこ とに限定されてしまう。 たとえば、君たちは光を、様々な周波数で振動する波動として定義し ている。だが、君たちが見ることのできる光の範囲は虹の七色に限定さ れ、下限の赤色から上限は紫色までの周波数に限られる。 しかし見ることはできないが、機器を使えば君たちにも察知可能な、 この周波帯以下、あるいは以上の光も、同じように存在している。 紫色の周波数の上には、紫外線やX線やガンマ線がある。赤色の周波 数の下には、赤外線やマイクロ波やラジオやテレビの波長がある。 霊的世界を知覚する場合も似たようなことが起こる。光の波長分析に 従えば、霊界は君たちが知覚できない周波域内に存在していて、この領 域の中にも高低まちまちの波長があると言える。 

 

 

*でも存在するのなら、何かによって構成されている筈ですが。僕たち の世界の物質は、色々な度合いや形状にまとまった様々な種類の原子か ら成り立っていて、それらの原子の組み合わせで物質が生まれ、それによって特定の物理的な性質を持った世界が造られていますよね。霊界の 場合には、全ての基となるような素材があるのでしょうか。 

 

あるよ。「生命の本質」とか「魂の素」とか呼んで構わない。 

 

 

*どんな性質をしているのですか。 

 

それを説明するのは複雑だが、理解できるようなヒントをあげよう。 アルベルト・アインシュタインの研究とその後の量子物理学の進展により、物質とはエネルギーが凝縮された形態に過ぎず、原子よりも小さ な粒子に分解でき、分解によって、物質の一部が光に変化することが分 かった。 したがい、光と物質が、別々の事物に見えるほど大きく異なる性質を 持つとは言え、両者の違いは本質的なものではなく、構造と凝縮度合いの違いによるのだ。 理解し難いなら、水に起こることをイメージするといい。水は構成要 素が変わらないにも関わらず、微粒子の動き具合やその振動状態の違い によって、固体(氷)、液体、気体(水蒸気)と、それぞれの状態で大 変異なる性質を見せるだろう。微粒子は氷において最も静止しているが、 液体の水ではそれほどではなく、水蒸気ではさらに活性化している。 この例をモデルにすると、物質世界というのは、「生命の本質」が最 も凝縮された形態であって、物理学が見出そうとする諸法則に従った一 連の性質は物質世界で顕れるのだと言えるのだ。 しかし純粋に霊的な世界と物質界との間には、濃度の中間的な階層が 存在している。一番希薄なものから最も濃密なものへと、順に、霊界・ メンタル界・アストラル(エネルギー)界・物質(物理)界にまとめら れ、その各々に特性があり、独自の法則がある。これらの世界はお互い に孤立しているのではなく、完璧な相互関係があるので、濃縮された形 態の世界が精妙な形態の世界と無関係に存在することはない。

 

 

例えば怒り狂っている人はエネルギーがある種暴走している状態と言えます。またとても精力的に何かに取り組む人もエネルギッシュであると言えます。

 

方向性がなんであれ、精神的にエネルギーが満ちているわけですが、E=mc2の公式から分かる通り本質的にエネルギーと物質は別個の存在ではありません。「エネルギー=質量に光速を二乗を掛けたもの」というのは科学の世界の話であって、エネルギーだけの世界と物質だけの世界は科学的に言うなら、その状態が異なるだけであって本質的には区別はないということになります。

 

霊界はエネルギーだけの世界、アストラル界(幽界)は半霊半物質の世界、地上=物質の世界という風にイザヤ霊は述べていますが、日月神示のいう「キ」も引き寄せの法則などの「心の姿勢」も霊訓などでいう「祈り」も結局は想念=エネルギーの世界の話であって、これが物質化しているという風に考えることが出来ます。

 

 

量子力学によってエネルギーと物質は本質的には区別されないことがわかり、それによって原爆であるとか、原子力発電が可能になったわけですが、同じ原理で私たちが悪い想念を持てばそれが悪い方面に物質化し(病気や悪い生活環境)、良い想念であれば良い方向に物質化する(健康や良い生活環境)のではないかと思います。

 

 


 以上の事実に照らしてバイブルに出ている祈りの奇跡の数々を吟味していただけば、吾々霊界の者が目のあたりにしている実在の姿をいくらか推察していただけるであろう。

そして大切なのは、祈りについて言えることがそのまま他のあまり感心できぬ心の働きにも当てはまるということです。

例えば憎しみや不純な心、貪欲、その他もろもろの精神的罪悪もそちらでは目に見たり実感したりは出来ないでしょうが、こちらでは立派な形態をとって現われるのです。

(ベールの彼方の生活より)

 

 

上の引用はベールの彼方の生活のアストリエルと名乗る霊の自動書記ですが、良い祈りや心の姿勢だけでなく、憎悪、不純な心、貪欲、etcなども物質化してこの世に顕れるという趣旨のことを述べており、似たようなことを言っている例はそれこそたくさん存在します。まさに引き寄せの法則などはそのままですが、悪い想念も良い想念も物質生活に影響するのであれば、良い想念を持てば良いという風に考えることが出来ます。

 

 

悪いことはなるべく考えないで、良いことを考えるようにするのは難しいですが、努力することは出来ますし、実際に個人的な経験としても、いつも自分の人生に対して不満タラタラで愚痴ばかり言っている人と前向きで明るい人では現実の環境が段々良くなって行く違いがあるというのは理解出来ます。

 

 

今は人間の心の動きを科学的に説明することは出来ませんが、光や物質を相対論や量子力学によってここ100年くらいで説明出来るようになったように、今後は人間の心や霊的なものも徐々に科学的に説明がなされていくように思えます。

 

今はまだE=mc2という物理学の概念によりエネルギーと物質はイコールで結べるものであるということと、個人個人の人生体験によってしか述べることは出来ませんが、個人的には心の姿勢の重要性はわかりますし、今の人生がどうであれ、フリでも、真似事でも、演技でも、心にも思っていなくても、とにかく明るい嬉しい心でいれば、「うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろ」のように徐々に現実は良くなっていくのではないかと思います。