づかおのブログ

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最近ある人のアメブロを読んでいて々気付かされることがありました。
その人のブログは主にある一つの悩みについて書いてあり、日々の一喜一憂を記録していました。その人の悩みを友人や職場の人でも、カミングアウトというか言っている人、知らない人様々ですが、周りの人達の何気ない言動により傷つき、かなり心が荒れている様子でした。傷つくと言っても受け取る側が何も考えていなければ特に嫌な気持ちになるようなことでもなく、本当に嫌味でもなくよく耳にするようななんてことない言葉でもあるのですが、この人にとっては過敏になっているがために気になってしまうんだろうなと思いました。例え同情したとしても、それは末期ガン患者に対して「私も入院したことあるからわかる、辛いよね」と言うのと同じで、同じ経験をしたことないのに軽々しく言うな、というものでした。

ある日の記事で他人に対しての愚痴みたいなことが書いてあり、そのコメント欄が荒れていました。「みんな私の気持ちわかってくれない、みたいなことをいつも言っていますが、あなたもこの人達の立場や気持ちもわからないで物申すのはどうなんだ」と。その後ブログの主は謝っていましたが、自分も知らないうちに他人を傷つけるようなことを言っていないかとドキッとしました。相手の本心を理解するのは難しいし、考えすぎたら何も発言できなくなりそうだけど、なるべく言動には気をつけなきゃと思いました。
後日談。
お通夜に行ってきた兄と「若い人のはやっぱり嫌だな、悲しい」と話していましたが、その通夜の冒頭のお坊さんのお話を教えてくれました。
「若くして亡くなる方がいますが、この世に生を受けて生き続けることはありがたいことだ、ありがたいとは有り難いと書いてすなわち有り得ないことで、皆さまもこの机や椅子なども明日無くなるかもしれない、だから生き続けること自体が有り得ないくらいのこと」だと…。ありがとうって何で「有難う」って書くんだろうとずっと疑問でしたが、こういう意味があったんだと知ることができました。
昨日の朝出勤中に母からのライン。
「〇〇さん(実家の正面のお家の息子さん)が昨日亡くなりました」
乗り換えの駅で「えーーーー!?」と叫びました。心の中で。かなりドキドキが止まりませんでした。その日は仕事中その事で頭がいっぱいでした。夜に兄からもラインが来て、亡くなり方も衝撃的でした。
〇〇さんは現在は関わる事は皆無ですが、ご近所なので、覚えてはいませんが小さい頃は兄弟ともに遊んでいました。アルバムを見るとわかります。本当に人生って突然何が起こるかわからないし、何が起きても不思議ではないのだなと強く思いました。

最近夜中か早朝あたりに目が覚めて眠れなくて、そのお知らせが来る前の日も暗闇で色々な事をぐるぐると考えていました。(だからますます眠れなくなる…)
誰しもがおじいさんおばあさんになるまで生きられるわけじゃないんだよなぁ。明日自分の身や、家族に何が起こるのか、何かが起こりうる可能性はあるんだよなぁ。それを受け止めることは私にできるのか?でもなるようにしかならない…などと。
特に心配する出来事がないのにアレしたらどうしようとか考えていても生きていけないので、とりあえず今を大切にしていきたいと思いました。